続・続 人間機雷 147 | 酒場人生覚え書き

続・続 人間機雷 147

第二章 若き獅子たち

三、焼け跡の特攻隊
1 工藤組始末(9)

昭和20年6月、神奈川県久里浜の伏龍特攻隊に志願し配属が叶い、生死を伴う苛酷な訓練に身を投じた。
もちろん己の死に代えて皇国日本を救わんがためだった。
それが人間機雷と呼ばれた『伏龍隊』である。

『伏龍』とは“かくたる龍は、時倒れば世に出る俊傑”のたとえから名付けられた水際作戦特別戦闘攻撃隊の隊名である。
海軍第71突撃隊附の『伏龍隊』は、簡易潜水着の隊員が『撃雷』と名付けられた棒機雷を手に持ち、水中から上陸用船艇を突き刺す物であった。
まさに戦争末期のあがきとも考えられる誠に悲しむべき兵器であり、故にこの〇九『伏龍特攻』は最後の特攻とも呼ばれた。


横須賀鎮守府の71を始めとして、呉鎮守府に81、佐賀鎮守府に91が新設されるべく、昭和20年5月下旬より各鎮守府にて創設準備に取り掛かったのである。いずれも米軍の上陸予想海岸にこの伏龍隊を展開させる予定であった。 
従来の海上から給気を要する潜水方式から脱皮し、軽便かつ頑丈な兜式潜水器が開発され、海底を自由自在に動き回れる独立潜水方式を装着した隊員が、約15キロの機雷を5メートルの竹棒の先に着けた棒機雷を持ち海底に潜み、敵が先頭に立って上陸する超大型戦車搭載艇の船艇を撃滅する『人間機雷』であった。

戦車搭載艇には少なくも戦車7~8台が搭載されているはずである。 その特攻隊員の育成を一ヶ月でやるというのだが、これでは一人で海底を歩ける位の段階までやっとである。 理想的には少なくとも一年位の養成期間が必要であったろう。 しかし、推定される米軍の上陸作戦は来る10月か11月であればそんな悠長な事は言っておられない、促成訓練は日夜を継いで行われていった。

この時点で海軍が実戦に使用できる戦力は、駆逐艦19隻、潜水艦38隻、航空機約5500機にすぎなかった。その航空機にしても4000機は特攻機で大半は練習機を改造したものであった。また特殊兵器としてベニヤのモーターボートの船首に250キロ爆弾を装着し敵艦に突っ込んでいく『震洋』、小型潜水艦に翼をつけて敏捷性を強化し前部に爆薬を詰めて体当りする『海竜』、魚雷を人間が操縦して敵艦に体当たりをする『回天』等の海上特攻舟艇約3300隻があったが、『伏龍』は特攻舟艇の製造もままならぬ中で編み出された『人間機雷』である。

工藤龍一はブタ箱から出してもらう代わりに、一個の機雷になって敵の上陸用船艇を爆破することであったのだ。

  朝六時、起床ラッパと共に始まる訓練は、午前中の座学・午後の水中訓練が主であったが、間もなく午前中の座学も水中強行軍の訓練とあてられるようになり、一日中が海底での生活となっていった。工藤龍一ら隊員の志気は高まり、一死百殺の使命感は「我等こそ最後の救国部隊なり」との自信に満ち溢れていった。 
事実、訓練で行われる味方上陸用船艇の多くを使用し、実践そのままの演習ではガラス製の模擬信管は隊員の頭上附近を通った船艇の100%の船底を捕らえ、特攻機や回天よりもずっと高い成功率を占めていた。
敵上陸艇も海底に潜む人間機雷の攻撃など予測もしていないところに、秘密兵器『伏龍隊』の面目躍如たるものがある。成功率が高いと言っても、それは敵船艇が海底に潜む特攻隊員の頭上附近を通るという条件下であるから、予想上陸地点に漏れなく二重、三重に特攻隊員を潜伏させておく方法がとられた。 

自分の50メートル範囲には一人の戦友の姿は見えもせず、音さえも存在せぬ世界である。当然強靱な精神力を突撃以前に必要とした。           
鼻から吸って、口から吐く           
鼻から吸って、口から吐く           
鼻から吸って、口から吐く

隊員達は海の底に身を沈ませると、海蛇のように目を光らせて、この単調な動作をしかし、全身の神経の緊張をもって繰り返した。 

背負った酸素ボンベからヘルメット内に送られる酸素を鼻から吸い、息を口から管に吹き付けるように吐く、吐いた息は管を伝わって背中の清浄函に入り吸収される仕組みになっているのである。だからこの呼吸を間違えると、ヘルメット内は忽ち炭酸ガスが充満しガス中毒に近い現象となる。


                                                                                                    続