この密集地域を意図的に狙った爆撃に投入された特別仕様のB-29は、爆弾槽ペイロードを増加させるため、尾部銃座を除く上下左右の機銃および弾薬・射撃手を全て降し日本の木造建築物を焼き払うべく開発されたクラスター焼夷弾を満載。そして1945年3月10日夜、高度1500m~3000mという異例の低高度で東京に侵入したB29は26万戸の家屋と8万3000人の日本国民をナパームの火の海に葬り去ってくれました。
その爆撃軍指揮官の名はカーチス・E・ルメイ陸軍航空軍少将閣下。
閣下が日本爆撃に使用したB-29は当時最新鋭の2段2速排気タービン過給機を装備し 高度1万m以上の高空を戦闘機並みの速度で侵攻していました。しかし迎撃にあたる日本の高射砲群は射程限界高度が約9000mでドイツのようなレーダー連動はなく成層圏を飛行するB29に手も足も出ませんでした。そして陸軍の局地戦闘機が迎撃に向いますが欧米に比べて過給機技術に劣り、ハイオクタン燃料もない日本機エンジンでは酸素の薄い高空でのエンジン性能低下が著しく、ベテランパイロットでさえB29の飛行高度に到達するのは至難の業でした。
閣下は邪魔する者のいない空から無差別テロ爆撃で日本都市を壊滅させた事にウハウハ味を覚え、戦後、空軍の戦略航空軍(SAC=Strategic Air Command)指令に着任すると「ふはははっ!チェキストどもめ!モスクワも火の海してやるぞ!貴様らの上に水爆を落としてやる!!」と妄想をヒートアップさせます。しかし肝心の核爆弾運搬手段が亜音速のB-52では飛行高度まで簡単にミグが登って来てしまうので却下。B-58ハスラーは超音速ダッシュでマッハ2を短時間出せるものの機内爆弾槽は無く、外部ペイロードに頼っており航続距離も短いため却下。業を煮やした閣下は1954年、次期戦略爆撃機計画案にソ連の地対空ミサイルを振り切るマッハ3.0~3.2の速度(敵地での巡航速度!)と高度70,000~75,000ft(22,860m)で飛行し、アラスカからモスクワまで空中給油なしで往復爆撃が可能な航続力持つ爆撃機の開発を各航空機メーカーに突きつけます
==もし、この要求性能が1956年あたりまでに実現できていれば、B-70が侵攻する高度と速度にソビエト防空軍の迎撃機は登って来られず追いつけず、1950年代前半の地対空誘導ミサイル技術では迎撃不可能な超爆撃機になるはずでした==
閣下は日本の都市をテロ爆撃で壊滅させた実績とソ連の西ベルリン封鎖を空輸作戦を指揮した功績で空軍内部に絶大な権力を握り、空軍の核関連予算をほぼ牛耳っていました。そんな閣下は将官として空軍全体を掌握するだけではなくアメリカ議会にも影響を及ぼし始め、彼の「(B36)戦略核爆撃機さえあれば敵軍の前線を飛び越えて敵国家本体を殲滅できるのです!【安価な】核弾頭が数発あれば戦争は終わります。【非常に安上がりに】戦争が出来るのです。莫大な予算が必要な戦艦や空母はもういらないのです!海軍の空母や戦艦に回す国防予算を是非とも戦略空軍に!」というミッチェルに取り憑かれたような自論をアメリカ議会で展開し、議員たちを戦略核爆撃全能論に引き込んでしまいます。
閣下の言葉巧みな(しかし致命的欠点を内包した)プロパガンダの煽りをモロに喰らった海軍は予算の大削減により、起工したばかりのユナイテッド-ステーツ級空母の1番艦が建造を中止され、合計5隻分の空母建造予算を空軍のB36開発予算へ持って行かれ、海軍長官をはじめ論争に加わった大量の将校が解任されていまいます。その論争の仲裁調停に海軍出身で海軍寄りの国防長官フォレスタルが入っていたのですが、当時、国防長官には現在ほどの権限が与えられておらず、ルメイ閣下と海軍の論争によって心身症となり退任直後自殺してしまいます。そその空母ユナイッテッド-ステーツは戦後アメリカ空軍が唯一撃沈した空母と揶揄されるハメに…
莫大な核関連予算と戦略爆撃機開発予算を獲得し、権力絶頂の俺様ルメイ様の妄想と欲望を乗せたヴァルキリー計画は絶対に閣下の希望通り完遂しなくてはならない予算度外視の至上命令となっていったのです
phot from:us air force nationl museum
未爆装の離陸重量でさえ100tを超える機体を1950年代前半の航空力学でマッハ3に加速させ高度2万m超を飛行させるためはターボジェットエンジン6基並列搭載という力押し&ゴリ押しかありませんでした。NASA
主翼端を25度曲げた遷音速以上の飛行形態。
ヴァルキリーのカナード翼の目的はグリペンやタイフーンのように後流を制御し機体が過大な迎え角をとった時の失速防止や旋回性能向上と言ったものではなく、ヴァルキリーが離陸時に発生させてしまうデルタ翼機独特の強烈な機首下げ↓のモーメントを打ち消して強引に機首を持ち上げる↑ため機首上げ効果がより顕著な機首付近に装備されていました。
そして、主翼端可変の目的は…
1.速度上昇に伴って能力が低下する垂直尾翼の能力を補助する。
これは抗力を出来る限り抑えるため全浮動式双垂直尾翼が設計当初より
