The 4th day✵Fukushima
4日目は、《私と福島》

あの大地震から4年経ちましたね。
2011年3月11日14時46分
東日本大震災。
私は福島の病院で生まれました。
母の実家が福島県いわき市にあります。
母は社会人になり上京し、
出産の時だけ福島に戻り
そしてまた私を産んですぐ東京へ。
なので私は育ったのは東京ですが、
正月はもちろん
夏休みや冬休み、長いお休みの時は
ほとんどを福島で過ごしました。
親戚も多く、いとこが13人。
その中で私は下から2番目なので
みんなに可愛がってもらい
福島に行くのがいつも楽しみでした。
今も私の親戚のほとんどは
福島に住んでいます。
もちろん4年前のあの日も。
私はあの日
千葉の御宿でサーフィンをしていました。
地震が起きた時はもう海から上がっていて
近くのお店でお昼を食べていました。
そしてあの時間。
かなり揺れましたが、
まさかあんな大災害になるなんて思いませんでした。
豊間にあった親戚の家は
津波で流されてしまいましたが
幸い、私の親戚は全員生きていました。
それからしばらくは、
歌を歌うなんて気持ちには
なれませんでした。
苦しんでいる人がいるのに
歌なんて歌えない。
出来ることが他にあるはず。助けなきゃ。
母と私はまず親戚のいる福島へ
物資を届けることにしました。
豊間のぐちゃぐちゃになってしまった家の
片付けの手伝いに。
↓これがその時に書いた私のBlogです。
※思い出すのがこわい方は読まないでね
いわきの家は無事でしたが、
豊間の方へ向かうと
目を覆いたくなるような光景。
言葉を失いました。
しかしその光景とは裏腹に
行き交う人はみんな笑顔で
挨拶をしてくれました。
「もう私たちには壊れるものはない。
全部壊れちゃったんだから。
あとは前に進むしかないんだ。」
はっとしました。
こんなにひどい目にあって
一番辛いはずの人たちが
こんなに頑張っている。
なのに私はいつまで下を向いてるんだろう。
助けたいという気持ちで福島へ行き、
逆に私が福島の人に助けられました。
私は東京にもどり
すぐに曲を書き始めました。
その時にできた曲です。
”わらって”
悲しい時も 涙にくれる夜も
いつか時が 時が
癒してくれると信じて
どんなに嫌になっても
前を向きつづけていれば
きっと明日は その明日は
少しづつ良くなるから
涙は枯れることはないから
傷跡残るけれど
確かなことは昨日より
強いあなたがそこにいること
出来るだけわらっていよう
出来るだけわらわせるから
泣かないでなんて言えないよ
泣きたいなら泣いていいよ
喜び 悲しみ
いくつ訪れただろう
涙ひとつ ふたつ…
神様本当に平等ですか?
大切なもの失った時
私が言い聞かせたこと
これ以上の悲しみはない
だからもううつむくことはない
前を向いて歩いてこう
出来るだけわらっていよう
出来るだけわらわせるから
泣かないでなんて言えないよ
泣きたいなら泣いていいよ
あれから4年経ちましたが
ライブでは最後に必ず
この歌を歌っています。
いつもニコニコ笑ってなくたっていい。
泣きたい時は泣いたっていい。
だけど人生は短く、儚く尊いものだから
出来るだけ笑っていよう。
出来るだけ笑っていてほしい。
そんな気持ちで作りました。
この歌を歌うたびに福島のこと、
被災された方々のことを想っています。
心に傷を負ってしまった方々の力に
少しでもなっていますように。
今年も福島に帰るからね!
いつも「おかえり」と言ってくれて
ありがとう!
