楊貴妃が乱のさなかに
このように乱が起きたのは
叔父の失政によるものではあっても自分には咎はない。と言ったことに対してあえていうのなら
皇帝を色気で惑わせたというしかないのだ。


この場面、女性からしたら、女に狂わされてしまう男が情けないとでもなるのだろうが、歴史的にみていくと別に皇帝が楊貴妃に狂わされたために失政を行ったわけでもない。

楊貴妃についてはそのような理由から最後は皇帝から死を求められ、無実の罪の責任を負ったようだ。


だからこそ、この話は750年以後800年の治世になっても唐の民衆に根付きあの白楽天が長編漢詩「長恨歌」に歌ったのだ。

この長恨歌の楊貴妃と皇帝の一途な愛話は、平安時代の日本にも伝わり、貴族社会では知らない者がいないほどだったらしい。


なんと美化された映画だと白けながら観ていたすべては、少なくとも長恨歌と現在わかっている史実に対しては忠実にあったということだ。
というより唐の歴史書には楊貴妃についての記述は多くないらしい。

ただ決して細身な美人ではなく、色白ぽちゃ美人だったようだ。小野小町も色白ぽちゃ体型らしく、そこに男たちがはまったなら…。