必要面積以下に設計されていて(主翼面積比7% )超音速飛行時に発生する
能力不足を主翼端を下降させることによってヨー方向の安定性を確保
(ただ主翼に下半角がつくのでロール性能は過敏に)
2.クサビ型式のエンジンナセルが発生させた衝撃波の一部を可変翼の内側で反射し
衝撃波を拡散させず主翼下に囲い込み後部高圧部の圧力分布を可能な限り均一にする
3.衝撃波の後部で発生する高圧空気により増加する主翼揚力(コンプレッション-リフト)を
主翼有効面積を減少させることで制御。
4.マッハ2以上で超音速流に晒され始める主翼端をマッハッコーン内の亜音速流に収める
NASA
65度可変させたマッハ2以上での飛行形態。
マッハ3飛行時のマッハ角は約20度。そのため約40度の円錐内に主翼端を納める必要がありました。
超音速飛行時、巨大なエンジンナセルは複数の圧縮衝撃波を発生させ、衝撃波後部の高圧空気を揚力として主翼に提供しますが、速度上昇に伴なって徐々に圧中心が機体の重心から後方へ移動することを制御するため、主翼端を可変し揚力面を減少させ圧中心が後方へ移動しないように制御していました。しかし可変させた翼端部分のエレボンが中立位置で固定されてしまうため補助翼面積が1/3ほど減少してしまい機体に更なる機動制約を掛ける事になりました。ちなみにヴァルキリーの旋回半径は約50km。東京ディズニーランド上空で旋回を始めて完了したら富士山の上空…(マッハ3では約8倍)
1号機はロール挙動がなかなか安定せず、そのため2号機では機体安定のため主翼可変部に5度の上反角が付けられ、その後の試験飛行は主に優秀な2号機が担当するようになりました(1号機がマッハ3を記録したのは1回だけ)
空軍による飛行試験中の1号機。
機体下の巨大なエンジンナセルは▲楔形の形状をしていて強烈な衝撃波を発生させ主翼下で効率良く圧縮します。そして主翼下で発生させた衝撃波を下方へ折り曲げた翼端部分が外に逃さぬよう囲い込み圧縮揚力(コンンプレッション・リフト)の圧力分布が均等になるように設計されていました。この圧縮揚力のおかげでヴァルキリーは空気の希薄な超高空でも揚力獲得に必要な抗力を出さず機体の迎え角0度のまま揚力を確保することに成功しました。
この自らが発生させた衝撃波(の後部高圧部)に乗って飛行する飛行形態はウェイブライダーと呼ばれNASAのリフティングボディ機(のちのオービターの原型機)で研究されていました。そこでルメイ殿下の無茶振りに困り果てたノースアメリカン社がNACA(現NASA)で超高々度下、極超音速(マッハ5~)での揚力獲得実験を行っていたアルフレッド・エッガース博士達の機密論文をヴァルキリー計画に応用。
超音速飛行用の機首バイザー(黒い部分)がせり上った状態。
コックピットを衝撃波の背後熱から守り、低速時や離着陸時には格納してパイロットの視界を確保…とは言うものの超音速飛行時はいくら計器飛行とはいえパイロットたちは全く視界が取れなかったことでしょうNASA
XB70はモスクワまで無給油往復爆撃しようとした機体なのでエンジン出力や燃費効率向上にも色々なアイデアが盛り込まれていました。エンジンナセルで発生させた圧縮衝撃波をインテーク内部ベンチュリー部分で反射させまくりマッハ3の気流を亜音速まで減速させて圧縮タービンに導くことでタービンブレードが圧縮する手前で高圧縮空気の獲得に成功し酸素濃度が極端に低い超高空でもエンジン出力を確保できました。しかし速度と航続距離にスキルを全振りしたため、機体の機動について著しい制約が設定され、加速度(G)制限も偵察機SR71ブラックバード同様に旅客機以下しかなく、特にマイナスGに関しては厳しく制限されていました。それは敵地に進入しても予定のコースを急に変更することができない事を表し、さらに主翼下に垂直に配置された巨大なエンジンナセルが盛大にRCS(レーダー反射断面積)を増大させ遥か彼方からのソ連レーダーにハッキリくっきりと探知される可能性が示唆され、計画に暗雲が立ち込める原因となっていきます
機体を覆う純白の耐熱塗装は衝撃波の背後熱に耐える事が第1の目的ですが、第2にヴァルキリーが搭載予定だった先制核攻撃用20メガトン級核弾頭の爆発による電磁波を反射させる事。そして第3に2万m以上の超高空を飛行時には太陽からシャレにならないほどならないほど電磁波が大量に降り注ぐため反射&防御する目的もありました。
映像では高速飛行試験後に衝撃波後部の高熱よってステンレス製のハニカム構造外皮が膨張/収縮する影響で耐熱塗料が「障子紙を破いた」ようにボロボロと剥がれ落ちて焦げ焦げの散々な姿で帰投しています(9分33秒~参照:よく見るとチェイサー機はB58ですw) マッハ2付近までの機体温度は概ね100℃以下ですがマッハ3を目指す実験ともなると衝撃波の背面高圧部は300℃を超え、機体にあまり面白くない事態を引き起こしました (09分33秒 参照)
1号機はこの問題にずっと悩み続け、超音速飛行試験は、もっぱら改良された2号機で行われるようになりました(原因は耐熱塗料の重ね塗りw)
