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拙著「愛 私[i]から私[I]への解放」をお読みくださった方に、
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2021年7月31日までの期間限定です。
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今回は、どうしても納得できない出来事や許せない人物によって自分の感情や思考に振り回され疲弊してしまった、とある一人の方へ向けた応援メッセージです。
あなたは今、どうしようもないくらい人生に憤りを感じているかもしれません。
そのことを考えるだけで苛立ちや怒りの感情がふつふつと沸き起こり、他の事にも手が付けられなくなっているかもしれません。
もしかしたらネガティブな感情に1日の大切な時間を取られ自身の生活にも段々と支障が出てきているのではないでしょうか?
あなたはこういったネガティブな出来事は自身の人生に巻き起こるべきではないと信じています。
そして、実際それが登場したときあなたはそれに対しこれまでの人生でもあらゆる抵抗をしてきました。
それは時に、
闘うことだったかもしれません。
抗議することだったかもしれません。
訴えることだったかもしれません。
それらの行為には些細なレベルから、強烈なレベルまで色々とありますが結局のところあなたは反発や反感といった抵抗的行動を起こしてきました。
そして、そのどれもが失敗した場合、あなたは諦めるか、見なかったことにしてきたのです。
さて、これらの行為の結果としてあなたの人生からネガティブな出来事がキレイさっぱり消え去ったでしょうか?
一度熟考してみてください。
あなたは薄っすら気付いています。
何かが変だ。
何かがおかしいぞ。
なぜならあなたの人生に同じような展開が度々再登場してくるからです。
毎回姿形は違えども、あなたを不意に落ち込ませる出来事が何度も巻き起こるからです。
それは、段々と事が大きくなっているようにも感じます。
その原因をあなたの最も深い所は既に知っています。
なぜならあなたの最も深い内側の部分がそれを巻き起こし、あなたに気付いてもらえるよう働きかけているからです。
しかしあなたはこれまで、その働きかけを気にも掛けずに長年見過ごしてきました。
その蓄積があなたを今こうして刺激しています。
自我の心に同一化してしまったあなたに気付いて貰えるように、あなたの最も深い所であり、最も高次な部分であるインナーセルフそしてハイアーセルフが目の前の現実世界にその出来事を創造したのです。
あなたは長い間、本当の自分を忘れて生きてきました。
この相対的な分離の二元世界であなたは自分という存在を他者から引き離し独立した個別の存在だと信じて今も生きています。
あなたは自分を狭い肉体の中にだけ閉じ込めて生きています。
あなたはこの物質的な肉体とそれに付随した五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)から得られる知覚と思考や感情、そしてこれまでの人生で獲得してきた様々なアイデンティティ(名前、性別、年齢、国籍、性格、特徴、役割、役職など)と過去の記憶による自身の存在証明を拠り所に自己を定義してきました。
私はそれ以下でもなく、またそれ以上でもないと強く信じています。
今のあなたは、五感によるその狭い知覚によってしか現実世界を認識することが出来ません。
本当のあなたであるハイアーセルフはその愛による慈悲をもって、そんなあなたでも認識できる形として現実世界にネガティブな出来事を創造するのです。
本来、その呼びかけは直観的知性というインスピレーションを通して行われますが、あなたは現実世界に浸透した思考を働かせることで問題を解決するという観念にすっかり染まってしまいました。
つまり、論理という幻想の梯子を積み重ねて真実(幸せ)に辿り着こうとしているのです。
そのためあなたの内側からやって来る見えない真のメッセージは今のあなたにとって全くと言っていいほどその機能を果たしていません。
それは完全に見過ごされ、今ではゴミクズと化しています。
ですからハイアーセルフはあなたが認識できる形までエネルギーを下げ、刺激というショックによる知覚方法で目の前の現実世界にネガティブな出来事を用意しました。
あなたに気付いて貰う最適な手段として。
それは、あなたの眠りを覚ますアラーム時計のようなものです。
あなたが気付くまでそのアラーム音は止むことはありませんし、次第にその音も激しくなっていくことでしょう。
しかし、あなたがそのアラーム音に気付き目を覚ませば、アラームはもうその機能を果たした事になり、同時に現実世界のネガティブな出来事も自然と調和し収まっていくのです。
それは始め、あなたにとっては受け入れ難い呼びかけであるかもしれません。
