ここまでお読み頂きありがとうございます

今日で最後です

 

4月13日〜

 

それからは半分抜け殻状態で

仕事に行き、家に帰り

毎日毎日必死に生きていた気がします

感情に蓋をして考えないようにしてみたり

ロボットのように生きていました

 

ライフラインのとまった

家での生活も辛く

毎日のように帰宅したら水を2階に運び

いろんな準備があります

お風呂に水をためても我が家のお風呂は

「断水してると追い焚きできない」仕様で

お湯につかれませんでした

(この仕様の差で断水生活は2極化します)

体は鍋で沸かしたお湯で拭き

朝は洗面台で、夫にひしゃくで水を頭にかけてもらい

シャンプーしてました

洗髪するほどお湯をわかすのは大変なので

もう水であきらめました

冷たすぎて我慢できず

リンスは使いませんでした

泡も残ってましたが、それで会社にいってました


 

会社で断水することはさらにもっと辛く、

特に女性たちにとってトイレがまともに

使えないという事は非常にストレスでした

具合悪いときでも

使うたびに用意された下水の水がめ?から

バケツに水をくんで、それをさらに

タンクにいれて流します

これが重くて重くてたまりません

毎回こぼして服や靴もびしょびしょになったり

手を洗うのもひしゃくをひとりで使うのでよく洗えません

またこぼして、びしょびしょに、、、

地味のほんとに辛いです断水。

 

 

3度目の地震からは

私以外の同僚先輩も完全に心が折れて

みんな抜け殻状態でした

我慢強かったみんながひとりひとり壊れていきました

余震がくるたび、ひとり、またひとりと

糸がきれ泣き出す状態でした

「あの時の揺れが」と話をするだけで

みんな震えてしまい、完全にPTSD状態でした

 

私が必死に注文書を作って整理していたら

仲良しの先輩が横にきて

「あさみちゃん」

「はい?」

「あさみちゃん、、、、」

「ん?」

目に涙をためてます

「え?どうしたんですか?」

ブワッと涙を流してトイレに逃げる先輩。

え?誰かにいじめられた?

慌てて追いかけると

「ごめん、急にかわいそうになって、ごめん。

○○さん(派遣さん)こなくなっちゃって、

ずっとひとりで、、、」と泣くから

私も泣いてしまいました

でもそんな優しさが唯一の支えでした

 

 

遠くにいる友人が

「もし避難するなら私が昔すんでいた

茨城の家に無料で住んでいいよ。いま貸家だから。

チョコちゃんもチャイちゃんも動物も大丈夫だよ。」

その友人のお父さんからも

「遠くでなにもできませんがお役に立てたら」

と丁寧な励ましたの手紙をいただきました。

 

一度だけやり取りをした方からも住所をみて

「被災地にお住まいですが大丈夫でしたか?

なにかお手伝いすることはありますか?」と

お手紙なども頂きました。

 

全く知らない方が

「次にまた原発で事故があったら

我が家に逃げて来てください」と

mixiブログに連絡くださる方までいました。

その方とはブログで交流が続きましたが

引っ越しした際も新しい住所を教えてくれました。

 

この頃から様々な形でまわりの人が寄り添ってくれました。

本当にありがたく、

本当に優しくすばらしい人は

このような事をしてくれるんだ、

と感激と共に学びになりました。

 

 

そんな優しさの一方。

 

 

妹が久々にあいた地元野菜のお店に買い物にいき

閑散とするなかで白菜を手にすると

ひとりのおじさんが

「これ、おれが作った白菜なんだ。」

「立派ですね」

「おれの家、津波で流されてなんにもなくなって、

でも山の上の畑だけ残ったんだ。

でも今度は放射能で誰も買ってくれなくなっちゃった」

と泣き出してしまったそうです。

「私買います」

「ごめんね。泣いちゃってね。いいよ、それもう

持っていっていいよ」

「いいです、買わせてください」

帰宅した妹にその話をきき泣きました

地元の農家さんの事でわたしは動揺し

それをmixiのブログに全体公開でかきました

励ましのコメントもたくさん頂きましたが

忘れられないのが

 

「このようなブログを書いて、

放射能汚染された野菜をみんなに買わせようとするなんて、

あなたも加害者ですよ」

 

でした。

妹もその後(非正規のため3.11で職失ってました)

福島を応援する新しい仕事で県外にでたところ

 

「あなたみたいな若い女性がいつまでも福島に

残ってるから、原発はなくなんないのよ」

 

ときれられたそうです。

 

そうか。

わたしたちは加害者なのか。

地震、津波、原発に加え

まさかの差別という試練をその後

ずっとずっと味わう事になります。

 

みんなが福島を恐れ福島産のものを食べたくないなら

それでいいのです

地元の仲間たちもみんなそう言ってました

放射能怖いのはしょうがないです

でも、私たちはやっぱり地元の農家さんを裏切れない

私たちは自身が被爆しながらも食べました

食べたくないなら食べなくていいよ

でもそれをわざわざ

私たちに言わないでほしい。

その頃、私たちの共通の思いはそれだけでした。

そっと食べない、でよくないですか?

