皆さんは

なんだか胸や首のあたりが

モヤモヤしたり

 

突然

胸が締め付けられるように

苦しいと感じたり

頭が重いと感じたり

 

とても息苦しい時

 

どう感じますか?

どう考えて

どう反応し

どう対応していますか?
 

「うわわわーん笑い泣き」みたいな時です

 

 

 

 

 

ちなみに以前の私は

 

 

「これはパニック発作みたいなものが

 起きているな

 おそらく今、あんなことや

 こんな心配事がいっぱいあるから

 それで体がこんな風になっているんだ

 ああ〜……つらいなぁ

 苦しいなぁ

 悲しいなぁ

 

 いつまでこんな絶望的な状態が

 続くんだろう…」

 

 

ただ嵐が過ぎるのを耐える様に

そんなツライ気持ちが和らいでいくのを

何時間もただ

ソファで座り込んで

身動きも取れずにうつむいて

絶望しながら待って

過ごすようなことがありました

 

結構ほぼ毎晩ゲロー

 

 

 

そして

脱うつしてしまった今は

どうかといいますと

 

 

実は今日

前述のような状態……

 

なんだか胸や首のあたりが

モヤモヤして息苦しく

胸が締め付けられるように感じたり

頭が重いと感じたりして

 

決していい気分とは言いがたい状態に

なっていたのです滝汗

 

なんだか胸が苦しくて

泣きたい気分にまでなってきました笑い泣き

 

しかもなんだか憂鬱ゲロー

 

 

その時の私は

そんな自分に対して

「どう対応したか?」というと

 

 

 

 

 

 

「ああ、体が泣きたがってるんだな

 泣いてもいいよ

 涙を出してもいいよ」

 

と、心の中で言葉をかけたのです

 

「肩や首が重いのなら

 少し回したり

 ストレッチしたりして

 少しでも体のストスレが

 軽減するようにしよう」

 

「息苦しいなら

 とりあえず落ち着いて

 深呼吸でもしよう」

 

「喉は渇いてないかな?

 頭が重いのは、目も疲れている?

 ホットアイマスクはどうだろう?」

 

「足の冷えを感じるから

 久しぶりに温かいお風呂に浸かっても

 いいかもしれない」

 

 

 

そんな風に

 

「体の感覚」

「体感」の方に意識を集めて

今「体が感じている不快感」を

緩和する方向に努めたのです

 

シンプルに

「喉痛いから飴なめよう」

「尿意があるから排泄しよう」

みたいに

「涙意があるから排泄しよう(泣こう)」

という感じです真顔

 

 

「泣きたい」という「体の反応」に

「記憶や感情的な意味」を混ぜて

考えません

 

 

「泣きたい」からといって

「悲しい」とは限らないなって

今は思っているんですウインク

 

 

 

 

過去の私は
「体の不快感」が起きると

「それが起きている理由」を

過去データから一生懸命考えて

現在の「不快な体感覚」に

過去の「不快な感情」と

過去の「不快な記憶」を結びつけて

考えていて

 

なので

「体の不快感」=「不快な気分と記憶」

になっていたので

 

体の不快感が苦痛で苦痛で

しょうがなかったゲロー

 

 

どういうことかというと

以前の私の思考回路は

「体の不快」には全て

「私が知っている範囲での理由がある」

という思い込みがあったので

 

 

例えるなら

「肩が凝ってるのは彼に振られたからだ!」

「息苦しいのは母が私を責めたからだ!」

「頭が痛いのは友人のせいだ!」

「泣きたいのはお金に困ってるからだ!」

 

というくらい

「体の不快」に思いつく限りの

ネガティブな理由を「関連づけて」

自分責めして遊んでいたのですゲロー

 

 

でも実際のところは

どうなんでしょうか真顔?

 

 

肩が凝っているのは単純に

昨夜PC作業の夢中になりすぎたせいかも?

 

頭が痛いのは気圧のせいかも?

 

泣きたいのは、脳に宇宙のはるか向こうで

発生したなんかしらの磁場が

視床下部とかそういうのに

影響したのかも???

