表六玉の独り言 171 | 酒場人生覚え書き

表六玉の独り言 171

昇仙峡のガマ爺さん 7


7 隠れたガマ爺さん(1)
すでに解体されているはずの“庄屋さんの家”が初夏の陽射しの中、見る人を圧する威容のままそこに建っているのだ。
「これがお目当ての家かい。どうなってるんだァ?」
半分は物見遊山気分で付いてきた友人らも、私の顔と家を見比べながら怪訝な表情で寄り集まってきた。
「解体してネェよ」
誰に言うともなく呟き、あたりにガマ爺さんの姿を探した、今この状況を的確に釈明してくれるのは彼しかいないのだ。
空気の抜けた風船のような気分で、やがて現れるはずのガマ爺さんを待ち続けたのだが、虚脱感で灰色になった頭の中を、シミだらけで青白くどぶくれた彼の顔が、次々に浮かんできては跳ね回る。
どの顔にも眼が無く小さな黒い空洞がふたつあるだけだった。
金を手にしてエビス顔で愛想笑いした時も、煤だらけの姿を見て心配顔で近寄ってきた時も、親切に握り飯を差し出してくれた時も、あの爺さん眼だけは無表情だったよな、と想い出した途端、虚脱感はスルリと抜け落ち怒り混じりの疑念が心を占め始めた。

解体され山積みされた古材をユニックで積み込み、略奪宝物を持ち帰る凱旋将軍のように意気揚々と横浜に帰るはずだった。
「チクショウ!あのジジイにはめられた」
結論はそこに収まり、やりどころのない怒りが吹き出してきた。
遅れて駆けつけてくれた山梨の友人中込が、少し離れた隣家を聞き回り、やがて一人の老人を連れて戻ってきた。
「石原よォ、おまんダマされただよ。この人の話聞いてみろし」
「スイマセン、わざわざ来ていただいて」
「この家のこん(事)だけんどねぇ、誰が言ったかしらんけんどいくら待ってもブッ壊すこたぁねぇよ。何でも県のなんとかちゅう指定を受けて保存されることになってるダニ、そもそもこの家はネェ・・・・」

好々爺然とした小柄な彼が口角に泡をため、時に同情を込めて説明してくれる最中“恐怖の報酬”のラストシーンがまざまざと思い出され奈落の底に墜ちていくのがこの自分であり、それを嘲り笑う昇仙峡に棲む“魔性のガマ爺”の黄色によどんだ冷ややかな眼がこの時ハッキリと見えた。


                                                                         
そのガマ爺の名前も住まいも連絡先も聞いていなかったことが、本当に陽も差さない谷底に生息しているような錯覚を感じさせる。
最初に案内された廃屋も果たしてあのガマ爺の物なのかどうかも疑わしく思えてきた。
それに対して十万もの金をやり、廃屋を目の前にしての涙混じりの折衝に、古材を使うということは、住んでいた人達の心情をも考えなければいけないのだ。柱一本といえども粗末にすまい。
いかして末永く使い、ひいては良い店作りをすることこそその人々の鎮魂になる、等と真剣に考えていた己の甘さに嫌悪すら感じた。
それにしても十日前わが物顔で開錠し、得々としてこの家を案内し信じさせた手立ては、一体どうした事だったのだろう、未だもってその辺りが分からない。
意気消沈する自分に“折角トラックまで準備して乗り込んできたのだから、ちょっと離れた郡部の方に探しに行ってみないか・・・
・須玉村(長野よりの山村)の知人から、隣家が最近家を壊し新しく建て直したとかいう話を聞いたから、ヒョットして廃材の処分が終わってないかもしれない、ダメ元でいってみよう”と勧めてくれたのが悪ガキだった頃の遊び仲間中込だった。

彼はトヨタ自動車のトップセールスマンで、県下全域に人脈を持ち、今回の解体材探しでも肉親に勝る熱意で隈無く探していてくれたのだが、その中の一つの情報だった。
朝には晴れ渡り初夏の陽光が降り注いでいたのだが、須玉村に着く頃には雨雲が低くたれ込め、やがてポツリポツリと雨が降り出す始末だった。
夕刻までにはまだ時間もあろうというのに、山村の家々は薄墨色のシルエットとなり静まりかえっている。
                                                                             続
                                                                                                  次回5月19日