「デス・パレード」
第十一話の感想です。
疲れてるので、
書くのやめようと思ってたけど、
観たら、
じんわりしたので、
思ったことだけ 少し書く。
と思ったけど、
書いたら意外と長くなった。
※ネタバレします。
◎「デス・パレード」
☆第十一話「メメント・モリ」の感想を少し。
一見、人間に似ているように見え、
その実、決して人間ではない裁定者。
彼らは人間の複雑な感情を理解出来ず、
生も死も経験出来ず、
存在理由は「裁定のため」ただそれだけの、
非常に単純な存在です。
その裁定者が裁定する人間。
善も悪も併せ持ち、
喜びも悲しみも希望も絶望も、愛も憎しみも、
全てが複雑に絡み合い、単純なようで複雑、
複雑なようで単純なのが、単なる人間です。
単純な存在の裁定者が、
複雑な存在の人間を見定め、
その魂の行先を決定する。
本当には人間を理解出来ない裁定者が
人間を理解したふりをして裁定を下す。
そもそもが無理のあるシステムなんです。
だから、裁定結果には裁定者の個性というのか・・・
思想の偏り、性格?が大きく反映されることになります。
今回は、その理不尽さ、システムの不合理さが
二つの裁定を通して描かれていました。
「人間に寄り添いたい」「貴女を分かりたい」と
知幸を見守るデキム。
一方、
「人間は誰もが死んだ途端に生にしがみつくだけ」
の生き物だと切って捨て、「お前の人生に何の
意味があった」「意味があったといいな」と
マユに言い放つギンティ。
同じ裁定者という人形でありながら、
人間を理解したいと感情に目覚めつつあるデキムと、
そもそも人間なんてくだらない生き物であり、
自分の存在に裁定以外の意味などないと
疑問を抱く余地すらないギンティ。
この二人の態度の差に、
なんか、こう、じんわりしたりもやっとしたりしました。
唐突に言葉が危うくなるw
いや、何て言ったらいいのか分からなくて。
ただ、
「分かりあいたいって思うのは間違いなのよ」
と言って泣く知幸に、
「知幸さんをもっと分かりたい」
「出会えて本当によかった」
と無表情に言うデキムに・・・
なんか・・・こう・・・じわっときました。
今までの無表情淡々デキムを思うと、
この変化が・・・なんか・・・こう・・・ね。
また、
裁定される側である知幸とマユ。
不運に見舞われ、
自分勝手でありながら、
自分でもどうしようもなく自殺した知幸。
その行動は確かに身勝手ではあるかもしれない
けれど、でも仕方なかったのだとも感じられ、
その空虚さになんとなく共感を覚え、
なんか・・・こう・・・もやじわっときました。
デキムと会ったことで、
また彼女も変化したように見えて、
二人の交流に温かい気持ちになりました。
一方。
理不尽に虚無行きになったように、というか、
ギンティに虚無に行かされたように思えるマユ。
明るくて楽しくて、ちょっとアレなんだけど、
そこがまた可愛い、憎めないマユ。
なのに、「人間なんて」という色眼鏡でしか
見ないギンティによって、
彼女は虚無に落とされることとなります。
・・・確かにボタンは推したんだろうけれど、
でも、それは8~9話の島田兄と同じく、
そういう流れに出会ってしまったから推してしまった、
というだけのことだと思うんだよね。
だからこの裁定結果はおかしいと思うんだよね。
マユちゃんかわいいじゃん!
なんで虚無よ!
ああああこの作品の唯一のポジティブ要素がっ!
