ペットが亡くなるとよく、「うちの〇〇は今日虹の橋へと旅立ちました」と飼い主さんが書かれます。ずっと誰が言い始めたのかと思いながらも、皆が皆この表現を使うので、へそ曲がりな私はリビーが亡くなった時は敢えて使いませんでしたが、リビーの骨を粉骨した際、何となく調べてみました。

1980年から1992年の間のいつかに創られた作者不詳の散文詩からきているそうです。そして最初はアメリカで、じきに世界中に広がり日本でもこの言い方が定着してきたとか。詩の内容は

この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。
一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、仲間から離れて全力で駆けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。
死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。

死んでからも何て健気なペット達…

それにしても面白いと思ったのは、私が子供の頃からずっと父が言っていたのとほぼ同じ内容だったことです。この散文詩ができたと思われる1980年よりずっとずっと昔から、父はよく「自分は死ぬのは全然怖くない。なぜなら死んだら今まで可愛がってきたペット達が皆迎えに来てくれるから」と」言い続けていたのです。人の考えることは案外同じなのですね~

この詩にはやはり作者不詳の2部もあります。
それは虐待や飢えに苦しみ誰にも愛されずに死んだ動物たちのこと。虹の橋のたもとで待っても誰も来てくれないこの子たちと出会うのは、やはり苦しみに打ちのめされ誰からも愛されずに亡くなった人間です。ここで初めて出会ったふたつの魂は一緒に虹の橋を渡るそうです。
こんなところにちゃんと救いの手が差し伸べられているって、ちょっと泣きそうになりました。ボランティアをしているシェルターで誰にも引き取られずに死んでいったワンコたちのことを思い出しました。

更には何と第3部は日本人が創ったものだそうです。
虹の橋の近くには雨降り地区というものがあって、そこでは冷たい雨が降り続け動物たちは寒さと悲しみに打ちひしがれています。その雨こそは飼い主さんが流す涙。その悲しみのあまり、動物たちはそこから出ていけないのだそうです。別れの悲しみだけに囚われず、一緒に過ごした楽しい思い出を大切にして愛した動物たちを雨降り地区から解放してあげましょう、そしてあなたも前を向いて生きていきましょうという、ペットロスを救うメッセージとなっていると思います。

子供の時から犬や鳥をたくさん見送ってきましたが、たぶんその子たちは両親とともに虹の橋を渡ってしまったでしょう。なので、私が死んだときにはリビーからあとですね~夫より先に死ぬわよっ(笑)