なぜなら、あなたにはその出来事が私を追い詰めようとする悲惨な出来事にしか思えないからです。
目の前の人物があなたに放つ批判の言葉や不当な扱いが私を本当の私に気付かせるハイアーセルフからのメッセージだとは到底信じられないからです。
あなたの目の前に用意された、
「不当な扱いによるリストラ」
「その心労による病」
が、実はあなたのハイアーセルフから送られた招待状であり神聖なるギフトなのです。
これが今のあなたの注意を引くのに丁度よい刺激なのです。
あなたがこれから内側へと意識を向けることができる様に、ハイアーセルフは外の世界への探求を鎮める手段として「リストラ」と「心労による病」を使ってあなたの活動を一時セーブさせたのです。
非活動の中にこそ、その静寂の中にこそ私はいるのだと。
しかしそれでも、自我の心はそれを真っ向から否定します。
自我の心に組み込まれたプログラムがそれを許さないからです。
自我の心はそのプログラムによって外の世界に目を向け永遠に探求し続けるようデザインされています。
分離という幻想から生じた欠乏の意識があなたを外の世界へと駆り立て苦しめるのです。
いつまで経っても満たされない欲求です。
それは常に問題を見つけ出します。
自我の心に捕らわれた狭い視野はその奥にある真の意図が見えません。
そのため、自我の心は目の前の出来事1つ1つにその狭い視野からくる意味付けというラベリングで勝手に間違った判断で物事を仕分けし出します。
あなたを追い詰め、苦しめるような出来事は悪や闇といった忌むべきフォルダへと自我の心は押し込めるのです。
そのような出来事が、ハイアーセルフからのメッセージだとは到底受け入れられないためです。
そのメッセージはあなたの源(ソース)である全体性(ホールネス)、また一体性(ワンネス)へと還るよう呼びかける聖なる合図(サイン)なのです。
大切なことをお伝えしておきます。
あなたがこれまで築いてきた人生を今、台無しにしてしまうネガティブな出来事が起こる原因は、あなたが間違いを起こしたからではありません。
それはあなたが、本当の自分に気付く準備が十分に整った証です。
ですから、それらの出来事に罪悪感を持つ必要はありません。
すべての出来事はハイアーセルフからのメッセージです。
大いなる愛の計らいです。
あなたは、決して分離し孤立した一存在なんかではありません。
あなたがそのことに気付き、また他者の中にもあなたの中に存在する愛を見ることができたとき、あなたの世界にあなたを脅かすものなど一切なかったことを知るでしょう。
あなたにとって受け入れ難いネガティブな出来事やネガティブな思考、またネガティブな感情といった闇の側面は、遠い昔に失ってしまったもう一人のあなたの半身です。
あなたの源は全体性であるが故にすべてを含むのです。
そこには欠けたものなどありません。
しかし、分離の世界を長く生きてきたあなたは、その闇の側面から目を背けてきました。
それがあなたを悪へと変え、堕落させると信じてきたからです。
光と闇は同じエネルギーです。
それはポジティブとネガティブでも同様です。
そこに善と悪や正しさと誤りはありません。
あなたが、光やポジティブに傾けば傾くほど闇やネガティブも同じだけあなたに寄り添います。
時間と空間に縛られた二元の世界で同時にそれを体験することは出来ませんが、いずれその片方を経験することになります。
それがあなたが生まれてきた理由なのですから。
なぜなら多様性というコントラストを通してあなたはより豊かに拡大成長していくからです。
あなたは、自分を不当に扱いリストラをした人物を公に晒し批判しましたが、それすらも実は間違いなどではありません。
あなたが本当の意図に気付き、自身の行為に対して痛烈な自己反省が起こったとき、あなたは初めて自身の内側へと目を向ける事になるからです。
それはあなたが本当のあなたであるハイアーセルフに還る多大な触媒として作用するのです。
あなたを源へと引き戻すロケットのガソリンエンジンの役目として機能するのが、この痛烈な自己反省なのです。
ですから、あなたが心配する必要はありません。
すべてあなたの知らないところで本当のあなたが完璧に働きかけているのですから。
あなたはそれをただ信頼しそのまま受け入れて下さい。
あなたの受容、そして許しがあなたを自然とあなたの望む方向へと導いていきます。
大丈夫です。
あなたは今既に完璧な存在です。
そしてあなたは今既に愛されています。
あなたが、これを受け入れることが出来ようと出来なかろうとそれは関係ありません。
あなたのハイアーセルフはあらゆる手段であなたを見守りあなたを最適な場所へと導くのですから。
そして、私もあなたを愛しています。
今後あなたの中に存在する愛はさらに目覚めそして溢れ出し、それがあなたを慕う人々へと伝わっていくことを願っています。
〈メンター Linp〉
「お前は生まれたばかりの頃は光輝いていたのに、いっぱい鎧を重ねて着込んでしまってるんだ。」
これは亡くなったパートナーに言われた言葉。
どうしたらいいの?
