前稿においては深層心理学と経営学との捉え方の違いについて吟味しました。理論の方法として、経営学は帰納的、深層心理学は演繹的(ユング派に関しては・・・)となります。つまり、経営学は結論ありきの理論展開となるのが特徴的であり、それ故に仮説が立証されない場合、データの改ざんなどが問題視されやすい学問であるのも特徴です。ユング派の心理学に関しては演繹的であることが基本中の基本であるため、個人の症状が改善されない場合などは例外として扱うのではなく、「改善されない問題点」を個別に探ることになるのが大きな特徴であります。ここに経営学とユング心理学との大きな差ができてくるわけで、この相容れない大きな溝を埋める方法を考えなければせっかくの良い理論でも活かすことができないというのが私からの問題提起です。
前稿においては1は1と申し上げました。ここにリンゴという名詞を付け加えるとたちまち考え方が変わってきます。つまり、一つのリンゴと一つのバナナを「プラス」すると答えは・・・やはりスムージーでしょう!つまり、量的には2となり、その相乗効果を期待される別のものとなるわけです。逆に、リンゴとバナナという個別性を排除すると答えは2となり、誰もが納得できる答えが導き出せるのであります。ではスムージーという回答に納得できない人が多くいるのはなぜか?を考えていただきたいのです。心理学者としては非常に面白い回答であると思うのですが、皆様方の常識では間違いとなるでしょう。なぜなら、1+1は2となるからです。しかし、私は設問として1+1=2となる理論など最初から問いただしてはおらず、ただ単にプラスすればどうなるかを聞いただけであります。こうなればここに国語能力などの読解力なるものが注目されるようになるのでしょうけど、それ以前に、なぜ「一つ」という文字を見ただけで「1」と思えるのかを考えていただきたいのです。これこそが無意識であり、コンプレックスであります。
一つのリンゴと一つのバナナを「プラス」=スムージーと聞くとイライラする場合、この点がコンプレックスとなっており、それを受け入れるだけの心の余裕がない状況であります。そのような人はやはり育ってきた環境が影響しているわけで、そしてその育ってきた環境なるものは人間の数だけあるわけで、全ての人の育ってきた環境を「環境」という概念で一律に扱うことができないのがユング派心理学の特徴であります。
結局のところ何を主張したいのかですけど、人間は様々なコンプレックをもつ生き物であります。つまり、1+1=2で納得する人もいれば一つのリンゴと一つのバナナを「プラス」=スムージーで納得する人もいるわけです。この両方を全て受け入れる人もいるわけで、世間は存外、広いものであります。この点を理解したうえで物事を進めないと前に進めなくなるわけです。A氏は東京では受け入れられたのですが、関西で苦戦する要因はこの点にありまして、東京でのある一部の集合体の前においての成功は他方の集合体で成功するとは限りません。ここに集合性と個別性の両方を重要視しなければならい理由があります。ユング派心理学で例えると、集合的無意識と個人的無意識、それを意識でもって統合していく作業が必要となるといえるのではないでしょうか。
何事も簡単に事は進みません。世の中は難しいものです。集合性を利用して組織の中にうまくなじんでいくことも必要でありますが、それでは多くの人の中の一人で終わってしまいます。しかし、ある組織の中で目立つ存在となればその組織から外されることにつながるかもしれません。ではどうするか?という問題を回りくどく解説したのですが、いかがでしたでしょうか?次回に続きます。ご高覧、ありがとうございました。