その時は、行きたい、行きたいとブログで何度も何度も書き、脳内ではもうすっかり完全に旅人になっていた。
その、うんざりするような、行きたい行きたいブログを読んだ、実姉が、一言。
「あんた、行きたい行きたいって、言うばっかりやん。ほんとに行ったら?」
この言葉に背中を押された。
わたしは待ってたんだろう。
誰かに背中を押してもらうのを。
今回は、逆。
寒空ウォーキング。
行きたくない行きたくないと、何度もブログに書いている。
姉は今、自分のことで忙しいから、わたしのブログなんぞ読む暇はないと思われる藍光牙齒美白。
つまり、「行きたくないんだったら行かないでいたら?」と、背中を押してくれない。
自分で背中を押すしかない。
あんなに行きたかった海外一人旅、行くまでに長い長い時間、エネルギーを溜め、やっと実行できた。
あの経験はわたしのこころの宝物になっている。
では、行きたくない行きたくない、と拒絶エネルギーを溜めたら、溜まりに溜まったらやっと行かないことを実行できるのか。
(これ、しないことを実行って、、、こんなの実行って言う?)
エネルギーが溜まるまでの間に、断り切れずに行っているかも知れない。
それを繰り返していたら、あんなに嫌いなウォーキングが好きになるかも?
いや、それほど嫌いでもなかったのに、逆に益々嫌いになるかも深層洗牙?
わたしは気分屋さんなので、自分を持て余す。
生死に関わるギリギリのこと以外は、別になんでもいい。どうでもいい。
要は、気分次第なのだ。
嫌だったら断ればいいのに、なぜ断れないのか?
恩があるとか、義理があるとか、嫌われたくない、とか、調和を乱すとか、全くそんなことはない。
自分自身の問題なのだ。
嫌いなこと、したくないこと、でも、自分のためにはしたほうが良いことを、せっかくのキッカケがある時に、乗らない自分はどうなのか?
わたしは、運動嫌いなのだ。
実は、49歳の時、50歳を前に、自分にハッパをかけてスポーツジムに通った。
その時のブログを読むと(すっかり自分では忘れているが)、必死で身体を動かしているわたしを見て、近くにいた人が「あなたは、よほどスポーツがお好きなんですね」と声をかけられた(ようだ)。
本人は、大嫌いなスポーツに必死でガムシャラに取り組んでいたのだろう。
5年ぐらい続いて、やめることにした時は、こころの底から嬉しかった泌尿科醫生推薦。
嫌いなのに、無理していた。
理性的に考えた理想を追い求めていたが、最後は感情が付いていかなかった。
頑張りが続かなかった。へたった。
所詮、嫌いなことは続かないということだ。