 

 

人間レベルで

過去データを参照して思いつくような

理由とは限らないかもしれないなって真顔

 

 

だから

今まさに車の下敷きになってて

出血して死にかけている

みたいな

「体が不快な理由が明確な場合」を覗いて

 

 

「なんだか体が不快」という時

いちいち理由を考えて

自分責めして不快になったり

憂鬱だと感じるパターンは

やめることにしたんですウインク

 

 

だってはるか銀河の向こうで

起きていることも

地球の大気のことも

本当のところはどう考えたって

私ごときの頭ではわからないことも

あるからニヒヒ

 

 

所詮人間の体は地球の一部だから

そりゃわかんないくらい

大きなスケールの影響受けることも

普通にあるでしょうってウインク

 

 

だから今は

 

「うん、お腹痛いから💩しよう」

くらいの感じで

「うん、涙出したければ出そう」

 

 

それで終わりで

いいんじゃないかって真顔

 

 

だって、体がそうしたいなら

そうさせてあげようと

 

そこにいちいち過去の辛かった記憶や

感情を関連付けないで

 

ただの体の反応として

起きていることに丁寧に

対処していく

 

これで充分だと思うのですウインク


 

「体が不快な理由」を

「頭を目一杯使って考えて」

脳内自責ドMゲームをするのでなく

 

「体の感覚」に集中して

少しでもラクになるように

整える

 

 

 

「あ、私、自責ドMゲームしちゃう

 クセあるな〜ニヤニヤ

 

と気がついてからは

 

「もうその遊び方は充分だわ、やめよゲロー

 

 

と私は「決めました」

 

なぜならそれが私にとって

「いい気分じゃなかった」から

 

 

 

頭で考えて苦しむ前に

体に聞く

 

 

体の感覚に集中している時は

過去のことも

現在のことも

同時に考えて苦しんだりすることは

出来ません

 

 

ただ難しく考えずに

体を大事に労ってラクにさせてあげて

整えてみてください

 

目一杯自分の体に

集中してみてください

 

ツライ考えにはまり込んで

しまっている時こそ

効果的ですウインク

 

 

気分だけめちゃくちゃ良くて

頭はすごい痛い!

みたいなのって無理で

 

 

いい気分って結局は

「体の調子がいい時」なんですよねウインク

 

 

皆様もいい気分でお過ごし下さいデレデレ


 

 

 

 

 

キョロキョロ話しているだけでなんだか楽しくて

気分が軽くなってくる

「逢川の個人セッション」

現在は…

 

8月下旬以降のお申し込み

受付中ですウインク

 

 

深い悩みじゃ無くても全然OKウインク

楽しくおしゃべりしましょデレデレ

気軽に会いに来て下さいね

 

やりたいことをやって

好きなことを仕事にして

生きていこう

 

 

こんなフレーズ

 

本当にここ数年の間で

当たり前の様に聞かれる時代に

なってきていて

 

それ自体は

 

一昔前まで

結婚相手すら

職業すら

選べない時代があったことを思えば

 

随分多様性が認められる時代に

なってきたなぁと思いますウインク

 

 

その反面

 

 

「だったらやりたいことが特にない

 私はどうしたらいいんだ?」

 

「世間ではどうやらやりたいことで

 生きていくのがスタンダードに

 なりつつあるらしい

 しかし私には大きな夢がある訳でも

 とりたてて才能がある訳でもない」

 

「趣味はある

 でも別にそれを仕事にしたいとは

 思っていないし…できるとも思わない」

 

「やりたいことをやれって言われても

 どうしたらいいかわからない」

 

「なにか……何か人様が持っている

 ちょっと大きな夢とか探さないと

 いけないのかな、そしてそれを

 仕事にしなきゃいけないのかな」

 

 

そんな風に……

 

「自分らしさ」と「夢」を見つけられない

自分迷子みたいになってしまったり

焦ったりしている方

いらっしゃるんじゃないかと

 

 

 

それで

なぜ今日

こんなブログを書いているかと言うと

 

 

私自身が今日

そんな気分だからなんですね真顔

 

