25歳の春、アメリカの医大を卒業して3ヶ月間の脳外科での研修を終え選んだ小児外科への道。結局親父の背中を追って来てしまった。俺はあの人みたいな生き方はしないって大口叩いてたのに何故か医者の道を選び気づいたら小児外科医の道を歩き始めてた。
アメリカで沢山声がかかったのに何故かわざわざ断って日本にいた。この日のヶ丘大学病院での正式な採用は決まったもののまだまだ、今年からしっかり実績を上げていかなければ認めては貰えない。そんな大切な出勤1日目、大幅に遅刻をしてしまった。
「別に君がいなくても何も困らないんだよ。わかるよね?そこからどうやって使い物になるかでしょ君は。アメリカではどんだけ評価されたか知らないけど。ここは日本だから。まだその段階にいるわけ。やる気ないなら医者なんかやめろ。医者は年中無休のような仕事なんだよ、急変した患者や救急搬送されて来た患者たちは医者が飛んで来られないなら死んで行くんだ。そんなんじゃいつか患者殺すぞ。」
「自分が医者だっていう意識が足りない。考えが甘いんだよお前。わかったら頭冷やしてこい。」
「はい。…すみませんでした…。」
ガチャリ…
「ったく。親が親なら子も子だなっ…。」
「……。」
バタン_____
あの人が俺に言っていたことは何ら間違ったことでは無い。目覚ましかけ忘れて寝坊した俺が悪い。意識が足りなかったことも、考えが甘いこともその通りだと思った。でも…
アイツと俺は…違う。西島新、俺の父親。アイツは15年前までこの病院で心臓外科医として勤めていた。だけどオペで執刀した患者が手術3日後亡くなった。手術には問題なかったものの家族は受け止めきれずその憤りの矛先は親父に向かった。始めは親父を庇っていた病院もやがては親父を攻めるようになり、最後は本当に親父のミスだったかのようにこの病院を去った。
何で否定しないんだ。もっと弁解しないんだ。何で非を認めるような言い方をするんだ。親父は俺の憧れの医者じゃなかったのか。俺はゴッドハンドだ、手術じゃ失敗はし無い。そう言ってたじゃないか。
「お前も大きくなったら俺みたいな小児外科医になるんだぞ。」
「うん!!父さんは僕の自慢だよ!」
カッコよくて、困っている人を助ける俺の憧れで自慢だったはずの親父があの時から心底カッコ悪く軽蔑する存在になった。
後から聞けばその例の患者は親父がかつて愛した女性(ヒト)の娘だったと。その母親が自分を責めるのだから甘んじて受け入れる。それが親父の出した答えだった。
そんな親父を心底嫌って反抗し続け中学卒業とともに寮のある高校へと進学し一度も実家に帰らず今に至る。でも何のつもりか知らないが今俺はかつての親父のようにこの日のヶ丘大学病院で働くことを選んだ。
親が親なら子も子だ…。そんな風に言われるのはごめんだった。そんなムラムラした気持ちを持ったまま病院の庭園のベンチに座っていた時ふと耳に入って来たヴァイオリンの響き、音を追って行くと一般開放されている公園の丘の上でヴァイオリンを弾く女の子が見えた…。
その音符の羅列は実に自由で開放的で、でも強い意志の感じるそんな音だった。
まだ聴いていたい。そんな欲もあったけれどどんな子なのかもっと知りたくて止まった音と拍子に声をかけた。
「君とっても綺麗に弾くんだね。」
そう言った俺に君は振り返ってこう言ったんだ。
「ううん!私が綺麗に弾いてるんじゃなくて音が綺麗な所と繋がってるのそれで、風に乗るみたいに私は音に乗せてもらってるだけですよ。」
小さな頃からピアノを弾いていた俺にはそれなりに音楽の才能もあって、要するに手先が器用なのだと我ながら思っていた。
でもこんなに音楽そのものを愛している人はそういない。この子…面白い。
それが君と俺の出逢いだった。

