清水トンネル貫通記念日      

1929年(昭和4年)のこの日、上越線の土合どあい(群馬県)~土樽つちたる(新潟県)の清水トンネルが貫通した。

全長9,702mの当時日本最長のトンネルで、7年の歳月とのべ240万人の工事動員を費して完成した。川端康成の小説『雪国』の冒頭「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」とあり、これが清水トンネルのことである。

清水トンネルは、1931年(昭和6年)開通の「清水トンネル」、1967年(昭和42年)開通の「新清水トンネル」、1982年(昭和57年)に開通した新幹線用の「大清水トンネル」の3本があり、並行している。

清水トンネル
清水トンネル

大清水トンネルの工事中に偶然発見されたのが大量の湧き水で、当時の国鉄社員が飲んで美味しいと評判だった。その後、社員自らがトンネルの外までパイプを通す苦労などもあり、ミネラルウォーターとして発売された。2018年(平成30年)時点で「FromAQUA」という商品名でJRが販売している                                                                                                                              シャンソンの日                  

1990年(平成2年)のこの日、東京・銀座のシャンソン喫茶店の老舗「銀巴里」(ぎんパリ)が閉店した。

1951年(昭和26年)に日本初のシャンソン喫茶店として開店したこの店は、戦後のシャンソンブームを支え、数々の名曲を生み出した。最後のショーは「銀巴里」で数多くのステージを重ねてきた美輪明宏(みわ あきひろ)が行った。

「銀巴里」は、シャンソンを映画程度の料金で聞いてもらいたいと、消費税も取らず、コーヒー付き1800円で頑張ってきたが、地価高騰には勝てなかった。現在、跡地の銀座七丁目9番11号付近に石碑が立つ。

銀巴里跡石碑

「東の銀巴里、西のラ・ベル・エポック」とも呼ばれた。東京・武蔵野市吉祥寺にあった「ラ・ベル・エポック」は、1974年(昭和49年)に開店し、2009年(平成21年)10月31日に閉店している。「銀巴里」を題材とした音楽作品には、美輪明宏『いとしの銀巴里』、野坂昭如『銀巴里物語』、なかにし礼『さらば銀巴里』がある。

                                                                                                                              山田耕筰忌              

大正~昭和時代の作曲家・指揮者の山田耕筰(やまだ こうさく、1886~1965年)の忌日。

「山田耕筰忌」という名称は、記念日に関する複数の書籍にて確認することが出来る。

山田耕筰は、日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた人物である。交響曲『かちどきと平和』、歌曲『からたちの花』『この道』、童謡『赤とんぼ』などの作品で知られる。

山田耕筰

 

   

山田耕筰について

1886年(明治19年)6月9日、東京府東京市本郷区(現:東京都文京区)に生まれる。父は旧板倉藩士で医師。

1908年(明治41年)、東京音楽学校(現:東京芸術大学)声楽科を卒業。1910年(明治43年)から3年間、三菱財閥の総帥・岩崎小弥太(いわさき こやた)の援助を受けてドイツのベルリン王立芸術アカデミー作曲科に留学、作曲家マックス・ブルッフ(Max Bruch)などに学ぶ。

ベルリン時代の1912年(大正元年)、日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲する。帰国後の1914年(大正3年)、岩崎が主宰する東京フィルハーモニー会に管弦楽部を組織・指揮するが、翌年には解散。

1917年(大正6年)、アメリカへ渡り、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作を中心とした演奏会を開く。

1920年(大正9年)に日本楽劇協会、1925年(大正14年)に日本交響楽協会(後:新交響楽団、現:NHK交響楽団)を設立し、指揮者として活動。ドイツやフランス近代の作品を紹介し、交響楽・オペラの興隆に尽力する。

1936年(昭和11年)、フランス政府からレジオンドヌール勲章を受章。1942年(昭和17年)、帝国芸術院会員に選出。1956年(昭和31年)、文化勲章を受章。

1965年(昭和40年)12月29日、心筋梗塞により東京都世田谷区成城の自宅で死去。79歳。墓所は東京都あきる野市の西多摩霊園。

その他の代表的な作品として、交響詩『曼陀羅の華(まんだらのはな)』(1913年)、歌曲『からたちの花』(1925年、作詞:北原白秋)、『この道』(1927年、作詞:北原白秋)、童謡『赤とんぼ』(1927年、作詞:三木露風)、オペラ『黒船』または『夜明け』(1940年)などがある。

                                                                                                                            福の日                   

お正月の食卓には欠かせないおせち料理。その中に使われる様々な水産練り製品などを製造・販売をする株式会社紀文食品が制定。

日付は、お正月前ということで12月、日は「ふく(29)」(福)と読む語呂合わせから。正月行事本来の意味・謂われを知ることで福を招いてもらうことが目的。また、この日には買い物や大掃除をして正月に備えようと提案している。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

紀文食品

紀文食品(きぶんしょくひん)は、1938年(昭和13年)に東京・八丁堀に山形屋米店として創業した会社で、現在は東京都中央区銀座に本社を置く。創業以来のスピリット「革新と挑戦」を継続してきた。そして、紀文グループは、水産練り製品を主体とするチルド食品の製造・販売を中核とした幅広い事業を進め、売上高で1000億円を超える企業集団となっている。

紀文の商品といえば、おせち料理に欠かせない蒲鉾や伊達巻、おでんの材料となるはんぺん、ちくわ、さつま揚などが有名で、紀文の焼印の入った商品群も多い。

近年では、時代のニーズに合わせて、カット済みの蒲鉾・伊達巻・玉子焼などが入っていて、盛り付けるだけで手軽にできる簡単おせちシリーズ「我が家のおせちセット」などの商品も販売している。

我が家のおせちセット