幼子は誤解をした。
親は自らの恐れから逃げる為に、膨大な犠牲を出していた。
長子であった幼子は、程なく生まれた末の子と、親の己の為の取り組みの隙間で死んだ。
自我の現れる前に自立していた。
しなければならなかった。
誰一人幼子に手を掛けなかったからだ。
幼子は何よりも優先されなかった。
全ての約束は千切られ、相手を責めれば叱りつけられた。
時間は必ず破られた。
接していても、口にする望みは全て叶わなかった。
幼子は全てにおいて裏切られ続けた。
嫉妬する権利も、主張する権利も、無かった。
甘えの一切が失望に変わった。
幼子はその愛ゆえ親を助けると誓い、献身的な死体となった。
自分の意思は捻じ曲げられた幼子は、何の望みも持てなかった。
その心はどこへも行けず、自分という存在を認識できなかった。
更に片方の親は、別の性別を幼子に望んでいた。
幼子は精神も肉体も、全く受け入れられなかった。
幼子はどこへも行けなかった。
幼子にとっては、親は精神世界の全てだからだ。
幼子は現実ではない世界へ逃げた。
弾きたいとも思わなかった楽器を奏で、
逃げ場であった芸術が褒められれば、それを続けた。
それには存在感があったからだ。
本当に好きだったかといえば、全く好きではなかった。
幼子にとっては、承認を得られる唯一だっただけだった。
本当にしたかったことは、一言親に呟くと吹き消された。
理由は「自分(親)ならできないから」だった。
幼子は引き続き、褒められることを続け、褒められた。
そして実力をつけるが、価値を感じていなかった。
実は褒められていることの価値も、感じていなかった。
程なくその全てに芯がないことに気付き、途方に暮れる。
幼子は大人になる。
甘えるという機能がない。
好意を受け取るという機能がない。
愛し合いされるという機能がない。
褒められることが喜びということを、感じる機能がない。
甘えてごらんといわれてしないのは、我慢しているのではない。
そもそもそれを知らないのだ。
持っている機能は、自分は気の狂った、ただの塊という認識だった。
全ての状態が照合できない。
常に究極に殺伐としていた。
以前は「それでも」と繰り返し求めていた承認は、完全に諦めていた。
意識は常に死へ向かっていた。
自分は長くないだろうとも思っていた。
この世界に存在していたくない願望が、全て死へ繋がっていた。
しかし親の呪縛で、死ぬことすら許されない。
完全に乾ききった世界には、切実な充足が必要だった。
だが、何もかもは完全に手遅れだった。
手をつければ焼け爛れていることに気付くので、触れることもできない。
しかし最も問題なのは、焼け爛れていることに気付いていないことだった。
「そうではない、満たされている、不安なのは自分が足りないせいだ」
「もっと成長しなければならない、自分が劣っているから問題が起きているんだ」
「自分は恥ずかしい人間だ、誰もが醜い自分を刺して殺すだろう」
圧倒的な罪悪感と、無価値間の確信。
劣等感の悪化は加速するばかりだった。
周囲の知人は全て「私を嫌いだけど表面上良い顔をするがいつでも裏切る」人々であり
周囲の他人は全て「私を醜くゴミ以下の価値と思い殺意を持っている」人々だった。
何も救われなかった。
救われないどころではなかった。
生き進めるほどに、これ以上なく千切れる心が延々焼かれるばかりだった。
笑顔を忘れずにいた事は、最早何の意味があったのだろう。
本当の人形のほうが余程マシだった。
幼子の頃の、誤解だ。
1人の「親としての器のない子供」が、親となったこと。
これが幼子の悲劇だった。
大抵の人間は普通に接してくること。
裏切るつもりで近づく人間は少ないこと。
基本的には友好関係を築きたいと思っていること。
理由もなく相手をお気に入りに思うことがあること。
悪い人間もいるが、大勢のうちでは運が悪いと当たる程度の少なさだということ。
これらのことに、健全な大人なら気付くだろう。
しかしこの幼子は、その運が悪いと当たる人間に、親として巡り合った。
約束は全て裏切られ、
絶対に自分は優先されず、
自分の望みはへし折られ、
甘えるどころか親に甘えられ、
恥ずかしい人間だと刷り込まれ、
性別という人間そのものを否定され、
恨むことすら許されなかった。
最初の人間の認識が、それらだった。
即ち、全ての人間へのイメージモデルはそれらになる。
幼子に大人の事情は理解されない。
親が、自己の癒されない内面と葛藤から救われたいと奮闘し、
己の取り組みと末の子の育児で長子に手が回らなかったという事情を。
本当は長子の自立により親は助かってきたこと、
まさかここまで心が死に尽くしてしまったとは思いもしていないこと、
そして、幼子は気付いていない。
懸命に献身的に取り組んできた全てが
今となっては触れる人全てを惹きつけるほど
輝く魅力になっていることに。
幼子に必要なのは、あと3つだ。
他人への誤解を解いてしまう勇気と、
己の強靭な精神と魅力を承認すること。
そして、
全く芯のない価値観を、自分の意思で、1から作っていくことだ。
好きか嫌いか、楽しいかつまらないか、それから始めればいい。
もう分からなくなっているのなら「感じていいのだ」「選んでいいのだ」と許すことから始めればいい。
誰になんと言われても、誰にも譲れないものは誰にも譲るな。
これまでがあっての己だが、足枷になるなら捨ててしまえ。
活かせるのなら大いに活かせばいい。
なにも失くしてしまうことはない。
それらは生まれ変わったことに近しい。
いや、ほぼ同等かもしれない。
無限に自由だ。
全ては自分で創って構わないのだ。
好きに生きるといい。
生まれ変わる前が数十年あったとしても、無駄にしたと悔いなくてよい。
「今のままあの頃に戻れば」
寧ろ、これが叶っていると思っていい。
幼子はこれまで、通常より過酷な経験を生き抜き、自らを高め続けてきた大人なのだ。
自在に作れ。
本当の己の世界、現実の世界だ。
全てが魔法のように良くなるが、現実だ。
これから先、何に動じようというのだ。
その精神力はその数十年で痛まされ続けられたものだが、相応に凄まじく強靭になっている。
さあ、目覚めろ。