「さらざんまい」

第8話の感想その2。

 

現時点での考察というか妄想というか、

そういうもののまとめ。

 

 

※ネタバレします。

 

◎「さらざんまい」

 

 

☆第8話感想その2

 

現時点での考察、妄想脳内図のまとめ。

 

「愛」と「欲望」について。

作中で「愛」として扱われているもの、

「愛」の領域に属すると思われるもの、

また、「欲望」として扱われているもの、

「欲望」の領域に属すると思われるもの、

それぞれをまとめてみる。

 

〇「愛」の領域に属するもの

 (まだ判断に迷っているものは?付き)

 

ケッピ

河童

河童の一稀、燕太、悠の三人

サッカーボール

現実の世界

春河(はるかっぱ)

皿?(さらざんまい時に頭の皿からアが出る)

吾妻サラ

ミサンガ?

 

〇「欲望」の領域に属するもの

 

カワウソマーク

黒ケッピ

カワウソ

カパゾンビ

玲央と真武

尻子玉

欲望フィールド(ネットの世界)

誓?

 

今のところはこんなイメージを持っている。

 

ただ、「愛」と「欲望」はコインの表と裏のように

正反対でありつつひとつのもので分離不可能だと捉えているため、

それぞれの領域にあるものが、完全な「愛」、完全な「欲」というよりは、

それが「どちらにより傾いているか」で判断されると思う。

 

例えば、春河。

黒ケッピシステムにより「愛」と判定されたため、

春河は「愛」に属すると思われる。

しかし、彼の回想では

自分の欲望のために一稀を引き留めようとする場面があった。

一稀の実母に「かずちゃんをとらないで」と言った場面。

あれは春河の自分本位の「欲望」の発露に思われる。

にもかかわらず春河が「愛」と判定されたのは、

その自分本位の欲望よりも、

一稀本人の願いを叶えたい、一稀本人の幸せを願うという、

相手本位の「愛」がより強かったため、

「愛」の判定を受けた。

ゆえに春河は「愛」に属する、と思われる。

 

あ。

書き忘れたが、

この作品における愛と欲望の捉え方は、

愛は「他者中心の望み。相手のために自己を犠牲にする献身的なもの。自己を殺す」もので、

欲望は「自己中心の望み。自分のために他者を犠牲にする。他者を殺す」ものだと捉えている。

 

で。

そうすると、

春河と対になるように存在しているのが誓・・・の気もする。

ここはまだ判断に迷っている。

 

ただ、誓は、

真武に「確実にカパゾンビになる」と認識されているため、

「欲望」の強い人間であると思われる。

また、自分の望みのために他者を犠牲にすることを躊躇わない

ことからも「欲望」側である・・・のではないか・・・どうか。

悠に対する態度が「愛」にも見えるため迷っているが、

しかし悠にも「自分のために大事なものを捨てる」ことを

容認しているので、やはり欲望・・・の気がする。

ああ、でも、春河のなかに「欲望」があったように、

誓のなかに「愛」があっても当然なので

やはり誓は「愛より欲望が強い」、欲望に属する人間かもしれない。

 

 

〇悠について

誓が欲望に属する人間だとすると、

現在の悠はあまり良い状態にあるとは思えない。

そもそも顔が酷くなってる・・・隈すげー!は置いておいて(笑)

欲望のためにサッカーボール(欲望の玉である尻子玉に対応する愛の玉?)を捨てる。

欲望のつながりのために他のつながり(愛のつながり?)を切る。

健全な状態とは思えない。

このままでは悠も欲望側に飲まれてしまうのでは・・・。

 

〇一稀について

そんな悠を取り戻そうと必死になる一稀。

・・・正直、この一稀がよく分からない。

何故そんなにも悠に執着するのか。

何故そんなにも燕太に無関心なのか。

ここはまだ五里霧中な感覚。

 

ただ、現在の一稀は「愛」のみを持っている状態だと思う。

 

1話時点での一稀は、常に箱(欲望)を持ち歩く人間だった。

その箱の中にある欲望は「春河とつながりたい」というもので、

他には何もなかった。

一稀自身は誰ともつながっていないと思っていた。

恐らく、春河が事故に遭ってから、

一稀は「春河に関するもの」以外、愛も欲望も全て捨てたのだろう。

そして、その春河とのつながりも「偽物」で構わないと思っていた。

この時点での一稀は何もない状態に近かったと思う。

愛も欲望も何もない。

誰ともつながっていない。

 

それが、

6話で春河(愛)を取り戻し、

愛によるつながりを取り戻した。

ケッピボールによるサッカーで河童3人が繋がることで、

この3人も愛で繋がった・・・と思った・・・かしら・・・。

6話を契機に、一稀は「周囲とつながりたい」と思うようになった。

愛と愛によるつながりを取り戻した。

そのため、7話で一稀は箱(欲望)ではなく、

サッカーボール(愛)を持ち歩くようになった。

ただ、一稀は愛を取り戻しただけで、

現在、彼の中に欲望、欲望によるつながりは、まだない。

 

一稀は今、「愛」だけの状態にある。

そのために燕太の欲望が理解できないし、

欲望による行動を「裏切り」と捉えるし、

欲望によって悠が離れることを許せない・・・のかなあ・・・

なんて・・・思ったけど・・・どうかな・・・。

この辺りはよく分からない。

なんでそんなに悠に執着するのか。

なんで燕太に無関心なのか。

 

〇燕太について

よく見たら燕太・・・えんたって、名前に「えん」が入ってるね。

「えん」は「円」で「縁」だ・・・。

そうなると・・・燕太が死ねば・・・縁は切れる・・・か?

三人がバラバラになるってことかも・・・。

 

燕太は愛も欲望も両方持っていて、

一番人間らしいキャラクターだと思う。

 

結構好き。

だから、今、辛い。

 

 

 

 

今のところの脳内考察、脳内妄想図はこんな感じになってる。

 

しかし、ここからどうするんだろう。

燕太を生き返らせるっても

尻子玉移植だと提供側が消えてしまうし、

希望の皿は4枚とられた。

希望の皿・・・

一稀の名前に希望の希が・・・

一稀カッパの皿があるじゃない!・・・とかなったらどうしよう。

いや、どうもせんけど。

あと悠はどうやってクライマックスに絡んでくるんだ。

こうして悠は去っていった(完)だったらどうしよう。

いや、どうもせんけど・・・。

 

 

とにかく次回以降も楽しみです。