 

 

「なんか特に夢とかやりたいことないな」って真顔

 

 

 

例えば今

神様が目の前に現れて

「なんでも夢を叶えてあげよう

 さて何をしたい?」

とか聞かれたとして

 

「神様、私

 今日は特に叶えて欲しいことは

 ありません

 なんとなく、こうなったらいいな〜とか

 ああなったらいいなぁ〜とか

 ふんわり感じることが

 ないこともないんですが

 

 別にどうしてもって程の

 強い気持ちではないので

 叶わないなら叶わないでもいいし

 今は今で

 そんなに悪くないんです

 まあちょっとクサクサはしてますけど

 でもそれも許容範囲だし

 

 本当に特に今すぐどうこうしたいとか

 ないので

 そうですね〜

   

 とりあえず10億ぐらい口座に

 入れといて下さい

 非課税のやつ

 後から考えます」

 

 

って気分なんです真顔

 

 

 

そう、なんにもしくたない

夢とかないし

別に叶えたい気分でもない

 

 

そんな時もある私ですが

「それでも全く問題ない」

ということについて書きますウインク

 

 

 

さて

逢川のやっている個人セッションでは

「特にやりたいことが思いつかない」

「ないです」

 

という方には

 

「今、10億あったら、何したいですか?」

 

という例え話をしてみて

クライアントさんの中にあるかもしれない

小さな「やりたいことの種」を

見つけようとします

 

 

すると

「世界旅行」っていうのがとても

多いですウインク

 

 

どうしてこの答えが多いのかなと

考えた時

世界旅行って

「時間」と「お金」に縛られず

「自由に使う」象徴みたいな

イメージがあるのかなって

 

 

なのでつい

「世界旅行」って答えてしまう方は

「時間とお金」に不自由している

自由に使えていないって

思ってらっしゃるのかもしれません

※私を含めて

 

 

実は本当に旅が大好きな人は

めちゃくちゃこだわった

旅での具体的な過ごし方が

「やりたいこと」として出てくるし

 

そもそも

「一年の中で先に旅にいく日程を決めて」から

そこに合わせて

仕事をして資金の準備をしてたりするので

 

旅好きな人達は本当に頻繁に

旅行に行きます

息をするように旅をしています

 

もはや衝動的とも言える形で

航空券を予約したり

ホテルを検索したりしていて

 

 

そもそも旅慣れしているので

旅に行くことに抵抗がまるでない

 

 

つまり

本当にやりたいことって

「10億」の条件がなくても

既に「なんとかして」やってたりします


 

 

だから、

「10億あったらやりたいこと」の答え

としての海外旅行は殆ど

本音ではないように思うんです

 

「お金と時間」の条件が揃わないと

やれないことは

多分「本当にやりたいこと」とは

少し違うと思うのです

 

 

そうは言っても

時間とお金の制約を外して

自分の人生を考えてみる、というのを

して頂くために

この質問は必要な限り

やめないのですけど

 

 

なので大事なのって

「じゃあ海外旅行から帰ってきてまだ

 10億ほぼ残ってますけど、どうします?」

ってところからだと思うんです

 

 

映画「マトリックス」みたいに

必要な資格やスキル、才能があれば

首の後ろに機材を差し込んで

すぐさまDL出来るとして

 

才能もお金も時間もあったら

何したいですかって

 

 

そこでやっと

人に勉強を教えるのが好きなので

学校とか作りたいです

 

とか

 

料理を作るのが好きなので

お店をやりたいです

 

とか

 

決められたことをこなすのが

好きなので

今の仕事も実は好きです

 

とか

 

恥ずかしそうにおっしゃるのですね

 

 

 

そうして伺っていてつくづく

思うのですが

 

 

「夢なんて、でかくなくていいじゃん

 やりたいことって、日常の

 地味で些細なことの延長でも

 全く問題ないじゃん真顔

 

 今日タピりたい、とか

 お肉食べたい、で全然いい

 

 ないないないないって

 おっしゃるけど

 本当はやりたいこと

 あるじゃないですかウインク

 

って

 

 

