記憶や意識に対して「風化」という言葉を使うのはあんまり好きじゃない。何で好きじゃないのかな? いわゆる「手垢」がつきすぎたから? モン切り表現だから?と考えていたんのだけれど、どうやらそんなことじゃなかった。
格好つけすぎだから苦手なんだだ。
時間や距離に比例して関心が薄れまたは倦んで、意識の外へと追いやって忘却する。そのことを「風化」と言い換えれば恰好がつくけれど、ただの経年劣化でしかないんだよ。
阪神淡路大震災後5年~7年ぐらいだったかな。その頃数年関西に住んでいたけれど、西日本と東日本では震災報道の物量が圧倒的に違う。同じ全国紙であっても、大阪版と東京版では全く扱いが違うのだ。
そうして関東ではちゃっちゃと忘れられていったし、関西であってもたとえば神戸と大阪では大きく意識に隔たりがあった。
壊滅的な被害を受けた神戸市長田区を何度か訪ねた。仕事だったり、散歩だったり、詩吟の発表会のお供だっり。
詳細は省くが、かつて長田には賃料がアホほど安い木造長屋密集していて、それらすべてが地震で焼失した。
再開発・復興の旗の下で新たに建てられた市営の復興住宅の家賃は高すぎて、やっすい家から焼け出された人たちが戻ってくることは難しい。
また、建物自体を再建することが叶わないケースも多かったため、アチコチに新しい駐車場が広がっていた。
全市で仮設住宅を取り払い、復興住宅では高齢者の孤独死が相次ぎ、長田の街は空き地だらけ。
神戸経済の中心部・三宮界隈では復興を成し遂げたと大手を振って鎮魂のイルミネーション・ルミナリエで観光客を呼び戻し、神戸空港も着々と建設に取りかかる。
その半面、三宮でも元町でも、きれいに見える建物の隅には亀裂が残っていたし、埋め立て地であるポートアイランドでは沈んだ地盤から水がにじみ出て照るし、、酒の席ともなれば人々の口からあの日の話がこぼれ落ちる。
現地に暮らす人たちの間では、忘れる/忘れないの二項対立なんか成り立たない。
翻って東京や神奈川では日々記憶の劣化が進行するばかりだった。
だから、劣化している事実を覆い隠すために、「風化ダメ絶対」と叫ぶんだろうか。
忘れちゃうのはしょうが無い。
全部覚えてたらしんどいんだもん。
むしろ「忘れない」ことを殊更に美化することの方が気持ちが悪い。だって覚えてなければなにもできないけれど、覚えてたって何もしないんだから。
とくに私みたいなグータラは。
縁があっても劣化する。縁が無ければなおのこと。
「私は忘れないもん」ってタカをくくってるうちに忘れていく。
それでも、どうしてもどうしても、忘れたくないと願うのならば、やっぱり縁を紡ぐしかないんじゃないだろうか。細い糸をたぐって、小さなことでも積み上げて。
長田の空き地はどうなったんだ。もう10年も訪れていない。
どろソースでネギ焼き食べたい。
「忘れない」って1995年の冬に口にして、2011年の春にも口にして、2014年の今はどうなんだ。
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