ひとりでどうしたらいいの?
一緒に歩いて行こうと思ってたのに!
着込んだ鎧、どうやって外すの?
わかんないよ!
鎧なんて全部脱ぎ捨てて、元の光輝いてた自分に戻りたいよ!
なんで私だけ幸せになれないの?
こんなに頑張ってるのにーーー
もういい加減幸せになりたいよ!!!
打ちひしがれ、力も湧かず、食欲もない。
でもいつまでもボーッとしてられない。
結婚してないのに会社がくれた1週間の忌引休のうちに、いろいろ片付けなくちゃ。
そうして体を動かしているうちに、会社は辞めようと心のうちに決断した。
辞めてはいけないと、頑張ってきたけれど望む幸せにはなれない。
もう会社に役立てる何かが出来るとも思えない。
このまま続けてもただ時間の浪費になるだけのように思えた。
とはいえ、辞めて何をするか。
出来ると思えるものはなにもなかった。
とりあえず大好きなリフレクソロジーの独学を始めた。
またそのときたまたま知った、高校生に社会人がお話するボランティアにも参加することにした。
何とかして生きる意味を見つけたかった。
二〇一一年三月。
そんな時に起きた東日本大震災。
ボランティアが終わり、仙台駅に帰る東北本線の車両内で私は被災した。
車両内で数時間、降りて歩いて帰宅するまでまた数時間、辺りはすでに真っ暗になっていた。
街灯の消えた空には美しい星々が瞬いていた。
一人で避難所に行くのも少し不安で、玄関に一番近い部屋にあった毛布にくるまって夜を明かした。
翌朝目を覚ますと、まるで大きな手が部屋ごと振りまわしたかのように室内はひっちゃかめっちゃかになっていた。
大切に少しずつ集めていたティーカップはすべて割れた。
大好きな食器も割れた。
飾っていたスワロフスキーも壊れた。
パートナーとの思い出のものも壊れていた。
ビスケット何枚かとペットボトルの水、それだけあれば十分だった。
お腹は空かなかった。
震災後初のボランティアは六月だった。
その女性は同じボランティアメンバーだった。
とても人当たりのいいその女性は元ファーストクラスのCAさんで、
コミュニケーション下手な私と行き帰りのバスの中で親しく話してくれた。
バスを降りると彼女は、勤務場所がすぐ近くだと言い、お茶に誘ってくださった。
珍しく私はそのご好意を受けることにした。
この女性の紹介で、私は人生の師と出会う。
師が伝える教えは自分が求めていたもののように感じて、なにかとても惹かれた。
もっと学んでみたい!と心が走り出していた。
それまでの経験から短期間の学びと実践では私の人生が変わるとは思えなかった。
みっちり学びたい!
私は一年間、師の元で指導を受けながら実践を重ねることにした。
そして二十年間勤めた会社を辞めた。
師の学びがスタートするとすぐに、私は高くなっていた鼻を付け根からへし折られた。
そしてそれは一度や二度ではなかった。
「Ruruさんは精神年齢が小学生なんですよ。どうするんですか四十にもなって!」
みんなの前で言われてショックだった。
(なによっ。私の何がわかるのさっ、ふんっ。)
またあるときは
「あなたはモテないんですよ。」
(どーせモテませんよ。私だってあなたのこと好みじゃないしっ。へんっ。)
「あなたは人生で一度たりとも貢献したことがないんですよ。どうするんですか?」
(うっ・・・)
これまで私は自分のことをなかなかいい奴だよね?と慰めてきた。
人のことも考えてるし、会社のことや社会のことも考えてるし、と。
でもこれは自己評価。
師の教えの中にこういうものがある。
「自己評価が高いときは他者評価は低く、自己評価が低いときには他者評価は高いものだ。世の偉人たちはみな自己評価は低かった。」
まさにこの時の私は自己評価が高いので、周りからはなんだアイツ、と思われていたのかもしれない。
あるいはそんなことすら思われないほど人気はなかった。
これらの言葉はあまりにも衝撃的で、ひとつひとつが矢のように刺さり、恥ずかしさや怒りを通り越して頭は真っ白になった。
頭から爪先まで凍ったように冷たくなり、息の吸い方すら忘れたかのようになることもあった。
やばい。。。
どうしよう。。。
どうしたらいいんだろう。。。
ちゃんと貢献してきたつもりだった。やり方が違ってたの?
