こころ絵 『十大弟子』 ◆夢◆
夢
ゆ め
沢庵禅師の辞世は『夢』だったそうです。
大書した『夢』の横に
「是亦夢 非亦夢 弥勒夢観音亦夢 仏云応作如是観矣」
(是もまた夢、非もまた夢、弥勒もまた夢、観音もまた夢、仏云く、正に是〈かく〉のごとき観を作〈な〉すべし)と書き遷化したといわれます。
私たちの観る『夢』には理想や、希望や空想みたいな非現実的ものから、実感そのもののような夢などがあります。
心理学的にも、宗教的にも『夢』の分析はされていますが、沢庵禅師が
残した夢には、単に無常のはかなさを嘆くものではありません。
『夢』の横に書かれた四句にみるように、この世にある一切のものを、
仮相なることの真理を悟った境地から、悟りの世界に至れば、もはやはかない夢をみることもなく、現象の仮相の世界に惑わされ、酔いしれることもないという安らかな心境だったのでしょうね。
醒めない『夢』はありません。
そして跡形もなく消えていきます。
たった一度の人生もそれに似て『夢』のようなものなのですね。
だからこそ真剣に生きなければいけないのです。
富も栄華も限りを尽くした、豊臣秀吉の辞世は「露と落ち 露と消え
にし我が身 かな 浪花のことは夢の又夢」だったといわれますが、
こちらの『夢』には大悟することなく死にゆく者のはかなさを感じます。
版画は『こころ絵』のために創作してくれた友人の柏木智也氏の作品です。
【十大弟子のこと】
阿難陀(あなんだ)
サンスクリット語でアーナンダといいますが、意味は慶喜・歓喜だといいます。
釈迦の甥っ子で誕生した時の容姿の美しさに、人々が歓喜したためにこ
の名前になったと言われています。
釈迦に25年仕えたことから、釈迦の説法をもっとも多く聞いたことにより
「多聞第一」と称されました。
釈迦の入滅後は教典をまとめた中心人物であったと言われています。
■柏木智也氏が『こころ絵』の主旨に興味を持たれて、精魂込めて彫り上げてくれた『十大弟子』の版画に禅語を添えて描いてきました。
版画家として世に出ることを生涯の“夢”としている柏木智也君に沢庵禅師が好きだったという『夢』をこのシリーズ最後の言葉として贈りたいと思います。