表六玉の独り言 210 | 酒場人生覚え書き

表六玉の独り言 210

 しんちゃん 5
 

(7) 地獄図 2
小さな家の小さな焼け跡だった。異様な匂いのする煙がモヤのように立ちこめる
その向こうから、悲鳴に近い泣き声を上げて、小さな子供の影がヨタヨタと近づいてきた。
「お母アちゃーん、お母アちゃーん、痛いよう! 痛いよう!」
服はベルトの部分だけを残して焼き尽くされ、炭のように真っ黒に焼けただれた顔や、身体のあちこちから血が流れ出している。
「あっ!しんちゃんだ!」
兄が叫んだ。
「おい!しんちゃん!しっかりしろ!」
父も母もその小さな影に駆け寄ると、母が抱きかかえ父が防空壕から引っ張り出した軍用毛布の上に寝かせた。
「お母アちゃんがいないよぉ~、お父ちゃんがいないよぉ~、痛いよぉ~痛いよぉ~」
「今探してきてあげるよ!」
父がしんちゃんの耳元で叫んだが、その顔を上げると母に向かって首を横に振った。すでにしんちゃんの両親も、幼い妹も、まるでひとかたまりのタドンのように重なり合って死んでいるのを知っていたのだ。
母は水筒から水を飲ませたが、貪るように飲むとゴボゴボとはき出し、焼けただれた首筋にこぼれ落ちた。 


(8) のぼちゃん、アバナ
このボロ屑のような子供が、つい昨日の夕方まで一緒に遊んでいた元気で優しい、腕白坊主のしんちゃんだとは、どうしても信じられなかった。
苦痛のあまりに目をむきだして泣き叫ぶ形相のすごさに、しんちゃんと呼びかけることも出来ず、涙だけがボロボロとこぼれおちた。

 


 翌日、父や兄は焼け残りの棒杭やトタンでバラック小屋を建てたが、家族が身を寄せ合い、やっと雨露を凌げるほど小さなものだった。急場しのぎのカマドも作った。
食品工場や倉庫からの放出品だろうか、お手玉のようにふくらんだ缶詰や、水飴が焦げたような砂糖なども配給された。
町内の炊き出しに場には長蛇の列ができ、手に手に食器や飯ごうを持って並んでいる。
そのすぐ近くの空き地に、男女の判別もつかない焼死体が何百と並べられ、その列の間を肉親を捜して歩く人々がいた、しんちゃんの両親も妹もその中に並んでいたのだろう。
錯乱したように泣き叫び、口から鼻から、耳からどす黒い血のアワを吹き出し、全身の焼き焦げを掻きむしって苦しみ続けていたしんちゃんが、フト静かになったのはそれから三日ほど経ってからだった。
「しんちゃん、しんちゃん」
と泣きながら、全身から滲み出る血を、濡れ手拭いで拭いてやっている時だった。
スーッと目が閉じられ、何かをつぶやいた。
「のぼちゃん、アバナ、またあしたナ・・・・」
「ナニ?しんちゃん!なんて言ったの」
焼きただれた口元に耳を近づけ聞きただしたが、微かに開かれた口はすでに息をしていなかった。
「しんちゃんが死んじゃったア」
泣き叫んだ私の声に父も母も駆け寄ってきたが、その顔は余りにも無表情だったような気がする。
「よく看てやったな」
父がポツリと言った。
「しんちゃんがネ、またあしたネって言ってたよ」
と泣きじゃくりながら話した。
「そう・・・・」
母は流れる涙をそのままに、私の肩をぎゅっと抱いた。
青空の広がる太陽の下でザリガニを採り、夕焼け空の中で缶蹴りをして遊んでいる自分を思い浮かべていたのだろうか、そして、私が家の中に消えるまで、門の所に立ち見送ってくれたしんちゃんが、いつも最後に言ったのが「のぼちゃん、アバナ、また明日遊ぼうナ」だった。
つい先日までの思い出が、死に瀕したしんちゃんの脳裏を、走馬燈のように駆けめぐっていたのかも知れない。
のぼちゃん、敵が攻めてきたらオレがやっつけてやるからナ!、と、真っ黒に日焼けした顔で胸を張っていたしんちゃんの、キラキラ輝く目がいつまでも忘れられなかった。
ムラ雲のごとく飛来したB29に、しんちゃんは石を投げつけたのだろうか、暗黒の空の果てを睨みつけていたのだろうか。
B29の爆撃手は、そんな幼い命が真下にいることを知りながら、雨のごとく焼夷弾を投下したのだろうか。

                                                                                続

                                                                                                   次回 8月27日