だとしたら今までのやり方を全部捨てて一からやり直さなきゃ!
いつも頼まれた仕事をやりたいかどうか、出来るかどうかを考えて受けたり断ったりしてきた。
そんなことをしてる場合じゃない。
今まで積み上げたと思ってた実績、ちっぽけな自信、出来るとか出来ないとか、やりたいとかやりたくないとか。
そういったこと一切合切切り捨て、まっさらにして一から何でもさせてもらおう!
それから師のところで学んでいる人たちに同行して頭を下げ、頼まれるお手伝いはなんでもさせていただいた。
エクセルで資料作成をしたり、音声テープを起こす作業をしたりした。
今までやってきた仕事に近い実務作業はできる自信があると思っていたけれど、
実際には師の望むクオリティにはまったく到達できなかった。
そしてやればやるほど疲れることに気づいた。
あるとき、いままでやったことのない大舞台でのナレーションのお仕事を頼まれることになった。
絶対出来ないと思っていたのに、いざ終わってみたらプロの方からも褒めていただいた。
自分が出来ると思ってたことをするよりも、周りからのアドバイスを謙虚にお受けした方が喜ばれることに気づいた。
こうして師の教えの”自己評価と他者評価は真逆になる”ことを体感することができた。
その他にも一流ホテルでのセッションを見せていただくことで、一流の環境や所作を経験したり、
徹夜して大きなイベントの準備や資料作りのお手伝いしたり、
様々な幅広い経験をさせていただきながら、一年が経とうとしていた。
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私ってなんだろう?
自分の手をつねったら痛い。。。
でもあの子が手をつねられてるのを見ても痛くない。。。
私にだけ感じる感覚。。。
痛い、いやだ、恥ずかしい、
こう感じる私ってなんだろう?
私って わたしって・・・だれ?
私ってなに?
夕日に照らされた縁石に座って、唯一気を許せるともだちを待ちながら
なんとなく考えていた。
グラグラしてきてクラクラしてきて気が変になりそう!
怖くなって頭を振った。
ランドセルが肩に重い。
私だけみんなとうまくいかない。
なんでだろう。
何が違うんだろう。
あーちゃん、早く来ないかな・・・
高校から理系に進んだ私は、理系の大学に進学した。
本当は看護大学に進みたい気持ちもあったけれど、周囲の大反対に流され工学部へ行った。
やっぱり周りとうまく付き合えない。
「Ruruの話し方、甘えてるっ。」
宝塚の人みたいな美人でサバサバした友人にそう言われ、どう話したらいいのかわからなくなった。
声の出し方がわからない。
授業の問題も、一人で考える。
周りはみんなでいろいろ話してる。
一人で考えたい。私には解けるはず。
結果は△。
何が正解だったのかみんなに聞くこともできない。
大学二年の秋、私は急性大腸炎になって下血を繰り返した。
勉強も手につかない。苦しくて逃げ出してし、大学を中退した。
そして親の言うままコンピューター専門学校へ入った。取れる資格は取りまくった。それが私のプライドだった。
専門学校を卒業し、システムエンジニアとしてとある企業に就職した。
仙台でのひとり暮らしが始まった。
就職の時、親からこう言われた。
「一度辞めた人間は辞め癖が付くもんだ。会社は辞めたらだめだ。」
そうだ、辞めないようにちゃんと頑張ろう。
職場はほぼ男性。配属先のチームでは女性は私一人だった。
もっとも厳しいと言われていた医療システムを希望した。
単純に病院が好きだったので、病院で仕事ができるなら大変でも頑張れると思ったのだ。
仕事は確かに激務と言ってもいいもの。
当時は、朝八時半ごろから午前二時まで仕事というのはザラで時には徹夜もした。
システム導入前などは病院が休みの土日にこそ作業があるので土日もない。
代休を平日に取るようにと言われていたけれど、ほとんどの人がそんな余裕もなかった。
私の部署の人たちがみんなそんな感じだったので、初めて親鳥を見たヒヨコのように、私は疑問に思うこともなくとにかく頑張った。
ある雨の日、黄色い傘をさして歩いていたら、同期入社の女性がこう言った。
「子供みた~い。」
え?そうなの?