そっと仲間にいう、でよくないですか?

わざわざなぜ私たちに言うんですか?

あ、そっか福島にのこってる加害者だからか。

 

 

寄り添ってくれる人と

傷つけてくる人

人のあり方についても

この震災はものすごく私にとって学びになりました

 

 

 

春から季節は夏になり

やっと余震の回数が減ったと思えたのは

その年の8月でした

 

 

断水は5月末まで続いた記憶があります

余震と共に本当に長く辛い生活でした

ライフラインが止まって何が1番辛いかというと

経験者はみんな「水」と言います

本当にできるだけたくさんの「水」の備えを

おすすめします

わたしはあれから10年、浴槽のお湯を抜いた状態で

1分も放置したことがありません。

この瞬間に地震が来たらというトラウマが強く

いつでもすぐに水をたっぷり浴槽に溜めています

その後2019年に台風で河川が氾濫し

また断水しました

2週間程度でしたが、やはり断水はこたえます

その時にわたしはやっと「湯沸かし太郎」という(笑)

お風呂のお湯を沸かせる棒をみつけてかいました。

次の断水からはお風呂に入れます。

 

 

やっと地震が減り秋、冬と季節はすぎて

1年、2年、そして10年

 

 

 


地震が起きてないというだけで

 

水がでるというこことだけで

私はいまでも幸せを感じます

 

放射能の恐怖は強く私は子供をあきらめました

原発はまだまだ落ち着いていません

3日間またなんらかの天災で

福島原発が電源喪失したら

また爆発するかもしれません

また逃げないといけなくなります

いまだ私たちは落ち着いた状況にはないのです

だからこれ以上命を増やし守れる自信が

あの時はありませんでした

でもまわりでは

たくさんの命が誕生しているので

私が真面目すぎたかもしれません(^^;;

 

 

庭の線量も高く除染対象となりましたが

ただ庭の表面を削って掘って

(壊されますがその保障はされません)

フレコンバックにその土をいれて

その人の庭に埋めるだけらしく

多くの住民が怒り除染していません

いまだに線量の高い学校や公園など

公共のエリアは定期的に除染し

フレコンバックを埋めている光景を目にします

 

わたしも測定器を買い不安な時は

時々はかって

自分で本当の数値を確認できる状態にしています

(嘘とかつきますからね ひどいこといっぱいあるよ)

 

 

そんな苦難と向き合い生きて

少しずつ少しずつ福島は復興し

私自身も、喜び、安心、不安、怒り

様々な感情を味わい

10年前の自分よりはだいぶ大人になった気がします

先月の震度6もそうですが、やっぱり東日本大震災ゆらいの

地震は2021年もいまだに止まらずです。

でも前より持ち直す時間が

早くなりました。

そして今では全国に仲間ができて

とても心強いです。

また避難したらみんな

動物と泊まれる場所、

探して助けてくださいね♡

 

 

 

 

あ。

実は震災から2年後の震度5の地震の方が

私の家、壊れたんですよね

縦揺れすごくて立ち上げれず1歩も逃げれず

本気で死ぬと思いました

全部が凶器のように飛んで来たんです

怖かった...

 

これは!なんと写真あります!

この頃スマホになっていたので(笑)

 

 

 

 

 

 ジャジャーーーーンw

 

 

こんな風になっちゃいますからネw

 

 

さすがにこれほど天災を味わうと

防災対策も完璧になってきます

完璧にすることで「大丈夫だ」と安心して生活できるからです

本当に備えは大事なのです

さんざんわかって頂いたかと思いますがw

家具の固定と水、食料の備蓄は必須ですよ

 

 

 

 

 

2021年3月現在

 

結果からいうと、、、

原発も地震も継続中です笑い泣き

 

 