XB70試作2号機と空軍F4・F5とT38。NASA所属F104Nとの5機によるV字飛行
1号機との違いは2号機の機首レドーム下が黒く塗られている事と機体安定のために主翼可変部に5°の上反角があり翼端可動角度が30°と70°となっている事でした。
この写真は…ジェネラル・エレクトリック社が空軍に依頼した
ジェネラル・エレクトリック社製エンジンの搭載機による
ジェネラル・エレクトリック社のための広告用編隊飛行。
各々、別のフライトプランを提出して別の飛行場から飛び立ち現地集合。空軍によるメーカーへのサービスだったのでしょうが、現代では考えられませんねw
しかし、この直後に悲劇が…
空中衝突!
足の遅い撮影機に速度を合わせる為、亜音速以下の速度では必要のない主翼可変し機体の背面から飽和水蒸気を発生させるほどギリギリの迎え角をとっていたヴァルキリーの右側にいた赤い垂直尾翼のF104N(NASA所属)が右主翼に接近し過ぎてしまいヴァルキリーの翼端後流に巻き込まれてしまいました。
F104Nはヴァルキリーの主翼上を横転しながら右主翼と右垂直尾翼の一部を破壊し、左垂直尾翼はなぎ倒して全壊させてしまいます…
皮肉なことに、この時F104Nを操縦していたのは、ヴァルキリー次期機長候補でNASAのリサーチパイロット J.ウォーカーでした…
ホワイト大佐たちは最初何が起こったのかわからず、しばらく水平飛行していましたが随伴機からの無線でやっと致命的な事態を把握しまが、やがて制御不能のフラットスピンに陥り空中分解しながらモハビ砂漠に墜落して行きます…
この時、機長席をクロス少佐に譲っていたホワイト大佐は脱出を試みますが脱出カプセルのクラムシェル・ドアに腕を挟まれしまい、腕を引き抜き機体からの脱出に成功。しかし着地時にカプセル下側の着地用エアバッグか開かないという二重アクシデントに見舞われ、生還はしたものの内臓損傷の重症を負い、脱出できなかったカール・クロス少佐は機体と運命を共にしました。
こうしてヴァルキリー2号機は飛行時間92時間22分の生涯を閉じたのでした
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★スプートニク From CCCP!★
ソ連、スプートニクを衛星軌道へ投入成功!
イコール→大陸間弾道弾の開発成功?
1957年「フハハハ! わが同志たちは大陸間弾道ミサイルも開発に成功した!」
(ヴァルキリー計画予算が議会承認されたのは翌年の1958年)
フルシチョフ書記長からハッタリメッセージを額面通りに受け取ったアメリカ軍上層部は、空軍の戦略爆撃機がノンキに水爆を運搬している間にソ連の核ミサイルが高度1000km以上の弾道軌道から再突入し、アメリカの都市を次々と消滅させる事態を予見し戦慄。しかしスプートクは周回軌道投入に成功しただけであって、狙った場所に着陸させる技術は無く、フルシチョフは衛星軌道投入後どこに落ちるかわからず大気圏突入で燃え尽きてくれる人工衛星という手段を使って『大陸間弾道弾開発成功!』と世界に嘘アピールしたのでした。
原爆は開発当初、巨大で重量が何トンありも水爆に至っては三重水素を核融合させる起爆装置として原爆が使用されていて更に巨大。これを運搬できる爆撃機は限られていたました。しかし開発が進み爆縮装置の小型軽量化や効率化、そして核弾頭本体の重量と大きさがミサイル弾頭に搭載なサイズになりつつある事をアメリカ軍上層部も十分承知していたためアッサリとフルシチョフのハッタリに引っ掛かってしまったのでした(涙)
この出来事は爆撃狂ルメイ閣下が膨大な予算を注ぎ込んだ戦略爆撃自体を過去の遺物にし、更には当時のアメリカ防空システムを役立たずにしてしまいす。
ほぼソ連爆撃機だけを迎撃目標として運用されていたSAGE防空システムでは軌道速度から再突入してくる核弾頭のスピードに対処できず、空軍の迎撃戦闘機もソ連爆撃機が飛来する可能性がゼロになったことでF106のように部隊配備されて即退役させられる機種も出てしまいます。マクナマラ国防長官も「地球上のどこにでも90分以内に着弾できて、打ちっ放しなら核弾頭のキャリアとして爆撃機よりミサイルの方が費用対効果がいいな!それに僕はルメイ君が昔から嫌いだから。」と、ヴァルキリー計画に開発中止命令を出します。そして試作機も作られないまま2機の実験機のみで計画は打ち切りとなってしまいました…
弾道ミサイル技術でソビエトに後れをとったアメリカ空軍は核弾頭の運搬手段にすぎない核戦略爆撃機に見切りをつけ大陸間弾道ミサイルの早期開発と防空システムの再構築、そして海軍はSLBM潜水艦発射弾道ミサイルの開発に血道をあげることになります。(この頃にコロラド州シャイアン山の大岩盤に大穴を空けて核戦争に耐える空軍基地を作るわけですw)
1954 ルメイ閣下、ヴァルキリー計画をスタート
1957 スプートニク 衛星軌道への投入に成功
1958 ヴァルキリーの開発予算が議会承認される(閣下権力絶頂!)