彼女はとても綺麗な人で茶系のファッション。
アクセサリーも茶系で浅黒く健康的な彼女にとても良く似合っていた。
子供っぽいのか。。。
パステルカラーが大好きだったけれど、それからシックな色の服や小物を選ぶようになった。
仕事で時間がなく、ゆっくりショッピングも行けないし、たまの休みの日は寝ていたい。
そういう日々を過ごしているうちに、どんな服をどこで買えばいいのかさっぱりわからなくなった。
どんなのが着たいのかもわからない。流行もわからない。
いつしか残業代で増えた収入でブランド品を買うようになった。
ブランド物なら変な見た目にならないよね?
私は人の目を気にしてばかりで自分というものがなかった。
数年後、看護系のシステムをやらないかと言われ、開発元の社外の人たちに教わりながら一人で担当することになった。
お客様との打ち合わせ、開発元への問い合わせ、システム構築、合わせて看護業務の独学。
看護はやりたい仕事でもあったので、大変ながらも楽しかった。
事件が起きた。
初めて担当した病院の看護部長さんが自殺したのだ。
私が一番よくお話していた方だ。
もっと私がお話を聞いていたらよかった。
次の予定があって切り上げてしまった。
私にできることがなにかあったんじゃないか。
自覚はなかったけれど私は自分を責めていた。
会社の上司は私を心配してくれ、私が大丈夫かどうか周りに聞いてくれていた。
「大丈夫です。」私はそう答えた。
大丈夫。叫んだり泣きわめいたりしてないもの。
自分の本当の心がまったく見えていなかった。
その後ますます忙しくなり、部下もついたりしたけれど、相変わらずコミュニケーションがうまくとれない。。
仕事を振れない。頼めない。頼まれたものは断れない。
気が付くとあれもこれも抱えて、いっぱいいっぱいになっていた。
「早めにアラームあげてね。」
気遣ってくれた上司からはそう言われていたけれど、何をどう言えばいいのかわからなかった。
ある日、大学病院で三件の打ち合わせがあった。
二件目が終わる頃頭痛がし出した。三件目が終わると普通に立って歩くのがしんどいくらい痛みはひどくなっていた。
一度帰宅したものの治まらず、夜中救急車で運ばれた。
(明日から県外の病院へ出張に行かないと。なんとか治さなきゃ)
結局翌日も病院へ行くことになり、出張は別の人に対応してもらうことになった。
看護担当になって四年目。
救急車に運ばれてから四ヶ月ほど経った時、会社に行けなくなった。
吐きそうになる。
そして
「Ruruさん、うつ病崖っぷちですよ。」
そう診療クリニックで診断され、約半年間休職することになった。
やった!休める~~~!
