随分と過去の出来事です。
暴力的な表記や心の機微に触れる表現がある場合があります。
今現在は回復しており、元気に幸せに暮らしています。
自分自身から失われた機能は(出来なくなってしまったこと)できることをあげた方が簡単なくらいで。
息をすることと排泄すること以外の全てが出来なくなった。とその当時はよく思っていた。
でも、心底に辛すぎて覚えていることはいくつかある。忘却システムにもかからなかったこと。
息子が小学校に上がる年、死ぬ思いで入学説明会に行き、購入品を済ませて、きちんと出来たのかもわからない中、その後何日も倒れてしまうしんどさで。
でもその全てに名入れがある。
どこに?何を使って名前を書けばいい?
おはじきとか、数え棒、体操服に教科書、ランドセル。
全部、名入れの仕方が違う、、シールだったり、ワッペンだったり、大きさや貼る位置も、、
これに名前を書きなさいって、決まった用紙に教えられた場所へ描くのが精一杯の今の私。
自分の名前だって何度も頭の中で確認して書くのに。
どうしてただ名前を書いてやるだけ
楽しみにしていた小学校へ行くための準備を
同じように楽しみにしてやれないのか
当時の私には苦痛でしかなかったから、その苦痛に思う気持ちすら針に刺されるようだった。
学校が始まると山ほどプリントが来る。
プリントくらい読んでやって
これは本当によく母から言われた。
思い出すと今でも涙が出るけれど、書き出しの文字が既に読めない。
文字の羅列が図形にしか見えなくて、内容なんて一切入ってこない。努力して3行、1日かけて、3行。その先は目で文字を追うことができなかった。
山ほどある日々のプリントから、背を向けるようになった。してやれない負い目。
しばらくすると何とか学習がやってくる。お弁当がいるのだ。
母から、弁当作ってみて。出来なかったら私するし。
子供を想って言ってくれたんだと思う。お母さんのお弁当、嬉しいだろうから。
何日もかけて作るものを考えた。何を買えばいいのか、どこで買えばいいのか、どうやって作ればいいのか。
この頃はもう、子供と言葉を交わすことができなくなっていたから。一緒にご飯を食べることもない。今は何が好きなんだろうって考えたり。
体調を整えて、大丈夫!って思える日に買い物へ行った。
喜ぶ顔と、残念がる顔を何度も思い起こして、それでも最後は喜ぶ顔をイメージできたときに行った。
震える手でハンドルを握って、自分が挙動不審なんじゃないかって周りの目ばかり気にして、思い直したり不安になったり。
スーパーを三周した。
三周して、カゴに入れることができたのはたった1つだけ。
たくさん考えてたくさんシュミレーションして、三周するまでにカゴに入れられたのがたったの1つ。
息子が大好きだったミートボールだけ。
この時のお弁当は
作ってあげることができなかった。
なんとか買って帰ったけれど、自分が作ってもたせてやることは出来なかった。たぶん、私が買ったもので母が作ってもたせたのだと思う。
一日中、自分の部屋の片隅から離れることができないから、おかえりも、いってらっしゃいも、言ってやることができなかった。
おやすみも、おはようも、今日はどんな1日だったも。
息子が具合の悪かった日も、楽しみだった行事の日も。
だから私は
母親をするのも辞めてしまった。
あーーーー。
アレですね、思い起こしながら書いてしまったので。
明日は必ず目が腫れるでしょう!って言う、100発100中の占いがごとく涙が出て溢れてしまいました笑
他にも、数多ある辛かった記憶はひっそりしまってあるのですが。
思い起こして浮かび上がった2つを書いたらギブアップでした^^;
どんな想いだったのだろうなぁって。思うんです。息子。
お母さんが二階の自室から、気配を消して一歩も出てこないのですからね。
それでも本当に時々、体調が極めていい日に、息子が私の部屋で眠っている奇跡の1枚みたいな写真が残っていたりします。
それを忘れたくなかったのかな。デッサンに起こしてスケッチブックに書いていたりしました。
私さぁ。
全然優しかったりいいお母さんじゃないから
否定して欲しいのじゃなくて、日常会話的に息子に言ったことがあるんですよね。そしたら
え?
ふつうに優しくね??
普通に、、◯×△※、、、ウンタラカンタラ by息子
普通に、いいお母さんだ的なことを、思春期らしくごにょごにょ尻切れとんぼに伝えてくれて。
どこに出しても
恥ずかしくない息子になった
そんな風に思ったのを覚えています。
※実際は、ジジババに死ぬほど甘やかされていく末が心配でしかないですけどね笑
でも、優しいと言うことについては、高値で競り落とすくらいに信用できる子に育ちました。
勝手に。
子供って、勝手に育ちます。ほんとーに!大丈夫だよ^ ^