最初から

「海賊王に俺はなる!」

みたいな壮大な夢を持っている人も

いるんですが

 

 

大抵の人は

やりたいこととかを少しずつ

試し打ちしたりしながら

「これはどうかな?あれはどうかな?」って

自分のやりたいことを

「知ったり、気づいたり、見つけていく」

もののように思うんですウインク

 

 

そうして日常のささいな

「やりたいこと」

 

例えば今日カレー食べたい

とか

明日、あの人とお茶したい

とか

疲れてるけど風呂に入りたい

 

みたいなことを

どんどん「自分で叶えていく」と

自分の「やりたいこと」を叶える

自信がついてきて

 

「やりたいことや夢」のスケールをも

「育てていける」と思うんです

 

 

例えば私は子供の時から

漫画を描くのが好きで

小学校の時はノートにエンピツで漫画を

書いていましたが

 

中学校になったら

「本にしてみたい」という気持ちが

湧いてきて

 

自宅にあるコピー機を使って

プリントして10冊ぐらい作ってみて

友達にあげたりしてました

 

自分で「本にしたい」という夢を

そのとき

出来る範囲で叶えたんですね

 

 

だから、高校生になった時に

今度は「オフセットの本を作ってみたい」

と印刷所を使って同人誌を作ることも

抵抗はありませんでした

 

 

そうして

さらに沢山の人に作品を読んで貰える

雑誌などで書きたい

という夢も叶えていくことになるのですが

 

 

着実に小さな夢から自分で叶えて

育てて

 

自分で「ここまではやれる」という

幅を大きくして

大きな夢を

「抵抗なく叶えられる自分をも育てていく」

ということを

してきたように思います

 

 

やりたいことや

大きな夢を持つというのは

それを叶えられる自分を育てていくこと

それを叶えることを自分に「許す」こと

でもあると思うのです

 

 

例えば

「お金を湯水のように使いたい!」

という夢があるとして

 

 

次の日に目が醒めたら

石油王の第八夫人になっていることを

「受け入れられる人」って

どれくらいいるのでしょうウインク

 

※いやこれはこれとして

漫画なら面白いですが

 

 

じゃあ

「ワンピースくらい売れてる有名な

 漫画家になりたい」

っていう夢があるとして

 

すぐにジャンプで週刊連載出来る

権利をもらったとしても

それを書き上げる作画スピードや

アイディアが自分に備わっていて

かつ、その状況を楽しめるか

ということなんです

 

 

「夢を叶える準備は出来てますか?」

 

「やりたいことをやる許可を

 自分に出してますか?」

 

 

ウインク

 

 

 

 

だから今

 

やりたいことがなてくも

夢がなくても

全然問題ないんです

 

焦る必要はいっさいないと思うんです

 

 

だってきっと

自分や夢を

育てている最中なんですもんウインク

 

 

「叶えたい夢」や

「使命だと感じること」

「やりたいこと」って奇跡みたいに

突然出会うこともあるんですけど

 

 

降って湧いたような

大きなチャンスを掴めるかどうかも

 

 

日々、些細な願望を自分で満たして

叶えていきながら

「いつ夢が叶ってもいい自分」と

「夢」を同時に育てているかどうかだと

思うのです

 

 


 

 

 

それでですね

「いや、それでも私自分探しの迷子なんです」

という方には

 

オススメしたいことがあるんですが


 

 

結局いつも

ここに戻ってしまうんですけど

 

 

地味に地道に自分の体と心の

機嫌を取り続ける

「地味ゲー」

 

こりずにやってみて下さいニヤニヤ

簡単です

 

 

「地味ゲー」のプレイ方法真顔

 

プレイ方法1

「今、自分がどんな気分か聞く」

プレイ方法2

「何感じててもオッケーていう」

プレイ方法3

「もっとホッとするには何が出来るか聞く」

プレイ方法4

「思いついたことやってみる」

 

「漫画で分かる地味ゲー」はこちら

 

※もっと詳しく知りたい方は

過去記事を「地味ゲー」で検索してみて下さいウインク

 

 

 

 

 

 