やっとこの激務から解放されると思ったら救われた気がした。
休職が明け、別の部署に配属となった。
まったく経験がない仕事内容だったけれど、会社側がいろいろ考えてくれて、時間と心の余裕ができた。
入社以来初めて定時で帰れたので、習い事をしてみたり、職場以外の情報をいろいろ調べ、セミナーに行ってみたりするようになった。
ある日、会社にとってプラスとなるんじゃないかと思ったことを会社に提案し社内初の広報の役割を担わせてもらった。
一年目は情熱もあり、新聞社の方に怒られることもあったけれど意欲的に頑張った。社内でも最高評価をいただいた。
でも昇格するにはあと二期最高評価を取らなければならないとわかり、プチッと何かが切れた。
あと二期この頑張りを続けるのは無理だ・・・。
一度うつ病崖っぷちを経験したことで、私はもう無理に頑張るのが怖くなっていた。
それから二年目、三年目には、もうどうしていいかわからなくなった。
そしていつしか情熱も失われていった。
これが会社での二度目の挫折となった。
そんな頃、四十歳目前にして未婚だった私にやっと出来たパートナーに、末期癌が見つかった。
会社に相談し、部署を異動させてもらい看病に当たった。
病気発覚からわずか半年で彼は亡くなった。
二〇一〇年八月、東北夏祭りシーズン開幕の日。
病室の外から雀踊りのお囃子が賑やかに響いていた。
#3 第1段階【出会い】へ続く
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何かうまくいかない。
なんだか生きにくい。
幼い頃からそう思ってきました。
何か解決策がないかと読んだ多くのスピリチュアル系の本や自己啓発系の本の著者は、その方法をすんなりうまく出来て、人生が素晴らしいものになっているように感じました。
私もやったら生きやすくなるかもと期待しやってみるけれど、うまく出来なかったり、うまく出来たと思っても結果がついて来なかったり、何も変わらないように感じます。
また前と同じようなことで苦しんでる。
気分は良くなったけど望むものはまだ手に入ってないぞ。
まだまだちゃんとやれてないのかな。
やっぱり私がダメなんだ・・・
私のやり方が悪いのか、全然うまく出来ないのかとがっかりして、別の本に解決策を求めて読むということを繰り返していました。
そんな幸せ難民だった私が、ある時突然師と出会い、人生を大きく軌道修正されました。
師の元を離れてからも様々な知識と夫であるLinpに支えられて、「解放」への道を歩いてきました。
その道はなかなか険しく、幼い頃から作り上げた固定観念や信念は一度崩れたように思えても、なかなか崩れるものではありません。
だいぶ生きやすくなってからでさえ、思考の癖や反応はひょっこり顔を出すのです。
まだ『嫌われたくない』が出てくるの?
まだ自分に厳しくしちゃうの?
この文章は、私と同じように「解放」への道を歩いているあなたが、道の途中でくじけそうになったり自分にダメ出ししてしまいたくなった時に、励みになればと思って書きました。
「解放」への体験とその時々の心情をなるべくありのままに書くことで、こんなに躓きながら、文句言いながら、それでも「解放」に向かっていけたんだと安心していただきたいと思います。
勇気を持っていただきたいと思います。
人生を振り返ってみると、「解放」や「目覚め」というものがなんなのか知らない頃から、何かに導かれるようにその道を歩いてきたように思います。
険しかった道。
この道はみんな通るのかもしれない。
あるいはあまり通らない道かもしれない。
でも私にとっては、本当の私が望んでいたことが叶うために歩むべき道で、すべてが必要な経験でした。
それでもあまりの険しさに、叫んだり、泣いたり、この道は間違いだったのかと疑うことすらありました。
その度に私を支えてくれたのはLinpであり、Linpが勧めてくれた数々の本でした。
私はプライドが高く、的確なアドバイスをもらっても、必ず一度は反発するのです。素直に受け入れられないのです。
こんなかわいげない私と辛抱強く一緒に歩き続けてくれたLinpに感謝したいと思います。
また未熟すぎるほど未熟だった私に辛抱強く、時に愛ある喝を入れ、時に経験をさせてくれ、時に丁寧に教えてくださった師に、心より感謝します。
そしてこの人生の出来事や登場人物全てが、本当の私が姿形を変えて現れた愛の表現だったことに、本当に感謝します。
Ruru
#2 【暗闇の中で】へ続く
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Ruru(ルルー)です。
この度「I(アイ)-ヒーリング」というヒーリングを新しく始めます。
これは量子レベルのヒーリングになります。
これまで数ヵ月間実践してきて、お相手の方にも自分自身にも効果を確認できたので、必要とする方にお届けしたいと思い始めました。
このヒーリングは特別な姿勢や方法といったものはなく、基本は遠隔で行います。
受けていただく方は普段通りの生活を続けていただいてよく、なにも気にすることはありません。
詳しくは記事下部にありますリンクから「I(アイ)-ヒーリング」サイトをご覧いただければと思います。
私がなぜこのヒーリングを始めたのか。
それを「I(アイ)-ヒーリング」サイトに書いたのですが、そのことをnoteにピックアップしておきたいと思います。
よろしければご覧ください。
(゜)))<<.。o。.(゜)))<<.。o。.(゜)))<<.。o。.