1959 アメリカ初のICBMアトラス実戦配備
1960 U2偵察機撃墜される
当時、CIA御用達のU2偵察機が高度27,000m以上の高々度から
ソ連上空を頻繁に偵察しまくったため、フルシチョフが頭に血を登ぼらせ
自軍の地対空ミサイル技術を一気に進化させた結果 …
U2は新型地対空誘導ミサイルS-75(NATOコード SA-2ガイドライン
ベトナム戦争でアメリカ空軍をコテンパンにするミサイル)を一度に14発も
撃ち込まれて撃墜されてしまいます。
ヴァルキリーの初飛行以前にもはや2万m以上の高空も安全ではなくなって
いたのです(ゲーリー・パワーズ事件)
1961 アメリカ ICBMタイタンⅠ実戦配備
1961 ソビエト ガガーリン:ボストーク1号で有人地球周回軌道飛行に成功
1961 アメリカ マーキュリー7有人軌道飛行成功
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1964 ヴァルキリー1号機が初飛行…
1965 ルメイ閣下が更迭される
時代はヴァルキリー計画を飛び越えて遥か宇宙空間へと進んでしまい、超音速戦略爆撃機ヴァルキリーの存在意義は全て失われる事になってしまいました…まさに時代の狭間に咲いたアダ花のような機体でした。
当時、空軍を掌握し全実権を握っていた戦略爆撃バカ一代&ボンバーマフィア親分のルメイ殿下は空軍参謀総長にまで登り詰め権力絶頂を極めますが、弾道ミサイル時代の幕開けとともに彼の戦略爆撃ウハウハ時代は終焉を迎えます。そして閣下の軍歴に幕を降ろしたのは、第2次世界対戦中の一時期、閣下の部下だったマクナマラ国防長官でした(それも栄光の満期退官のわずか4ヶ月前に引導を渡される形で更迭され空軍から追い出されます)
戦後、日本のS内閣はルメイ閣下に勲一等勲章を授与しました。
が、その際、昭和天皇陛下はご自身で親授されることを断固拒否なされ、代理として自衛隊空幕僚長が授与。海上自衛隊の設立に大いに貢献した海軍のアーレイ‣バーグも受勲していますが、アメリカ海軍と空軍の受勲バランスを取るタメとは言え、この皆殺し野郎に受勲するとは…
【余談w】
では、ルメイ閣下が空軍にいた頃の空軍戦闘機部隊はどうだったかと言うと閣下曰く「そりゃ戦闘機は面白いよな。だが戦争は爆撃機でするもんだ」っと、閣下率いる戦略航空司令部に冷飯を喰わされていました。そして閣下らの「戦闘機も核爆弾を抱えて爆撃に行け!」という彼の核戦略に合致するよう戦闘機部隊を編成され、機体設計にまで口を出された結果、空軍の戦闘機は歪な形で進化を遂げてしまいます。その結果、敵爆撃機を編隊ごと殲滅させる狂気の空対空核弾頭ロケットAIR-2ジーニーを積んでスっ飛んで行く直線番長迎撃機F106や戦術核をぶっ放なしに行くF100FやF105戦闘爆撃機だけになってしまい、ドッグファイトどころか通常弾を使用する攻撃さえまともにできない欠陥機体ばかりの空軍になってしまいました(センチュリーシリーズでも特に未亡人製造機F101や直線番長機F104は冗談のような予算消化機体だったので…)
しかし、爆撃狂ルメイのSAC着任前の朝鮮戦争まではミグと互角に戦えた格闘戦闘機が存在していて、
ノースアメリカンF86Fセイバー
空対空ミサイル前夜。アメリカ空軍が空の覇者だった時代の最後に輝いた戦闘機。
戦闘機同士のドッグファイトを目的とし機体で、良好な機動性・機関砲6門の重武装・優秀な偏差射撃用のジャイロ式測距照準器、P51Dムスタング譲りの視界良好な涙滴型キャノピーなど格闘戦に必要な装備を持ち、ソ連の小型軽量&加速力・上昇力に勝るミグ15と互角に渡り合い最後まで朝鮮戦争後期の航空優勢を譲りませんでした。しかし、ルメイ閣下のSAC着任によって格闘戦闘機と呼べる機体は彼の核戦略構想から除外されF86以降空軍は迎撃機と戦闘爆撃機だらけになってしまいました(涙)
ベトナム内戦当初、狂人ルメイ殿下は「We’re going to bomb them back into the Stone Age!(爆撃で奴らを石器時代に戻してやる…地獄の黙示録:キルゴア中佐のセリフの元ネタですねw)!」とやる気マンマンでしたが、ベトナムは国土の大部分が見渡す限りのジャングルで固定目標以外の爆撃目標は容易に発見できず、逆に巧妙に隠遁された北ベトナム軍の移動可能な地対空ミサイル陣地からSA2地対空ミサイルをバカスカ撃ちまくられてしまいます。閣下はB52爆撃機がミサイルで撃墜される事を恐れ、主にF105サンダーチーフ戦闘爆撃機を低高度の戦術爆撃に投入します(ソ連製SA2は発射直後、初期加速をロケットブースターで行い、ブースター切り離し後に無誘導からレーダー誘導に切り替わるため高高度侵入するB52には特に有効でしたが低空侵入する機体は苦手w)
