続・続 人間機雷 323
第六章 夢幻泡影
三 歳月
3 国士への道 1 (3)
「“義”とは、人の歩んでいく正しい道のことである。義をおろそかにすることは、道を踏み外すことになる。仁を実践する基本として、義を貫くことが必要なのだよ。本当に人を愛し思いやる生き方は、正義を貫いてこそ成り立つものと思え。
武士道では、義の精神が重く考えられてきた。貴君も知っている武田信玄と上杉謙信の『川中島の合戦』のとき、海のない山間部を領土とする武田方が、敵対する今川・北条側より商人の往来を制限され、塩の供給を絶たれのだが、これを聞いた上杉謙信は、塩を自国から供給すると申し出た話はあまりにも有名だ。
“武士が雌雄を決するのは弓矢と刀である。敵であっても窮状では助けるのが武士であり、弱みにつけこむのは卑怯”と考えた謙信は、義を貫いたのだ。謙信が“義の人である”と後世まで賛じられたのもこの故事からなのだ」
「有名な話で自分も知っています。信玄が死去した際には“吾れ好敵手を失へり、世に復たこれほどの英雄男子あらんや”と号泣したと言われていますし、一方の信玄も、勝頼に対して“謙信は義理堅い人物だから、自分の死に乗じて攻めてくる事はない”と言い残したという逸話も有名です」
「謙信の死後、後を継いだ上杉景勝と勝頼は同盟を結んでいる程であるから、謙信の“義”は讃えるべきものであるな」
「つぎは“礼”だが、これは人の世に秩序を与える礼儀礼節は、仁を実践する上で大切なことである。親や目上の人に礼儀を尽くすこと、自分を謙遜し、相手に敬意を持って接することが礼、場合に応じて自分を律し、節度を持って行動することが節という。
礼節を尽くして人を訪ねるという意味の「三顧の礼」という故事がある。この言葉の元は、三国志だ。
劉備玄徳は、戦いで優位に立つために、優秀な軍師として諸葛亮孔明を迎えようと考え、彼の草庵を訪れた。しかし、一度目、二度目の訪問時は留守のため会うことができず、三度目、長いこと待った末にようやく会うことがかなった。その後諸葛亮は、自分が劉備のために奔走することになったのは、劉備が自分を目下とみなさず、礼を尽くして何度も訪ねてくれたからだと語ったという」
「その話はも聞いたことがあります。礼節は己を謙遜し、相手に敬意を持つことから始まるのですね」
「そのとおりだ。また“智”とは、人や物事の善悪を正しく判断する知恵なのだ。さまざまな経験を積むうちに培った知識はやがて変容をとげ、智となって正しい判断を支える。これをより智を高めるには、偏りのない考え方や、物事との接し方に基づいた知識を蓄えることが必要なのだよ」
「予科練時代の座学でも『仁・義・礼・智・信』は学びましたが、老師のお話を伺っていると、特攻精神をたたき込むために本来の意味からかけ離れて解釈されていたように思います」
「これから学びなおしたら良い。中国の儒学者洪応明は、『菜根譚』という書を残したが、これは儒教、道教、仏教の教えを踏まえ、処世の道、よりよく生きる知恵を書いた随想集なのだ。このなかには、“あまり暇があると、つまらぬ雑念が生じる。あまり忙しすぎると、本来の自分を見失ってしまう”というように、偏った生き方を戒める言葉がいくつも書かれているからこれもまた学ぶがよい。
儒教では“中庸”といって、よいバランスを保って生きることが大切とされており、これは、正しい判断力すなわち“智”を高めるにおいても同様といえるだろう」
「分かりました」
続
次回10月1日
