★女社長リールリールとは☆
現在は、カラーセラピースクール『カラーワークス』の一員として、新宿と広島を中心に、全国各地で色彩心理学講座の運営や、色彩心理カウンセリングなどを行なっています。
自己紹介に変えまして、私がこれまで影響を受けてきた祖母の話と交通事故の経験について、少しだけお付き合いくださいませ。
◆祖母の影響◆
広島の片田舎で大正時代に生まれた祖母は、とても貧しい家庭で育ち、学校にもあまり通えず、10才そこそこから丁稚奉公をしていたそうです。
酒屋での住み込みの倉庫番をしていた時、お店の人に認められ、当時ではかなり難しかった暖簾分けをしてもらい、夫婦で『吉田酒店』を始めました。
その後、戦争で夫を亡くし、戦争未亡人になってしまったうえに、あのヒロシマの原爆も経験しています。
戦後は、祖父と再婚をし、4人の子育てをしながら商売を続け、70代半ばまで酒屋を営んでいました。
その後、規制緩和などの時代の流れもあり、私が高校2年生の時に店をたたむことになりました。
私が物心ついた頃には、自分の家がお店であることが当たり前でしたし、夫婦で商売をしている祖父母は、私の最大の憧れでした。
子供の頃から祖母の後を継ぎたい、というよりも、継ぐのが当たり前だと思っていたお店がなくなり、しばらくは夢を持てない時期もありました。
ただ、学生の頃から、その時々にやりたいと思う仕事には出会うことができ、知らず知らず起業への方向性を掴んでいたように感じています。
◆交通事故◆
学生時代は、アパレル店員の仕事を3年ほど勤めました。
大学を卒業して1年後から、鉄道業界で車掌の仕事を始めました。
車掌という仕事を選んだ理由は、当時、在宅看護を受けていた祖父の付き添いのため、平日の昼間に時間が作れる、シフトのある仕事を探していたからです。
交通事故は、車掌を始めて3年近く経ったころ、27才の誕生日を迎える直前のことでした。
バイクでの早朝勤務の出勤中に起きた、左折するタクシーとの巻き込み事故でした。
骨折や全身強打で、しばらくは両手も使えなくなり、とくに左足首は強く痛めてしまいました。
左足のリハビリには、それから3~4年を費してしまいます。
事故後は、車掌での立ち仕事を長く続けていくことは難しいと感じ、何かをしなくてはと本気で考え始めたのはそれからでした。
その後のさまざまな人との出会いや書籍とのめぐり合わせなどもあり、オーナー社長を目指そうと決意しました。
それから2年後、周りの方からたくさんの支援をいただき、有限会社リールリールの法人設立を果たしました。
(※リールリールとは、フランス語で『lire:読む・読み取る』『rire:笑う』という意味を組み合わせたオリジナルの造語です。ほっこりと笑顔になれるカウンセリングを行なっていきたいという想いを込めています。)
◆起業後◆
起業後も夢の実現までの道のりは長く、今も紆余曲折の連続です。
通信業界、広告業界、出版業界、医療機器業界など、さまざまな業界で接客・サービス・営業などの経験を積んできました。
苦労してきたぶんだけ、人の心の痛みを理解し分かち合いながら、明確な方向性と穏やかな笑顔を導く『ソリューションカウンセリング』を行なえていると自負しています。
『吉田酒店』は、まだ私の心の中で生きています。
現在は、『吉田酒店』のおもてなしの精神をしっかりと受け継いで、企業研修から、経営者やアーティストの方などの個人カウンセリングまで、柔軟に対応しています。
色彩心理カウンセリングを通して、たくさんの人の笑顔を見ることが私の生きがいです。
いつか、あなたの笑顔にもお会いできることを楽しみにしています。
以上が、私のリールリールにかける想いです。
最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました。