花嫁の父 | 酒場人生覚え書き

花嫁の父

「感動してウルウルするんでしょうねえ・・・・」


イヒヒ・・・・”って感じで何人に言われたことか。


その度に「オレにウルウルは似合わねえでガショ!」と答えておいた。


1月10日


いよいよその日を迎えた。


前日に降り続いた冷たい雨もすっかりあがり、“ニュー・オオタニ”の眼下に拡がる

大東京を、遠く見下ろすように浮かぶ富士の山もみえた。


三女“KUREHA”の結婚式である。


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お父さん!優勝したよ!日本一になったんだよ

と電話をかけてきたのが三年前の暮れに近い頃だった。


チーズプロフェッショナルの資格を得て『日本チーズプラトーコンクール』に初出場

たときのことだった。


まあ、その時の“親バカ”ぶりをお知りになりたいのなら「親ばかチャンリ」の迷文

覗いてみてください。


http://ameblo.jp/lionman/entry-10055398966.html


それからおよそ一年後、


お父さん!優勝したよ!日本一になったんだよ

とまたしても電話をかけてきた。


ただしこんどは“SATORUさん”がという主語が付いていた。


フィアンセの森覚君が『日本ソムリエコンクール』で得た栄冠の報告だった。


これまたどんなコンクールなのかお知りになりたい方は覗いてみてください。


http://journal.mycom.co.jp/articles/2009/01/08/sommelier/index.html


正式な結婚の申し込みは、勉強に明け暮れていた彼がこの日の結果を待ってのこと

だったらしいが、日本一の婿のおまけ付きだったわけだ。


エンゲージリングのダイヤの輝きが“KUREHA”の瞳の中で涙のように浮かんでい

たっけ。
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披露宴で感動したのは・・・・なんとも食い意地の張ったことで新郎新婦には申し訳な

いが、メインディッシュの『幼鴨のロースト“マルコポーロ”』だ。


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トゥール・ダルジャン」と言えば“鴨料理


40年もむかし、パリ放浪の旅をしていたとき、つばを飲み込み横目で睨んで通り過

ぎた日を想い出した。

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銀の塔亭(トゥールジャルダン)は、もともと1582年からある旅籠屋で、パリ随一の

伝統を誇るのだが、お客様に出す鴨に番号を付け始めたのは、1890年頃の有名な

ひげのフレデリック爺さん”である。


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この爺さん後にここの主人になるのだが、19OO年にロシアの“ウラジミール公爵

が食べた鴨が6043番目、1948年結婚する前の“エリザベス女王”が召し上がっ

たのが185387番目といった具合である。


昭和天皇も皇太子時代にお召し上がりになったのが53211羽目の鴨で、1971年

2度目のご来店には423900羽目の鴨でのお持てなしとなった。


トールジャルダン東京では、これに由来し53212羽目の鴨からナンバリングしてい

るのだという。


ちなみにこの日のわたしの鴨の番号は“201784”だった。


・・・・とまあ新郎新婦そっちのけで、鴨を堪能している我に気づき、フトわが娘を見やる

と、これまた快食中。


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ただしこれちらのプレートは“フレデリック爺さん”ならぬトゥールジャルダン総支配人

によって、目の前で切り分けられ、副支配人によって長くかき回されていた鴨の血を含

む特製ソースをジュッとかけまわしたものである。


記念写真を撮るためにテーブルに行ったとき、残りの鴨肉をついぞつまみ食いをしたく

なるのを堪えた。            


ちなみにこの日は“KUREHA”の誕生日でもあった。


突然に運ばれてきた新郎こころ尽くしのバースディケーキに微笑みながら瞼を押さえて

いたな・・・・。

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この日に結婚式を挙げたいといったのはKUREHAの我が儘からだろうか、それとも

SATORU君の優しさだろうか。


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胸にソムリエの徽章をつけたウエディング・ベアに尋ねても教えてくれないだろうな・・・・

二人のためにと徹夜をして作っていた母親の想いは届いたのだろうか。

            

とうとう最後まで『花嫁の父』は惜別の涙にむせぶことはなかったが、もう一人居残って

いる次女のために残しておくことにした。


だけどほんの少し胸にツンとくることがあった。


SATORU”君が披露パーティの最後に、来臨下さった皆様に言ったお礼の言葉で

ある。


「呉葉から始めてお父さんを紹介されたときに、手書きの色紙を頂きました。それには

一生とは今日一日のこと”という言葉と“高きに登るには低きより”と書かれてい

ました。それからその言葉を胸に刻んで一生懸命にやってきました・・・・」


嬉しいじゃないか・・・・


焦らずゆっくりと一歩一歩を踏みしめながら歩んでいけよ。

                        明日は君達のためにあるんだから!!”


って言いたかったけど、キザすぎるのでやめておいた。