喪主はもちろん私なのだが、はっきり言ってそんなことできるような精神状態じゃない。

そんな私を思いやって父は何も言わず、葬儀屋と段取りをしてくれた。

葬儀は家族葬で行われた。


だから何がどうとかあまり覚えていない。

目の前には夫の亡き骸があって、言われたまま動くだけ。


私がおぼろげに覚えているのは、棺に何を入れるかとか

お揃いで買った財布に3000円入れてやったりだとか


顔を見るたびに自然と涙が溢れ、それを拭うしかできない。


「あなたのこれからの役目は、私とこの子の人生を見守ること。」


それが精一杯の一言だった。




火葬のスイッチを押すのは、いくら夫を憎んでいても辛かった。

スイッチに手をかけたとき今までの思い出が一気に蘇る。

もう二度と触れることはできない。涙が溢れて仕方ない。

魂は死なないとしても、その肉体からどれほどのぬくもりを与えてもらっただろうか。

お腹には君の子供がいる。

我が子を見ないで自ら逝ってしまうなんて、君はほんとの大馬鹿者だ。



それでも…


「…今までありがとう」



火葬中を示すランプに明かりがつく。

奥の方からゴウッという音が鳴った。



それから2時間、義実家とまあまあぎこちない会話をして

線香が切れそうにないか、水を何回か交換してあげたりとか

行ったりきたりして過ごした。


火葬が終わり、全く別の形になってしまった夫が出てきた。

ここまでくるともうそれを夫だとはあまり思わなかった。

やはり若いので骨はそれなりに残っている。


家を建てて1年後に夫の骨を拾っているなんてどう予想がつくだろう。

しかも病死ではなく事故死でもなく自殺だ。

生きようと思えば生きれた、でも生きようとはしなかった。

心の病気…

当時の私にはわかっていたつもりで理解ができていなかったと思う。

どうして?なぜ?

それしかない。


葬儀も淡々と行われ、義実家にそれなりにあいさつをして、

帰路についた。



何気ない毎日とはなんて幸せなことだろう。

いつもと変わらない毎日というのはとても尊い。

でも人間は欲張りだからそれが当たり前だと何も思わないし、

むしろどうでもいいことに変にやけになって、

夫婦でどうでもいい会話をして、

「今日もつまんねー1日だったな」

と寝床に入る。

今は思う。

それこそが本当の幸せだと。



これからこの地域は豪雪地帯になる。

納骨をするころ、墓は完全に雪で埋まってしまうので、

菩提寺にあずけるという選択もあったが、

寺は流石に寒そうなので春までうちに置くことにした。