 

 

些細な自分の体や心の欲求に耳を

傾け続けて

世話をしていると

 

 

結局自分に自信がついてくるし

「あれやりたい!」という些細な

自分の中から湧いてくる声を聞き取る

能力が上がってくるんです

 

 

大きな声って

無視出来ないし

聞き逃せないじゃないですかウインク

 

 

ただただ

自分の中から湧いてくる

「やりたい」を些細で地味なところから

叶えていける自分になると

 

 

気がつけば

大きな夢を持っている自分

それを叶える自分に

なっていくと思うのですウインク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆逢川個人セッション◆

現在は…
 
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セッション詳細や料金など詳しくはこちらのHPにて

 
 

最近、時々

衝動的に色んなものが捨てたくなり

 

朝五時に仕事を終えてくたくたなのに

そのまま

私の中の収納断捨離魔神が現れて

本棚を整理し始め

寝るのが8時過ぎてしまったりしている

 

カオスな本棚を整理していると

本当はもう読まないけれど

なんとなく取ってあった本の中に

 

私を含む

大学の同じ学年の同窓生達の

卒業制作や論文をまとめた本が出てきた

 

 

 

正直

この本を取ってある意味はわからない

 

多分

ただなんとなく

捨てる理由が無かったのと

 

これは「また欲しい」と思っても

売っているものではないので

手に入らないから

という

なんか大した理由ではない

 

大学を卒業してから

かれこれ二十年

取っておいた割に

この本の内容をちゃんと読んだことはないし

多分今後もないだろうと思い

 

処分を決めたのだけど

 

 

まあ捨てる前に1度

サラッと捲っておこうか

なんて気分になるのが

人の常でございまして

 

 

もう何年ぶりか

というぐらいぶりに

捲ってみたんです

 

 

そうして

分かったことは

 

まずもう

「これ誰?こんな人いたっけ?

 ええっこんな名前だっけ?」

 

という

私の記憶から完全に抜け落ちている

同窓生がいた、ということと

 

顔写真を見るだけで

苦々しい気持ちが蘇ってくる

同窓生がいた、ということ

 

 

 

そして

自分のページをめくって

卒業制作についての論文を見たら

 

 

もう全然

読めないの

 

文章が頭に入ってこない

 

「この子は一体何を難しいことを

 難しっぽく書いてるんだろう」

 

って感じで

 

 

もはやこれは

「私じゃないな」

 

と感じるほど

今の自分から遠い存在になっている

二十年前の私

 

 

 

このページが一番ニガイ

 

 

 

 

普段

記憶にも上ってこない様な

苦さが

 

ただの紙をめくり

文字を読み

写真を見るだけで

 

うすぼんやりとではあるけれど

蘇ってくる

 

 

 

 

強烈に

「もうこの当時の私には

 戻りたくないなぁ」

 

と思った

 

 

 

 

20年前の「私」とは

 

 

 

大学で熱心に作品を作っている

他の同窓生達ほどの熱を持てず

かといって

根拠のないプライドだけは人一倍に

肥大して傲慢で

尊大で

 

論文を読む限りには

大学の四年間で脚本を20本程度しか

書いておらず

 

個性的で才能のある

イキイキとした同窓生達を

羨望の眼差しで眺め

 

団体行動が苦手なのに

一人で過ごすのも苦手で

笑顔を振りまいては

広く浅くつき合い

 

学校内に居場所を持てない

空虚感をいつも抱え

 

家に一人で居るのが耐えられなくて

いつも何かしらのバイトをして

気を紛らわせ

 

自分が創作で食べていけるなどとは

到底思えなくて

親を安心させる為に

就職をしようとしていて

 

ほんとうは作家になりたいのに

それを認めることも出来なくて

 

 

とにかく

自分らしさとは真逆に

必死に生きていた

 

苦くてしんどい「私」だ

 

 

非リアもいいとこだった

 

 

 

私の人生における二十台は

苦さや痛みの方が

多く蘇ってくる

 

 

 

二十代って

いろんなことが恥ずかしく感じるし……

つまり人目を過剰に気にしていたし

いつも自分が他人にどう思われるかを

気にしていたし

 