しかし、悲しいかなF105サンダーチーフは閣下の影響下で設計された機体。
・Fナンバーの戦闘機であるにもかかわらずB-24初期型よりもデカく、
・Fナンバーの戦闘機であるにもかかわらず機内に核弾頭用の爆弾槽を持ち、
・Fナンバーの戦闘機であるにもかかわらずマトモな格闘機動ができず
・Fナンバーの戦闘機であるにもかかわらずミグ21を1機も撃墜できず、
・コクピットの後方視界は無いに等しいので地対空ミサイルから逃げることも難しく、SA2ミサイルを回避するため低空侵入すれば対空砲に撃ちまくられD-F型751機の内、実に385機を失うというクレイジーな損耗率を計上(涙)そして完全に頭に血が上った空軍上層部はF105-G型を「レーダー波を撒き散らしてオトリになってベトコンの対空ミサイル陣地からの攻撃を誘発させろ。奴らの照準レーダー波を逆探して位置を特定し僚機に攻撃させろ!」ってなメチャメチャ任務に投入されてしまいます(WW/ワイルド-ウィーゼル作戦…先頭機を囮にして殴り合う作戦なのだ(涙)
崖っぷちに立たされ、マクナマラ国防長官に脅され追い詰められた空軍は、天敵海軍に「いつも悪口言ってゴメン。…ところで君達の持ってる戦闘機。使わせてくれないか?」と血涙し、デカくて重い空母艦隊の防衛専用F4ファントムⅡの共同運用を願い出ます。 海軍仕様F4A ガトリング砲ポッドは未搭載
そして空軍仕様にするため20㎜ガトリング砲ポッドを機首下に追加搭載し、対ミグ戦闘機としての運用するのですがミグと互角に戦えたのは3000m以下の亜音速域(M0.7-0.8付近)だけでした。ガトリング砲ポッドが追加された空軍仕様F4E
ミサイル万能論が主流のこの時期。海軍F-4ファントムⅡは現在のイージス艦と同じく、空母機動部隊防衛のためのミサイル発射母機であり、対艦ミサイルを山ほど抱え飽和攻撃を仕掛けるであろうソ連爆撃機が味方艦隊を射程に入れる前に輪形陣の遥か外縁から長射程ミサイルをブっ放して空母艦隊を守ることが主任務なので設計当初からドッグファイトは完全に想定外。しかしベトナムでの運用はマクナマラ国防長官とによってF-4の持つ本来の長距離攻撃性能を封印された上、ミグとの”有視界”による近接格闘戦と対地攻撃に振り向けられてしまいました。
ルメイ閣下の核戦略にドップリとハマり通常戦闘の使用える機体が1つもなかった空軍は崩壊寸前でした(涙)
しかしルメイ時代終焉と時を同じくしてダメダメだった空軍をV字復活させ、のちにファイターマフィアと呼ばれる救世主ジョン・R・ボイド空軍少佐を中心にしたグループが空軍をドン底から救います。
ボイド少佐は、戦闘機が航空優勢を確保するためにはドッグファイトで敵機を圧倒し、まず制空権を奪取する事こそが重要と考え、軽量で機動性に優れ、戦闘機動で失った位置エネルギーを即座に回復できる軽量格闘戦闘機を理想として次期戦闘機開発に参画します。それはボイド少佐がコンピューター技師クリスティーと共に完成させたエネルギー機動性理論を設計の基礎としてブレンデッド・ウィングボディーに2基の強大な推力を持つ新型エンジンを搭載し、F-86F以降忘れ去られていた全周視界キャノピーで360°視界を確保した制空戦闘機F15イーグルの開発が着手されますが、次期戦闘機に過剰な期待をする空軍各部署からアレもコレもと性能要求が次々と突き付けられ、その結果、自分たちが理想とする軽量格闘戦闘機像から失敗作F111のように徐々にデカく重く、一番に求めた機動性も低下方向へ一直線に設計変更されていくF15にボイド少佐は我慢できなくなります。途中で「こりゃダメだ!」と思った彼らは開発に一定のメドがつくと、F15の開発に協力しつつも、空軍上層部には内緒で自分たちが真に理想とする軽量格闘戦闘機をノースロップ社とジェネラルダイナミクス社の内諾を得て再度始めます。そして紆余曲折の末に開発したのは、機体操縦に制御コンピューターを介したフライ・バイ・ワイヤシステムを搭載し、パイロットが操作しなくてもコンピューターが最適揚力が得られよう主翼キャンバーを変更し、さらにF15の重量の半分以下しかない自重をも遥かに超える推力を発揮するF15と同型の P&W F100エンジンを単発装備し、低速時の旋回性能を著しく向上させるLERX(ストレーキ)によってF-4なら失速墜落する速度であっても旋回を持続できる能力を発揮し、9トンにも及ぶハードポイントへの搭載能力(B29のペイロードと同じ)と空軍戦闘機で最も航続距離をもった格闘戦闘機… F16A
