4/8 「SKAM LIFE'S IS DEAD」のことで、丸ちゃんから言葉をもらいました。
読んでください。
SKAM LIFE'S IS DEADについて
お久しぶりです、丸山です。
前置きとしてですが、自分がこんなことを言う権利も、何もないのは重々承知の上でこれから僕のリアルな気持ち、思いを綴らせていただきます。
久我さんのブログにもあったように、久我さんから連絡があり、今回の【SKAM LIFE'S IS DEAD】の件を聞きました。
最初聞いたときは新井さんと同じ気持ちで「なんでいまさら?」と思いました。
僕は今、音楽ではない別の道を歩んでいます。
別の道を歩み、ドラマーの小林さんがいるのに何でその題名を今更使うのか?不思議で仕方ありませんでした。
というより小林さんに申し訳ない気持ちしかありませんでした。
しかし、久我さんから今回のタイトルの意味を聞き色々な思いが、気持ちが、ブワーっと溢れました。
自分は約2年前、2015年12月15日で脱退しました。
以来、一度もドラムを触っていません。
でも、何故か未だにステージの夢を見たりします。
自分勝手に辞めた音楽、LIPHLICHの存在が心の中にいて、モヤモヤした気持ちが常にいました。
「生きるために死ぬ」
そう書いたブログを見たとき、「自分もずっとLIPHLICHを思っていたんだ」「自分もこれから生きるために死ねる」と前向きな気持ちに思いました。
まだ短い人生ですが、「LIPHLICH」が無ければ今の自分はいません。断言できます。
「LIPHLICH」が自分の人生の一部であり、それは変えられず、一生消えるものではありません。
もちろん変えようとも消したいとも思っていません。
逆にLIPHLICHも、もっともっと長い人生の中にきっと丸山英紀は残っているのだと。一生消えず、そこに残っているのだと思います。
だから、久我さん、渉さん、新井さん、小林さんの4人も残そうとしているのではなく、背負おうとしているわけでもなく…でも、結果として僕を背負ってしまっているんです。
4人はきっとそれを知っているからこそ一見過激に思える「生きるために死ぬ」という言葉を使って、これからもっと、昇華していくLIPHLICHの強い思いを表現しているのだと思います。
今回、この文章を書いたのは本当はTwitter用のコメントを書こうと思ったのですが、そんな短い文章では収まりきらないので、ブログに書いてほしい!と身勝手な思いながら記載させて貰いました。
生きるために死ぬライブ、僕の気持ちも乗せてくれた【SKAM LIFE'S IS DEAD】が楽しみで仕方ありません。
丸山英紀