・・・取り乱しました。
しかし。
虚無という地獄のような場所に送られる間際、
彼女の「人生」ともいえる原田の、
恐らくは単なる形だけの人形が何故か目を開き、
原田の魂と寄り添って落ちて行ったのが・・・。
目が開いたのを見たときのあのマユの嬉しそうな
顔が・・・。
全てを捧げると決めた相手と共に
いつまでも落ちていけるなら、
それは彼女にとって「地獄」なのだろうか、
また別の場所なのだろうか。
そう思うと・・・なんだか・・・
ギンティの裁定を少しは無効に出来たようで、
でも可哀相なようで、それでも救いはあるような
気はして・・・もやじわっとしました。
あと。
「人間は嬉しい時に笑顔になり、
悲しい時に涙を流す」
というだけの単純な理解しかない
裁定者であるデキムの言葉と、
悲しみながら笑っていた知幸の顔と、
喜びながら泣いていたマユの顔を思い出すと・・・
あああ・・・なんか・・・こう・・・じわっとくる・・・。
そんな感じで。
言葉には出来ないけれど、
言葉に出来ない感覚を覚えるからこそ、
私はこの作品が好きだな~と思いました。
もっとこういう作品が見たいです。
私はこういうの好きです。
第十一話の感想です。
疲れてるので、
書くのやめようと思ってたけど、
観たら、
じんわりしたので、
思ったことだけ 少し書く。
と思ったけど、
書いたら意外と長くなった。
※ネタバレします。
◎「デス・パレード」
- デス・パレード もふもふミニタオル デキム/エーシージー
- ¥1,080
- Amazon.co.jp
☆第十一話「メメント・モリ」の感想を少し。
一見、人間に似ているように見え、
その実、決して人間ではない裁定者。
彼らは人間の複雑な感情を理解出来ず、
生も死も経験出来ず、
存在理由は「裁定のため」ただそれだけの、
非常に単純な存在です。
その裁定者が裁定する人間。
善も悪も併せ持ち、
喜びも悲しみも希望も絶望も、愛も憎しみも、
全てが複雑に絡み合い、単純なようで複雑、
複雑なようで単純なのが、単なる人間です。
単純な存在の裁定者が、
複雑な存在の人間を見定め、
その魂の行先を決定する。
本当には人間を理解出来ない裁定者が
人間を理解したふりをして裁定を下す。
そもそもが無理のあるシステムなんです。
だから、裁定結果には裁定者の個性というのか・・・
思想の偏り、性格?が大きく反映されることになります。
今回は、その理不尽さ、システムの不合理さが
二つの裁定を通して描かれていました。
「人間に寄り添いたい」「貴女を分かりたい」と
知幸を見守るデキム。
一方、
「人間は誰もが死んだ途端に生にしがみつくだけ」
の生き物だと切って捨て、「お前の人生に何の
意味があった」「意味があったといいな」と
マユに言い放つギンティ。
同じ裁定者という人形でありながら、
人間を理解したいと感情に目覚めつつあるデキムと、
そもそも人間なんてくだらない生き物であり、
自分の存在に裁定以外の意味などないと
疑問を抱く余地すらないギンティ。
この二人の態度の差に、
なんか、こう、じんわりしたりもやっとしたりしました。
唐突に言葉が危うくなるw
いや、何て言ったらいいのか分からなくて。
ただ、
「分かりあいたいって思うのは間違いなのよ」
と言って泣く知幸に、
「知幸さんをもっと分かりたい」
「出会えて本当によかった」
と無表情に言うデキムに・・・
なんか・・・こう・・・じわっときました。
今までの無表情淡々デキムを思うと、
この変化が・・・なんか・・・こう・・・ね。
また、
裁定される側である知幸とマユ。
不運に見舞われ、
自分勝手でありながら、
自分でもどうしようもなく自殺した知幸。
その行動は確かに身勝手ではあるかもしれない
けれど、でも仕方なかったのだとも感じられ、
その空虚さになんとなく共感を覚え、
なんか・・・こう・・・もやじわっときました。
デキムと会ったことで、
また彼女も変化したように見えて、
二人の交流に温かい気持ちになりました。
一方。
理不尽に虚無行きになったように、というか、
ギンティに虚無に行かされたように思えるマユ。
明るくて楽しくて、ちょっとアレなんだけど、
そこがまた可愛い、憎めないマユ。
なのに、「人間なんて」という色眼鏡でしか
見ないギンティによって、
彼女は虚無に落とされることとなります。
・・・確かにボタンは推したんだろうけれど、
でも、それは8~9話の島田兄と同じく、
そういう流れに出会ってしまったから推してしまった、
というだけのことだと思うんだよね。
だからこの裁定結果はおかしいと思うんだよね。
マユちゃんかわいいじゃん!
なんで虚無よ!
ああああこの作品の唯一のポジティブ要素がっ!
・・・取り乱しました。
しかし。
虚無という地獄のような場所に送られる間際、
彼女の「人生」ともいえる原田の、
恐らくは単なる形だけの人形が何故か目を開き、
原田の魂と寄り添って落ちて行ったのが・・・。
目が開いたのを見たときのあのマユの嬉しそうな
顔が・・・。
全てを捧げると決めた相手と共に
いつまでも落ちていけるなら、
それは彼女にとって「地獄」なのだろうか、
また別の場所なのだろうか。
そう思うと・・・なんだか・・・
ギンティの裁定を少しは無効に出来たようで、
でも可哀相なようで、それでも救いはあるような
気はして・・・もやじわっとしました。
あと。
「人間は嬉しい時に笑顔になり、
悲しい時に涙を流す」
というだけの単純な理解しかない
裁定者であるデキムの言葉と、
悲しみながら笑っていた知幸の顔と、
喜びながら泣いていたマユの顔を思い出すと・・・
あああ・・・なんか・・・こう・・・じわっとくる・・・。
そんな感じで。
言葉には出来ないけれど、
言葉に出来ない感覚を覚えるからこそ、
私はこの作品が好きだな~と思いました。
もっとこういう作品が見たいです。
私はこういうの好きです。