あー、楽しい!
この度やっと、アギレラの曲を見てもらえることになった!
大好きなアーティストの曲をこんなに楽しんで練習した事あったかな、てくらい、楽しいー!

去年、発表会でセリーヌを練習した時は「難曲だからこそ仕上げなくちゃ」みたいな義務感で結局私史上大惨事となったわけだけど
今回は発表会を見据えない課題曲。
つまり、師匠しか聞かない。

そこで完成度を下げるわけではないけど、失敗しちゃってもいいわけだし、楽しくて仕方ない!

やる曲じゃないけど、The Voice Withinという曲があって






ディストーションボイスで歌ったかと思ったらフッと抜いてみたり、もうライブで見たらすごすぎてむしろ笑うんじゃないか、くらいの曲。
アギレラってこんなのが多いから到底私の技術ではまだ無理でレッスンでやるのは諦めてたんだけど


色んな「憑物」が取れてきて
色んなシンガーさんのライブを見て
少しずつ「どう歌いたいか」を、本当に少しずつ落とせてきた気がする。


こないだのレッスンでは、「どうしても出せないニュアンスがグルーブなのか、それはもう持って生まれたモンが違うのか」みたいな質問からなかなかに濃い話になって、「それを聞ける耳がちゃんとある」事を自分でもやっと認められて、亀、、いやカタツムリくらいの歩みではあるけど前進前進。

歌の濃い話(私の中では重箱の角トーク)は、関ジャムのボイトレ回のもっとマニアックな感じで、Blu-rayの50巻セットとかにして欲しいくらい。いや、100巻でもいいなー…と常々思う。



今は暗いニュースも多いけど
希望だけは明るく持って歌い続けていこう。





ピリピリしてるねー


陰でこそこそ言わずに堂々と抗議したらいいのに

不謹慎厨もクレーマーもそれはしきらんのよね

叩かれるってわかってるから?


ほーんと、コロナであちこちがささくれだってるわ。

ゴスペルを歌いながら、それでも棄教する。
うーん、それでも、ていうのは違うか。

正確には、身内の信仰のあり方が嫌すぎて、カトリック、やめます。

私の周りは本当にいい人が多い。
プロテスタントの人もいるけど、こんな風に生活に取り入れられたらいいなと思う。


毎週末はミサに行き、聖母の月にはロザリオを唱え、頑張ってねの代わりにお祈りしてますという、キリスト教伝来の地で生粋のカトリック信者として育った相方の身内。
その一族の揉め事を目にしてから一気に冷めた。

宗教があったって人間だから怒りも悲しみも憎しみもあって当然だけど、1番醜いと思うのは「そんなのありません」なテイであること。

年老いた親を突き飛ばしてみたり、甥っ子が家を建てるときに直々に報告がなかったと謎の怒りを爆発させてみたり。
私も、第二子出産の際、男の子とわかるや否や、
◯◯家の後継ぎなんだから、旦那の地元で産めと旦那の叔父から電話がかかってきたり。
ちなみにこの話は、私の虚言として片付けられている。そんな事信者さんは言わないだろうという、謎の信者絶対説。


山ほどあるけど、どの問題も「我慢して受け入れ」「お祈りして乗り越える」

…暇か


身内が粗相をしてもお祈りなのである

脳内お花畑か

怒ること、責めることが解決になる事はないというのが言い分のようだけど
自分の黒い感情を閉じ込めて、お祈りしているテイだから、
結局行き場のなくなったそれらが後から爆発している。

たちが悪すぎる


私が棄教と言えば、「私達のお祈りが足りなかったせいね」てなる。

祈りという圧


私がいた教会の人にこんな重たい人はおらん。
同じ宗教と思えない。

カトリックは否定しないし、学びもたくさんあったけどこんな信者像を押し付けられるんじゃ堪らないわ。



というわけで、やーめた!