写真の中に、「論理展開」はない。 | so much to learn , so little we know

写真の中に、「論理展開」はない。


今日は写真学校2週目です。今日が講義で明日は

また実習。先週撮った写真が上がってきます。

ドキドキだなー。初めて一眼レフで撮った写真です。

やっぱりボケているんだろうか。。


近頃、写真を始めましたという話をすると、「なぜ写真?」

とよく聞かれます。

そういえば何でだろう、と思うとうまく答えることができません。

「気軽に撮れるから」「前から興味があって・・・」はいまいち返答

として要領を得ていない気がしていました。


すると、先ほど思い出したんですよね。

今週、忙しくってあんまり読んでいなかった新聞をまとめて

目を通していたんですけど、2月7日(木)日経新聞夕刊に

千住博さんのインタビュー記事がありまして、そこにこんな

話がありました。

「日本の現代社会は平和創造の心を忘れ、まったく病んで

しまっている。相手の話を聞かない、自分と違う考え方を

認めない。そして計算して数量化できるものしか信じなく

なってしまった(一部抜粋)」

会社勤めをしていると、曲がりなりにも日本は資本主義社会を

選択していますから、それなりに合理性を求められるし、

強者が弱者を容赦なく叩く現実とか、因果関係のないものは

排除するとか、会社の論理を突きつけられます。それが目の前の

現実であり、その中で生きているのだからそれに従います。

それが道徳的に正しいか正しくないかを考えることなしに。


しかし、この行動や思考に身を委ねすぎるとどうなるんでしょう。

そこに一抹の不安があるわけです。

生きている中で感じる鬱屈した感情、普段はやり過ごしている感情に

少しでも対抗すること、それが自分にとって芸術、つまり写真を撮る

ことなんじゃないかと思うんです。

写真を撮るとときに「こうすれば必ず芸術的な写真が撮れる!」っていう

論理性ってないはずです。何十枚、何百枚って撮る中に

「これは!」と思うものが出てくるはずです。そこに因果関係や論理展開は

ありません。あるのはおそらく、技術に基づいた「偶然」でしょう。


そんな「偶然」を楽しみたいが為に、僕は写真を撮ろうと思います。