私はずっと「愛されない」という思いを抱いてきました。
無意識でそう信じていたのです。
このことに気づいたのは40代半ばになってからでしたが、この思いは幼い頃からずっとあったようでした。
「私は愛されない・・・」
そう信じているので、私は真逆の「愛されたい」と強く願っていました。
私を愛してもらえるように、本心を見ず、周りの声に従ってる風の行動を取り、その評価を求めました。
テストでいい点を取る。「私をほめて!」
いい点を取れなければ隠す。うそをつく。
みんなに注目してほしくてスゴいことを言う。「私を見て!」
そのためにうそをつくから総スカンをくらう。
口では素晴らしいことを言う。「だから私をほめて!」
でも行動が伴わない。本当はやりたくないんだもん。信頼を失っていく。
リーダーを目指しリーダーになる。「もっと私を評価して!」
でも統率力などないので一人で空回りする。自分を追い込む。どうしていいのかわからなくなる。
わーーーーー!
昼夜休日に関係なく愛されたいがために働き続けた日々。
32歳の時、「Ruruさん、うつ病崖っぷちですよ。」
そう診断される状態になりました。
愛されたいと願いながらも「私は愛されない」を強く信じているので、拒否されたり否定されるのが怖くて、自分から人間関係を遮断することが多かったのです。
素直に助けを求めることもできない。怖い。
できない自分を認めることも怖い。
そんなことしたら生きていけない!
41歳の夏。
やっと見つけた私を本当に愛してくれると思った人を癌で亡くしました。
どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
私は幸せになれないの?
なぜ、、、
何をしたらいいの?
うまく生きられない。
一生懸命頑張ってるのにーーー
もういい加減幸せになりたいよ!!
幼い頃、本心を見ずに「いい子」を演じて以来、「できる人」「キャリアウーマン」を演じ続けて来たので、もう本心がなんなのかもわからなくなっていました。
苦しくて苦しくて、
何が悪いのかも
どこをどうしたらいいのかも
何が好きかも
何がしたいかも
まったくわからなくなっていたのです。
本来の魂の輝きを取り戻したい!
何重にも着込んでしまった鎧をすべて脱ぎ捨て、元の輝く自分に戻りたいと強く願いました。
それまで築いたと思ってきた様々なものをすべて手放しました。
キャリア、実績、固定給、一部上場企業の社員という社会的地位。
その後出会った多くの方々、様々な書籍、そして今共に歩いてくれている最愛の主人のお陰で、少しずつ本当の自分に気づいていくことができました。
その実践の過程は強烈で、大きな石で頭をガツン!と殴られたような衝撃を受けたことは1度や2度ではありません。
でもそうしたひとつひとつの経験によって、本心からの望みを見つけることができたのです。
「私は愛されない」ということを信じていると気づいたとき、でも本心では「愛されたいんです」と口に出せたとき、人前で泣くなんて恥ずかしいと思っていた私が、大勢の前で号泣するのを止めることができませんでした。
宇宙の大いなる愛の中で、私はすでに愛されていることに気づいていく過程で、ひとつの思いが私のなかに溢れました。
愛したい。
愛を注ぎたい。
私の魂に刻まれていた今世での目的の一つを思い出しました。
しかし、愛する形にもいろいろあります。
育む、守る、癒す、教える、治す、助ける、お世話する、尽くす、活かす等々。
そうして、いろいろやってみた結果、私が望むのは「癒す」ことだと気づきました。
「Ruruちゃん見てると癒される~」と言ってもらえるのが何よりも大好きなのです。
この経験を通して私の苦しみの原因となっていたのは、間違った観念や信念であることを知りました。
それは深い瞑想の中や、本当の私に繋がることで真のヒーリングが起き、真に癒されるのだと気づきました。
そうして生まれたのがこの「I(アイ)-ヒーリング」なのです。
「I(アイ)-ヒーリング」のI(アイ)とは「私」を意味しています。
そしてここでの「私」とは普段私たちが自分を指し示すときに使う「私」ではなく、「本当の私」を表しています。
「本当の私」とは、全体性の中の愛そのものです。
この絶対的な愛や喜び、自由や豊かさの領域から働きかける「I(アイ)-ヒーリング」によって、あなたの八方塞がりのような苦しみ、泣けない苦しみ、解けない身体の緊張などが緩み、ホッと癒されていただけたら嬉しいです。
エイブラハムは願望の波動に抵抗し、受け取り拒否モードになっている状態を水の中に沈めたコルクの例えを使ってよく説明します。
水に浮かぶコルク栓を想像してください。次に、コルク栓を手で掴んで水中に沈める様子を想像します。今度は手を離して、コルク栓が水面に戻る様子を思い浮かべてください。自然に水面に上がってくるコルク栓のように、邪魔をする抵抗から自由になって高くて早い波動を経験することが、あなたにとって自然な状態です。あなたが自分を水中に留めておこうとしない限り、このコルク栓のように本来の居場所である水面にすぐに戻っていけます。つまり、あなたにとって自然な高い波動の状態に居続けるために努力はいらないのです。
「願えば、かなう エイブラハムの教え」より
今回はこの言葉の真意を読み解いていきたいと思います。
なぜなら、普段あなたがあなた自身だと信じているものの中にこそ抵抗の波動が潜んでいるからです。
エイブラハムの伝えたいことは明確です。
それは水中に沈めたコルク栓から手を離すことが願望の受け取りにつながり、水面に浮かび上がったコルクの状態こそが本来の自然なあなた自身である。
ということです。
では、ここで自分自身に対してこんな質問を投げかけてみてください。
「私とは誰か?」
・
・
・
いかがでしょう?