でも現在の私は、幸せです

自分で自分自身の幸せな未来を作るために

楽しいことばかりではないですが

毎日悩んだり楽しんだり

未来に向かいできることをひとつひとつやってます

本当に素敵な仲間にも出会いました

今となれば過去の時代の責任感強すぎる自分に

なにかアドバイスしてあげたいとことですが(笑)

そこまで背負わなくても、とは自分で書いていて

思いましたが

でもあの時のわたしは偉かったと思います拍手

当時32歳かな。

よく頑張ってのりきったね、と褒めてあげたい

家族も元気です

当時3歳だったチャイチョコも

13歳になりすっかりヨボヨボですが

私のそばにいてくれます

チャイもあのとき頑張ったもんね

他にも可愛い猫たちが増え4人と4匹の家族になりました♡

 

 

 

本当に長すぎるブログになりましたが

(なんとか10話で終わらせようと最後つめつめでした)

皆さんにお伝えしたいことがあり頑張りました

これすべてわたしのノンフィクションです

記憶違いや情報違いは多々あるかもしれませんお願い

でも思い出せる限りを書きました

(もっとやばいことは書いてなけど。。知りたい人は連絡くださいw)

無駄に怯える必要はありません

でもまずは皆さんにこの全ての私の備忘録をみて

なにかひとつでも気づいて頂き

防災の役にたてたら嬉しいという事。

いくらでも防災についてはきいてくださいね

 

 

そしてもうひとつ

福島だけ味わった、この原発災害。

ここまで私たちが原発で恐ろしい思いをした事。

それを電気を使ってるあなたに気づいて欲しいるスマホ、PCの電気、

照明も暖房も、その豊かで平和で便利な生活のために

遠く離れた田舎で死んだ人や動物がいることを

知ってください。忘れないでください。

関連付けはされませんが

原発の年に人生かけて育んだ田畑が汚染され

避難解除後も農業を禁止されてしまった祖父は

本当に気落ちしその年に亡くなってしまいました

原発付近の田舎のおじいちゃんおばあちゃんから

大事な田畑を奪うことは命を奪うことです

地震津波だけなら助かった命が山ほどあります。

あの方の死やあの方の恐怖は

電気を使ってる全ての人。

そしてわたしのせいです。

私もこうして電気を使っています。

だから、自分のことだけなく、全てに対して

私たちは考えなければいけないと思うのです。

 

 

 

 

震災後は無駄に綺麗な東京の夜景に悲しみを覚えた時期もありました

 

 

 

 

日本ではまだ原発がとまっていません。

どんどん再稼働していきます。

本当にいいんでしょうか?

わたしは反対です。

もし自分ごととして思うなら、

選挙でも署名でも生活の見直しでも

なんでもいいので

私たちの平和な未来のために

あなたの意思を

今後はしっかり主張してほしいのです

これは原発に限らず様々な社会問題全てに言えることです

 

 

福島も元は都会の人たちに騙されて原発作らされました

私はその時代はうまれてませんが

その時の大人たちがしっかりしてればこんな事態に

福島はなってなかったかもしれません

完全廃炉まであと何十年かかるんだろう。

40年なんて言ってますが、

そんな遠い未来まで誰にその仕事させるんですか?

汚染水は処理しきれず限界値です

海に流すか蒸発させて空気にさせるとか、

そんな信じられないアナログな方法しかないのです

人間の手に負えるものではないのですよ

(あれ?こんなことかいて記事とかブログ消されませんかね?

そういう事ありますからね)

 

わたしは大人として

未来の子供たちや動物たちにも自然にも、

そんな思いや被害を2度と味わせたくありません

その事が10年たって伝えたいことです

犠牲になった人のためにも

私たちが素晴らしい世の中を作らなければ、

と切に思います

なので長々と全ての記憶を呼び起こしました

日本全国、いつどこで福島のような

想像を絶する2重3重災害がおきるかわかりません

毎年どこかで未曽有の災害が起き続けています

もしそのときがきても
皆さんが極力防災を準備されたり、

普段からこの日本を世界をよくするために

地道に知って、学んで、意見を発すること
そして行動することが

自分自身、そして大切な人を守るために

とてもとても重要なことなのではないかと思います

何がおきても

優しく助け合える世の中でありますように、

日本中から、世界中から原発がなくなり

平和な世界になりますように、、、

 

東日本大震災で亡くなった

全ての方のご冥福をお祈りします

未だ県内では11日には

行方不明者の捜索をしています

1日も早くご家族の元に帰れる事を

心から祈っています

 

 

 

長文をお読みいただきありがとうございました

心からお礼申し上げますキラキラ