できれば感想が欲しいでつ。
もともと、世界はひとつではない。
ひとが認識しているのは、その個人の世界のみ。
または、それを外から見た誰かによる認識においての範囲にすぎない。
―――――仮定。
ひとつの世界は、誰かが見ている夢だ。
はじまりは夢のはじまりで、終わりは夢の終わり。
目覚めとともにやってくる。
世界のはじまりと終わりが、それだ。
また、べつの誰かが見ている夢。
それもひとつの世界。
そうして、それぞれの世界は成り立っている。
それが夢であると証明できない以上、この仮定を破棄することはできないはずだからだ。
つまり、夢の数だけ世界は存在する。
その仮定においての、
―――――補足。
夢と心の関係について触れておく。
夢は心が見せるのモノだ。
心が弱くなれば、夢は強くあることを望んだり、または、悪夢へと変化する。
それが連続すれば、やがて心と夢の均整は取れなくなり、心は闇へと落ちていく。
これらを経てのさらなる発展的な、
―――――仮定。
冒頭にて、世界はひとつではない。
そして、個人個人の世界と、外(第三者)から見た世界があるとした。
個人Aが夢を見ている。
世界Aとする。
それは個人Aの世界のため、世界の中に個人Aが存在するはずだ。
個人Aを知る個人Bがいる。
個人Bは夢を見る。
世界Bだ。
個人Aを知る個人Bの世界には、もちろん、個人Aが存在する。
また、その逆もあり得る。
個人Aの世界には個人Bが存在することになる。
そう。
つまり、複数の世界において、複数の同一の個人Aが存在することになる。
個人Bも複数の世界に複数の同一の個人Bが存在する。
もちろん、個人Aと個人Bを知る個人Cがいたとするなら、さらなる複数の世界と複数の同一人物が存在することになるだろう。
ただし。
個人によって、個人の印象がある。
それは少しずつ異なるだろう。
たとえば、
ひとりは、個人Aを「個性的な人物」と思っている。
しかし、
もうひとりは、個人Aを「普通の人物」と思っている。
よって、
複数の世界に同じ性質と『魂』を持つが異なる複数の同一人物が存在することになる。
だが、同一世界においても、複数の世界においても、完全な同一人物は存在しない。
仮に、異なる世界の同一人物が、何かのきっかけで同一の世界に存在したとする。
が、それはやはり同じものであっても完全に同じではない。
単純な例をあげれば、まったく同じ姿をした双子でも、その中身は違うように。
しかし、姿は全く違うが『魂』や『性質』が同一という場合もあるため、すべて当てはまるワケではない。
ここで重要になるのは『名前』だ。
運命すら決まると言ってもいい。
仮定においての、
―――――想定。
異なる世界の複数の同一人物が、同一世界に存在したとする。
それぞれの同一人物たちが自分たちと遭遇したとしても、大きな問題ではない。
やがては、それぞれがそれぞれを同一人物ではない『個人』と認識するはずだからだ。
しかし、
その人物たちが存在する世界は違う。
困惑だ。
「自分はどの人物の存在するせかいだったんだろう」と。
世界は個人に認識されてこそ存在するが、個人は世界に認識されなくても存在する。
個人は個人において認識されればいい。
すると、
世界は、「この個人が所属するのは、自分なのか、はたしてべつの世界なのか」を決めなくてはならない。
だが、どれも同一だ。
世界は混乱するだろう。
世界はひとつではない。
個人もひとりではない。
世界が認識する個人はひとりだ。
しかし、ひとりが認識できる世界はひとつじゃない。
そのことが様々な混乱を呼ぶことになるはずだ。
今見ている夢が、ほかの誰かの見ている夢だとしたら、あなたはどうするだろうか。
その夢に出てくる自分が自分じゃない違和感を覚えるだろう。
違和感に対してどうするか。
それを決めるのは、あなただ。
違和感を払拭しようとするか、違和感を受け入れるか。
他人の夢を否定するか、他人の夢を自分のものとして受け入れるか。
あなたはどうするだろうか。