カストリ時代 前編 6
前出の酒棚のカストリ焼酎を懐かしさ半分、怖さ半分で試飲した“塩
谷さん”は今年78歳になるが、矍鑠(かくしゃく)たるもので、酔いにま
かせては「オレは独り者だぞオ」と女の子を口説いている。
平成のカストリ焼酎を試飲した塩谷さんが『これは終戦直後に親父
達が飲んでいた“カストリ焼酎”とは別物だね』との言葉を待つまで
もなく、焼夷弾の残臭が漂う闇市に出回った酒の代表は、正体不明の
“カストリ焼酎”であった。
かって彼の住んでいた近く川崎・渡田地区の一角には“カストリ焼酎”
を密造する家々があり、サツマ芋の腐ったような匂いが漂ってきたも
んさ・・・・と、その匂いを思いだしたのか顔をしかめながらも懐かしげ
に話してくれた。
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「今時の芋焼酎はやたらと飲みやすいけど、当時は芋焼酎を造った
あとのカスを、もう一ぺん発酵させたものを蒸留して造ったんだな。
その“カストリ焼酎”は、鼻を摘まなきゃ飲めないほど臭かったもん
だよ。
でもな本当にヤバイのは“バクダン”で、これを飲んで目が潰れたり
死んだりするヤツが後を絶たなかった・・・・」
「“バクダン”・・・・ですかあ?」
「そう、カストリが出回る前の闇市の酒は“バクダン”と呼ばれていた
ヤツだった・・・・」
戦時中、石油資源に乏しい我が国では、国策として甘藷づくりが推進
され、甘藷を原料として国営アルコール工場でアルコールがつくらた
が、これはもちろん飲むためのものではなく、石油に変わる燃料として、
戦闘機を飛ばしたり、戦車や軍艦を動かそうと思ってのことだった。
これがバクダンの原料だったという、笑うに笑えない話である。
続