我が子、
生まれた瞬間、名前はまだないころから
大学病院の入院患者でした。
ハイリスク妊婦だったので、大学病院で出産。
あらゆる検査を受けまくり、子供にも影響あるやもしれないとのことで、即、仮カード作成からの入院扱い。
まあ、その後の発達は大分やばかったので
さもありなん。
生後三ヶ月、アレルギー発覚。
激しい除去食生活が始まりました。
だから、生物学的なデータは脳のCTにいたるまで
大学病院にあるのです。0歳から見てくれた先生は、お別れする頃には、教授になり、定年退職までされました。
おかげさまで、食べられるようになったものもありましたが、
もち米、小麦、ピーナッツなどね。
メインは改善せず。まあ、私もあまりがんばれなかったし、騙せる間にやらなきゃいけなかったんかな
と反省。金と暇ある子育てじゃなかったから、やりきれなかったな。すまない、我が子。
で、進学と、年齢での卒業とあいなりました。
ひきつぎした先生も、0歳からずっとお世話になった先生だったから、いろいろ、本人に最後のお話をして巣立ちを見送ってくださいました。
親が言うより、信頼している医師の言葉は重い。
ありがとうね。先生。
進学先の近くに紹介状をもらい、お別れ。
いのちを守るために、気を付けること。
悪意ってものもあること。
ちゃんと医者にはかかっておくこと。
もろもろ聞いて、いつもの店でステーキ食べて
最後の通院が終わりました。
もう、私が盾になることはできないんだなあ。
と思いました。
うれしいけれども、心配。複雑なものね。