ジェネラル・ダイナミクス F16ファイティングファルコンの開発に成功します。YF16&YF17
さらにボイド少佐たちは空軍採用をYF16と争った…YF17空軍仕様時
ノースロップYF17の開発にも設計当初から関わっていました。海軍に拾われ試験飛行中
YF17は制式採用を賭けたフライオフでYF16に破れましたが、それを海軍が拾い、ほとんど再設計に近い変更をして空母艦載機に制式採用されたのが…
マクドネル・ダグラスF/A-18ホーネットです。
※海軍はノースロップ社を「艦載機の設計経験がないサプライヤーだ」として
制式採用にあたり難色を示したため、海軍と利権ズブズブな
マクドネル・ダグラス社に機体の権利を全て売却させて制式採用され
ることになりましたが、もはやその再設計にボイド少佐たちは関りま
せんでした。
FA18の原型となったYF17はYF16と空軍採用を競うために格闘戦闘機として設計された機体戦闘なので機動性に関してはYF16より部分的に優れていました。フライ・オフに敗れたあと海軍に空母艦載の攻撃機として制式採用されるのですがマクドネル・ダグラス社は空母搭載に向けて塩害対策の機体コーティングや、攻撃機としてペイロードの増加を狙い主翼面積の拡張と兵装ハードポイントの複数追加をおこないました。しかし行き当たりばったりの改造で主翼剛性がメチャメチャに低下→兵装搭載時にエルロン操作をすると主翼が歪み、意図した方向とは逆にロールしてしまう最悪のエルロンリバーサルが発生して機体が言う事を聞かなくなる→関係者唖然→「では主翼の桁材をモリモリ追加し主翼補強しましょう」→桁材による重量増加で主脚へ負担が激増し死亡事故が発生→「では主脚も補強剛性UPしましょう」→デブになる→etc …を繰り返した結果、とてもボイド少佐のエネルギー機動性理論のもとに生まれた格闘戦闘機とは言えないデブな攻撃機へと変貌してしまいました。そして、その後もFA18は問題が発覚し続けます。
操縦席横から主翼にかけて横に張り出たキングコブラのような前縁(Leading Edge Root Extension)は低速機動時に威力を発揮し揚力を最大50%も増加させ、空母着艦時などで約50°の迎え角を取っても垂直尾翼に気流を誘導して操縦を可能にする必殺装備だったのですが、そのLERXが巻き起こす内巻きの激烈な気流が垂直尾翼を直撃し破壊し墜落する事案が頻発。原因調査のため大幅に空母配備が遅れてしまいます。
※操縦席の後方左右に(インテーク真上付近)チョコンとした30~40㎝程の四角い板がありますが、これがLERXが発生させる渦の流れの一部を遮って垂直尾翼を守るLERXフェンス。
このLERXフェンスはレガシーホーネットA〜D型まで装着されていますが、ボイド中佐の設計思想から遠のいて、ほとんど別機体と呼んでもよいE〜F型スーパーホーネットは設計段階で対策済みw。そして調達価格もF16の2倍近くに膨れ上がり、どこ国家もF/A18を導入しようとしなくなりました。(F111さえ導入してしまった奇跡的に物好きなオーストラリア空軍だけはF/A18を24機も購入(唖然)
その後もボイド大佐たちの活躍が続きます。
アメリカ空軍は創設当時からルメイ時代を通して地上部隊要用の近接支援機を開発した経験がなく、陸軍の支援なんて全く考えてませんでした。なのでWW2を泥沼の地上戦で戦い抜いたドイツやソビエトのように… ユンカースJu87ストゥーカ
イリューシンll2シュトルモビク
