こんにちはレキオ上郷です。

 

関ヶ原の戦いで

徳川家康と天下分け目の合戦を

主導した石田三成。

 

あの家康に勝負を挑むほどの男ですから

どれほど大きな勢力だったのだろうか、

と思う人も多いかもしれません。

 

 

しかし、三成の領地はわずか19万石で 

近江(滋賀県)の小さな領主にすぎませんでした。

 

そんな彼が天下分け目の合戦の中心人物に躍り出ることは

驚くべきことでした。

 

何しろ敵側の大将・徳川家康は

関東平野一帯に250万石もの領地を持っている武将です。

 

なぜ弱小勢力の三成が

歴史の中心に躍り出ることができたのか?

 

それを可能にした三成の才覚を

分析していきましょう。

 

 

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織田信長が活躍した戦国時代に

信長の下で飛ぶ鳥を落とす勢いで出世していった豊臣秀吉。

 

そんな秀吉の目にかかり仕えることができたことで

チャンスをものにしたことが石田三成が成り上がる

きっかけになったことは間違いないでしょう。

 

 

有力者に認められ、引き上げてもらう

ということは今の時代でも

成功する為に、重要なことの一つとなります。

 

 

そんな有力者である大物に自分を認めさせる

説得術を石田三成から学んでいきましょう。

 

 

秀吉の家臣で戦地で活躍する武将の加藤清正や福島正則のような派手で華々しい仕事ではなく

石田三成は以下のような主に縁の下の力持ち的な

裏方役割を担いました。

 

 

検知・・田畑を調査し年貢を決定する

 

財政・・税の徴収、予算の編成など豊臣政権の経済を運営する

 

補給・・戦争の最前線に物資(兵糧や武器など)を送る

 

査定・・武将たちの成績(戦果)の調査および評価

 

外交・・秀吉と各地の大名、外国の間を取り次ぐ

 

 

人に注目されないような目立たない地味な仕事も多いですが

なくてはならない必要不可欠な土台になる仕事ともいえるでしょう。

 

 

収入の確保、予算や財務のやり繰り、スタッフの業績評価、

必要物資の補給、他社との交渉など

 

 

三成の役割を見ると現代の政治やビジネスとの共通点が非常に多いですね。

 

 

三成は合戦での華々しい手柄は無いものの

組織全体のマネジメントに手腕を発揮し

武将の加藤、福島以上に

秀吉に重用されるようになっていったのです。

 

 

しかし、このことが後に

武断派と呼ばれる武将たちの反感を買い

後に文治派と呼ばれる石田三成との対立を生み出してしまう

ことにもなりました。

 

 

石田三成の説得術 ポイント1 誠意と心意気

 

石田三成がまだ4万石の領地しか持っていない頃、

有力武将の1人である島左近を説得する際、

2万石の領地を譲ることで配下にならないか、と

オファーを出しました。

 

島左近の腕では2万石は安いものでしたが

石田三成からすると自分の財産の半分を差し出している

という事実に

島左近が誠意と心意気を感じ

三成の配下になったというエピソードがあります。

 

この交渉で島左近を説得できた成功が

後の関ヶ原の戦いで獅子奮迅の活躍で

活かされることになったのです。

 

 

石田三成の説得術 ポイント2

日頃からの人間関係の形成

 

家康という大きな勢力と戦う為に

石田三成の力不足は否めませんでした。

 

そんな矢先に三成が選択した一手は

自分より力のある中国地方の覇者・毛利輝元を説得し

自軍の大将に据えることでした。

 

 

なぜ中国地方の覇者・毛利輝元が三成の提案に応じたのか?

 

それは三成が日頃から毛利輝元と親密に協力関係を築き

豊臣秀吉の没後は豊臣政権を支えていくことを

誓い合ってきたからに他なりません。

 

 

石田三成の説得術 ポイント3

影響力ある第三者の後押し

 

さらに毛利輝元の説得するにあたり

毛利家に大きな影響力を持っていた

僧侶・安国寺恵瓊を味方につけ

輝元を口説き落としました。

 

 

石田三成・運命のターニングポイント

他派閥との対立を克服できず

 

このように弱小勢力でありながら

徳川家康という巨大な勢力と

天下分け目の関ヶ原の戦いに挑んだ三成でしたが

とうとう彼の武運も尽きて三成の軍は敗れ去りました。

 

 

敗因の原因は配下の寝返りなど三成側の軍には

戦意の低い武将が多かったことが挙げられます。

 

加えて大きかったのは

前述の豊臣政権下で対立していた武将の加藤清正と福島正則が

敵側の徳川家康側についたことでしょう。

 

豊臣政権を守る為に戦ったにも関わらず

同じ豊臣政権下の武将に裏切られたことに

石田三成の器の限界があったことが推測されます。

 

 

終わりに

 

石田三成は最後まで身内の内部の争いを克服できずに

敗れ去りはしましたが

自分より大物に臆することなく説得する交渉術は

頭が切れる知恵者として見習う所も多々あるといえるでしょう。

 

 

現代のビジネスに通じる点も多いことから

成功する為に石田三成の優れた点を取り入れて

失敗した点を反面教師に活用していくことを

おすすめいたします。

 

 

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