前稿からペルソナから影の段階への変遷を述べております。少しだけ話を戻しまして、ペルソナを具体的に感じていただける歌詞がありましたのでご紹介します。The Blue Heartsの『チェインギャング』からの引用です。
仮面をつけて生きるのは息苦しくてしょうがない
どこでもいつも誰とでも笑顔でなんかいられない
心理学的に素晴らしい歌詞であると思いまして、引用させていただきました。ペルソナ自体は元型イメージですから直接触れることはできません。しかし、それを表現したものとして可視化しますと上記の引用歌詞において非常によく読み取ることができるのではないでしょうか。仮面はすなわちペルソナです。仮面を演じ続けるのはやはり精神的に辛いものです。それが爆発していくプロセスが歌詞としてうまく表現できているかと思います。
これを私のバンドに例えますと、パールジャムの仮面をつけていたけど、逆にこの仮面に押しつぶされて破綻することを意味します。ゆえにどこかにオリジナルな部分を組み込んでいかなければミュージシャンとして生きていくことは不可能であると解釈することができます。では、仮面に押しつぶされアニマ・アニムスが露呈した状況の中でどのようにして生きていくかですが、ここに第三の道なるものが出現します。これが「影」です。影については既に河合隼雄博士が『影の現象学』講談社学術文庫、1987年という論書の中で詳しく論じておられます。ユング自身が論じている影についての論書は、翻訳書としては高橋義孝『無意識の心理』人文書院 1977年があります。まずはそれらの書をご一読いただきたいのですが、まず、ペルソナに押しつぶされていたとしても完全にペルソナがはがされた状態ではないことをご理解いただきたいです。例えば、警察官が警察というペルソナに押しつぶされたがゆえに、私服で自由なスタイルで勤務することは許されませんし、そのような人を見たこともありません。私たちのバンドでパールジャムのカバーに押しつぶされそうになったがゆえにパールジャムの看板を全く放棄するわけではありません。そこで私たちは彼らの曲にオリジナルの日本語の歌詞をあてがうことによりペルソナとの調和をとっております。警察官が警察という職業に嫌気がさしているときにどのように対処しているか私は存じ上げませんが、おそらく警察という業界の中で独自の解決法があるはずです。そうでなければ既に警察という組織は崩壊しております。
ここで実例として嘉門タツオさんを考察してみようと思います。嘉門タツオさんは替え歌で有名ですが、しかし替え歌だけでプロとして生活しているわけではありません。そこに嘉門さんのフルオリジナル曲がしっかりと存在します。なぜこのように替え歌とオリジナル曲の混合でうまく認識されるのかについて不思議に思いませんか?通常、ミュージシャンはカバーのみかオリジナル曲のみで生活するものです。しかしながら嘉門さんは替え歌のイメージが強いものの、オリジナル曲を作るアーティストとしてもまた有名であります。代表的なのが『ヤンキーの兄ちゃんのうた』、私が個人的に好きなのは『ハンバーガーショップ』です。ここでペルソナという元型イメージのみではとらえきれないものが存在すると認識していくべきでありまして、そこに影という概念が出てきます。
まず、元型イメージとして最初はアニマ・アニムス、次に影が出現してきました。具体的な解説をしますと、男性なら女性的な面を全面的に出し、しかしそれではうまくいかないのでペルソナをつけて男性的な部分をプラスするなどのプロセスであります。つまり、主体の在り方とは180度逆のことを繰り返す構図となります。この論文の主人公である男性は女性化してある程度成功しましたが、ある時期に失敗し、その次にペルソナをまとい男性的な部分を引き出し復活しましたがまた失敗しました。ここまでは男性と女性とを交互に入れ替えるという戦術でありましたが、ではここでもう一度女性になってみたところで大きな成功がないことは安易に予測することができます。ではどうするか・・・ここで第三の道としての「影」が出てきます。影は生きられなかった半面を意味します。つまり、男性のAさんは既に女性も男性も経験しておりますのでその中で生きられなかった半面とは何かを考えなければなりません。このあたりまでくるとプロの芸能人として非常に仕事が面白くなってくる時期でありますが、要は性別で方向性を決めることができないので、全く別の方法を探さなくてはなりません。ゆえに第三の道であります。そして生きられなかった半面とは何かを考える際に、例えば私のバンドのニューイシューでは「オリジナル曲」を披露していくことではないでしょうか。しかし、ペルソナとしてのパールジャムを捨てるわけではなく、パールジャムのテイストを残したまま、生きられなかった半面を生きていくわけです。
嘉門タツオさんはニューイシューというバンドとはプロセスは真逆で、最初オリジナルから、その後に替え歌へ参入されたのですが、行く先は同じでありまして、ともに「プロミュージシャン」であります。この個性化へのプロセスを目に見える形で伝えている大先輩が嘉門タツオさんでありまして、心理学的に非常に興味深いミュージシャンであります。
影と音楽業界との関わりについてご理解いただけたでしょうか。次回も影について論じてゆきます。ご高覧、ありがとうございました。