…といった対地攻撃専門の機体は一機種も保有しておらず、泥沼のベトナムで四苦八苦する陸軍地上部隊をまともに支援することができませんでした。そこで困り果てた空軍は再度海軍に泣きつき、コルセアⅡを対地攻撃用に仕様変更したA7DコルセアⅡとA1スカイレーダー(レシプロ機!)を借りてベトナム戦争を乗り切る事になるのですが、爆弾落としたらさっさと帰ってしまう空軍に呆れ果てた陸軍は自前での航空支援戦力を渇望し攻撃ヘリ:シャイアン開発計画を進めるのですが、空軍の戦闘機開発同様に新機軸をテンコ盛りにし過ぎた計画は迷走に迷走を重ね開発費用は予算を遥かにオーバーしてしまいます。そして「無理っぽいから、やっぱ固定翼機で行こうか?」となった時、開発計画を嗅ぎ付けた空軍が「羽根があるものの予算は全部空軍のものっ!」とマクナマラ長官に告げ口して陸軍から強引に地上部隊支援機の開発予算を横取りします。しかし、主力戦闘機と違って議会が低予算しか出してくれない支援機開発などマジメにやる気がなかった空軍上層部はボイドたち(主にスプレイ)に開発を丸投げします。そして空軍各部署もF-15開発時のように色々な性能要求せず口出しせず全く無関心だった事が幸いして…
戦車の上面装甲を打ち抜く劣化ウラン弾芯弾を毎分3900発のレートで発射する巨大なGAU-8アヴェンジャー30㎜ガトリング砲を搭載し、コクピット周りは57㎜砲弾にさえ耐えるチタン合金装甲で守られた奇跡の地上攻撃機A-10サンダーボルトⅡが誕生します。
しかし、A10は運用当初、ターボファンエンジン剥き出しで主脚も半格納しかできない(目的は別として)その無骨な外見から「Warthog(イボイノシシ)!」と呼ばれ、超音速機が当たり前の時代に第二次世界大戦のレシプロ戦闘機よりも遅い機体として忌子のように日陰者扱いされました。そしてパイロット達にとってA10部隊への配属は「左遷」と思われ非常に不評な機体だったのですが、1991年。湾岸戦争では延べ8000回を超える対地ミッションをこなし…
爆弾投下後も長い滞空時間を生かして、30㎜ガトリング砲弾を撃ち尽くすまで最前線上空に張り付き、動くものがいなくなるまで敵を掃討するA10に陸軍地上部隊は熱狂し、陸軍兵士たちから「Gurdian Angel(守護天使)!」と呼ばれるようになります。そして陸軍の将軍からも『世界最高の機体だ!』と最大の賛辞で絶賛されました。
このボイド大佐らが関わった4機(F15.F16.A10+YF17/のちのFA18)の傑作機によってアメリカ空軍は再び空の覇者へと返り咲く力を手に入れ、世界の空を40年以上に渡って支配します…A10に至ってはボーイング社により新主翼への換装をはじめ1万時間もの飛行時間延長改造プログラムを受けて2030年以降も退役延期w)
(ボイド少佐は大佐で空軍退役後、自身のOODAループ理論で海兵隊を虜にし、その後の海兵隊作戦指標に直接関わったり、湾岸戦争時にはチェイニー国防長官の作戦アドバイイザーにまでなります)
しかし、どこにでも足を引っ張る残党は残るもので、爆撃機開発予算が欲しいSACルメイ残党は「超高空侵攻がダメなら超低空でっ!」…と、中止されたヴァルキリー計画の替わりに亜音速-低高度爆撃機計画としてロックウェルB-1計画に期待を掛けます。B-1はSR71やU2の偵察で得たソビエト防空レーダーサイトの位置データを使い超低空侵入を画策「ソ連のレーダーなんかに引っ掛かるか! 超低空なら見つからないぜ !」とソ連のレーダー技術を舐め切っていましたが…1975年、当時最新鋭のMIG25で函館空港に亡命のため強行着陸したベレンコ中尉の証言により次期ミグ(31)にはルックダウン能力を飛躍的に向上させた先進のフェイズド・アレイ・レーダーが搭載される予定である事が判明。「これ(B-1)ダメなんじゃないか?上から見つかっちゃうぜ…」と計画は頓挫。
どうにも使い道が無くなったB1は超予算オーバーのB1A試作機が4機作られた後、あまりに高額な開発費に軍縮を掲げるカーター政権は計画凍結命令をだしますが、中間選挙でカーターを破りカリフォルニア知事から当選したレーガン大統領の後押しとゴリ押しとカリフォルニア州に本社があるロックウェル社への地元贔屓によって計画は甦り、別機体と言ってもよいほど廉価デ・チューン版のB1-Bがロックウェル社のために約100機だけ生産されましたが、超音速飛行用の可変エアインテークが固定式となり最高速度マッハ2.5の超音速戦略核爆撃機からマッハ1.2しか出せない遷音速の爆撃機にケタ落ちし、通常爆弾や巡航ミサイルの発射母機として地上支援に回されます。もしベレンコMig25が亡命してこなかったらそのまま実戦に投入され、ろくな回避機動もとれずコテンパンにされたことでしょう
