万世一系の国、日本。
天皇は、国民を【大御宝 おおみたから】とし、常に国民に寄り添ってこられた歴史があります。
こんな国は他国には無いです。
ほんとうに誇れる国、それが日本です。
この動画は、天皇陛下が如何に国民に寄り添ってくださっていたのかがよくわかるエピソードでした。
【海外の反応】「こんなところに!」終戦後、天皇が15年住んだ皇居が半世紀ぶりに大公開されると、世界中が絶句した理由が…
私は知らなかったのですが、
数年前、宮内庁より戦時中昭和天皇が生活をしていた住居の写真が公開されると、
海外からは、
「日本の天皇がこんな場所に住んでいるわけがないだろう。このニュースは、
フェイクなのではないか。」という話題になったということです。
しかし、それはフェイクでは無かったのです。
「いつ空爆されるかも分からない中、国民を置いて自分だけがおめおめと逃げるわけにはいかぬ。」と、ギリギリまで昭和天皇は避難することはせず、最後まで疎開をすることもなさらなかったということです。
昭和天皇が暮らしていた防空壕は、地下深く掘られた所で、水が染み出し、湿気が多く、水がポタポタ落ちて、スーツを吊るしておくと一両日で絞れるほどの水を含み、呼吸をするのにも体力を使うような湿気がまとわりつくような部屋だったそうです。
侍従の者が「天皇陛下をこんな場所に住まわせてはいけない」と、御所の新造を何度も提言するも昭和天皇は決まって首を横に振り続けられたと言うことです。
「国民には住む家のない人もいるのに私はこれだけのものがあるのだから新しい住まいなど不要」と侍従からの進言に聞く耳さえも持たれなかったそうです。
「まだ戦争で傷ついた国民は多くいる。私は国民に寄り添っていたいのだよ」と言って新居には移らないと話されたとのことです。
天皇陛下の教育係の乃木学習院院長が「穴の開いているのを来てはいけないがつぎの当たったのを着るのはちっとも恥じゃない」とお話をされたことから、昭和天皇は「穴の開いたのにはつぎを当てておくれ」と侍女に語られ燕尾服用のオーバーの一着をつぎはぎしながら18年も着続けられました。
学生服も同じようにつぎはぎだらけになっているのです。
他にもボロボロのスリッパを履き続けられており、「国民が大変な生活をしているのにも関わらず日常生活用品はこの程度で良いのだ」と、新しいスリッパを渡されても履き替えることをなさらなかったのです。
結果、昭和天皇はあの防空壕の中で穴の開いたスリッパを履き続け、いよいよ
スリッパの体をなさなくなった時にようやく新しいものへと履き替えられたと言われています。
さらにご自身から何かを望まれるということはなかったと言われており、
それは食べ物に関しても同様だったと言います。
自分からあれが食べたいこれが食べたいということは1度もなかったそうです。
しかも終戦後の1950年頃に昭和天皇が食べる食事に関して侍従が進言したところ
「私のためにお金のかかることはむしろやめて困っている国民も多い時代なのだだからその点をよく考えてください」と侍従をたしなめられたと言います。
このとても慎ましやかな精神は昭和天皇から上皇天皇へと脈々と受け継がれているのです。
常に国民を思い、慈しまれる天皇のお姿に感動を覚えます。
世界中のどこにもない愛情主義国家、日本。
そんな誇れる国に生まれた私たち日本人は、この美しい日本を
なんとしても守っていかなければなりませんね
美しい国、日本を守りましょう!
ぜひ、『助け合い主義』をご研究ください。
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