人生は自分の思い通りになど

絶対にいかないと信じていたし

絶望すると同時に

ありあまるエネルギーを焦がして

持てあまして

 

 

嫉み

うらやみ

怒り

バカにし

攻撃し

卑下し

依存し

否定することに

 

多くのエネルギーを使う余裕すら

あった

 

 

 

そんな私が

それから数年後に「うつ」になるのは

当然といえば当然で

 

 

自分が外に放ったエネルギーは

善し悪しにかかわらず全て

自分に返ってくる

 

 

愛を放てば愛として

怒りを放てば怒りとして

不信を放てば不信として

 

 

自分をとりまく「今」をみれば

以前の「私」が何を

放ったのかが

形として見えてくる

 

 

 

「今」の私は……

 

 

 

このブログを打っている今は

ちょっと胃が消化不良を起こしているのと

明日が締切なのに

全然原稿が終わってないことを

除外すれば

 

概ね気分がいい

 

 

猫は幸せそうに床に落ちて寝ているし

本棚は片付いた

最近はまっている

氷出し緑茶も美味しいし

知人、友人達にも恵まれていて

大きなトラブルはない

 

そして別に

明日万一死んでしまっても

それはそれ

と感じられる程度には

日常的に感じやすかった不安や恐怖を

和らげる術をしっかり身につけている

 

 

今の私は

自分を自分で満たすことが

出来る様にもなった

 

 

それもこれも

 

 

このニガイ気持ちを目一杯

感じながらも

必死に頑張って生きてきた

過去の私があるからだと思うと

 

 

 

「大変だったねぇ…

 よく頑張ったねぇ」

 

 

と過去の私を労う気持ちが

苦さに増して湧いてくる

 

 

 

 

量子力学の世界では

今というこの瞬間に実は

過去も未来も現在も同時多発していて

「全ての瞬間がある」と言われている

 

 

今ここにいる私と同時に

20年前の私も存在しているの

だとしたら

 

 

少し時間はかかるけれど

気分のいいところまで来られる未来が

あると

過去の私に次元を飛び越えて

教えてあげたい

 

 

様々なことが

移り変わっていくけれど

 

色んなものを手にいれて

色んなものを手放して

沢山の出会いと別れがあるけれど

 

 

概ね気分のいい感じのところに

来られると

未来の私が過去の私の守護霊に

なるみたいに手招きしてあげたい

 

 

「大丈夫だよ その方向で合ってる

 なんにも間違ってない

 ここに来られるよ」って

 

 

 

過去の私よ

本当に頑張って生きてきてくれて

ありがとう

 

 

 

今日

この本を手に取って

久しぶりに苦くなり

感謝出来たのも

何かのタイミングかもしれない

 

 

 

 

結局この本を処分するのはやめた

 

 

数ヶ月後か

数年後かわからないけれど

 

 

また少し先の「私」が見た時に

 

まだ苦くなれるのか

それとも全く違う感じ方をするのか

興味がわいてきたから

 

 

 

3㎝ほどの厚さのあるこの本の中にいる

同窓生達の中で

未だつき合いのある友人は

片手で足りる程だけれど

 

 

その全ての友人が自分らしく

健康で

それぞれの人生を謳歌していることが

何よりもありがたいし

 

 

片手とはいえ

20年経っても心を通じ合える

友人に恵まれたことは

当時の私が誇ってもいいことかもしれない

 

 

ありがとう

過去の私

 

色々大変かもしれないけど

もうちょっと頑張って

楽しんで

ここまで来てください

 

 

 

……とここまで書いて気がついたのだけど

 

 

きっと今

 

さらに20年後の

おばあちゃんになった私が

 

「20年前の私よ 今はさらにいいよ

 安心して年取ってね」

 

って思っている気がしてきたぞ

 

 

もう今日は早く寝よう

なんかいい夢、見られそうな気がする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆吉祥寺のセラピー&数秘術

 
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コミケが終わったら
久しぶりにグループセッション
やろうと思いますーウインク