…XB70は、その後残った1号機がNASAに移管され(NASA所属以降の写真は尾翼にNASAマークが入ります)SR71同様、SSTのソニックウェーブ研究に供された後、オハイオ州のライト・パターソン国立アメリカ空軍博物館に展示されました。
PPS:笹本祐一さんの「星のパイロット3 ハイフロンティア」では本来、実現しなかったXB70とミグ25のチェイスが冒頭で展開されます。それも動態保存されていた“4機目のヴァルキリー”として…この機体が好きなんでしょうね
部屋を片付けてたら、この本が出てきたので読み返して、ついでに長~い長〜いブログを書くことに…
ではまた
参考:世界の傑作機 Vol.106「XB-70 ヴァルキリー」
参考:夕撃旅団、夕撃余談・改 「F22 ラプターへの道」 web アナーキャさん著
【余談2】
「軍用機のコードネーム」
旧ソビエトの戦闘機や爆撃機にも西側陣営から同様にコードネームが付けられています。
戦闘機は…Mig19=ファーマー 爆撃機は…Tu22 =ブラインダー
Mig21=フィッシュベイト Tu160=ブラックジャック
Mig23=フロッガー
Mig25=フォックスバット ヘリは …Mi23 =ハインド
Su27=フランカー
Mig29=ファルクラム
Mig31=フォックスハウンド
戦闘機はFighterの“F”から、爆撃機はBomber の“B”から
ヘリはHelikopterの“H”から始まるコードネームを使っています。
(アメリカ空軍の前身である陸軍軍航空軍当時「F」は「Finder/ファインダー:偵察機」の意味がありました。)
ちなみに、XB70の“X”は実験機用コードでデータ取りが済むと“X”が“Y”になり試作機YB70となります。そして制式採用されていたら“Y”もなくなり、XB70はYB70を経て“B70”として戦略空軍に制式採用される予定でした
文中のMig25は鬱陶しいCIAのSR71ブラックバード偵察機と超速高々度をマッハ3で侵入して来るであろうB70ヴァルキリーをまとめて迎撃する為にソビエトが急遽開発した最高速マッハ3超の迎撃戦闘機。ソ連のベレンコ中尉が亡命目的で函館空港に強行着陸して有名になった機体です
函館亡命事件前、西側からはマッハ3で飛びF15の機動性を超える恐るべき機体だと思われていました。しかし実際には高々度超音速に特化した直線番長迎撃機で航続距離は短く、兵装が無い状態でも5G以上の機動は禁止されていて燃料満載では2G以上の旋回も禁止。化物のように大推力のツマンスキーR15ターボジェットエンジンに羽根をつけただけような機体でした。しかし迎撃機としては手堅い設計で、全ての電子妨害を打ち消す600Kwなんて当時最強の長距離索敵レーダーが搭載されていたました。そして在日米軍の調査でFCS(火器管制装置)や制御の一部に真空管が使われていることが判明。1970年代当時の技術水準でも「時代遅れ」と解説されていましたが、実は当時のトランジスタでは索敵レーダーの大出力に耐えられなかった事と半導体とは違い核爆発の電磁パルスに耐えられる事、そして当時の信頼性でした
この時、北海道奥尻のレーダーサイトは超低空で侵入するベレンコ機を発見しますが、すぐにロスト。千歳空港からスクランブル発進したF4EJファントムⅡのレーダーではルックダウン能力が低すぎて、ここでもベレンコ機をロスト。
大湊レーダーサイトも侵攻途中で発見しますが、またロスト。
次にMig25を自衛隊が発見できたのは強行着陸寸前の函館上空でした
後日、ベレンコ中尉の証言でソ連軍は事前に北海道の自衛隊レーダー網に穴があることを熟知していたと言う事実が判明。亡命機のロストを連続させる防空レーダー網が低空侵入に非常に脆弱なことが露呈されました
当時、高々度爆撃機の迎撃に特化したMIM-14ナイキJミサイル高射群に頼っていた日本の防空に一石を投じた事件です。この事件をきっかけとして、日本のレーダー網は探知高度を下げて再整備され、空自のF4EJファントムⅡは機首レーダーを換装してルックダウン能力を大幅に向上させました。
そして自民党は、防衛予算で社会党がイチャモンをつけてた早期警戒機AEWのE2C導入時期を大幅に前倒ししました
こんな所にまでXB70バルキリーから繋がってるですね