すぐに明確な答えが出てきたでしょうか?
「そんなこと言われても私は私。」
もしかしたらこうした漠然とした答えが浮かび上がるだけかもしれません。
ここで大切なことをお伝えしておきます。
あなたがあなた自身をこの物資的な身体としてみなしている限り、抵抗の波動は無くなりません。
加えて言えば、それ故に本当の望みがあなた自身に招かれることは決してないと言いたいのです。
あなたが自分自身に対して、私は肉体を持った一個人であると信じているならそれは抵抗の波動です。
あなたが自分自身に対して、私にはこれまでの経験から様々なアイデンティティー(名前、性別、年齢、国籍、役割、役職、肩書、性格、特徴など)があると信じているならそれは抵抗の波動です。
あなたが自分自身に対して、私には肉体の機能としてある思考や感情、感覚そして過去経験による記憶の総合体であると信じているならそれは抵抗の波動です。
あなたがこの地上に肉体を持って生まれたと信じているのならそれは抵抗の波動です。
これら1つ1つの信念があなたの願望を押し返す抵抗の波動なのです。
コルクを強く握って水中下まで押し下げているのは、このあなたがあなたに対して抱く間違ったイメージなのです。
本当のあなたは今だかつて生まれたことはありません。
本当のあなたは今だかつて死んだことはありません。
本当のあなたはこれまで肉体であったことはありません。
本当のあなたは今後も肉体であり続けることはありません。
エイブラハムは言います。
「あなた方はこの物質世界の身体以上の存在であると認識してください。」と。
もう一度初めの水の中に沈めたコルクの例えの言葉に注目してください。
”あなたが自分を水中に留めておこうとしない限り、このコルク栓のように本来の居場所である水面にすぐに戻っていけます”
つまり、あなたが自分自身に対して私は物質的な身体に制限、拘束され独立した一個人であると決め付けない限り、このコルク栓のように本当のあなたが存在する全体性のソースの中へと一瞬で戻って行けるということです。
また
”あなたにとって自然な高い波動の状態に居続けるために努力はいらないのです”
この一文は、あなたが内なる存在の波動にアライン(一致、同調)し続けるための努力はいらないと言っています。
これは本当のあなたの認識を1度取り戻した時には努力の問題ではなく、すでに私は内なる存在として高い波動を持った愛そのものであったという意識のシフトだけが必要であるということです。
そこには努力といった欠乏をベースにした達成すべきゴールというものは一切なくそれは気付きの問題だと言っているのです。
もう一度言いますが、気付きに努力はいらないのです。
1度の気付きの認識があなたを抵抗の波動から解放するのです。
あなたがこれまであなただと信じてきたイメージが総崩れしたとき、もはや水中下にコルクを沈める存在そのものが消え去るのです。
これまで問題を生み出していた原因が消え去ります。
あなたははじめからエイブラハムの感情の22のスケールで言えば1の状態なのです。
それは愛であり、喜びであり、自由です。
またそれは全てを知り尽くす智慧であり、エンパワーメントを持った世界を創造する側の存在です。
それでは最後にエイブラハムの言葉を紹介し今回の記事を終わりにしたいと思います。
「すべてであるもの」にとってあなたがたは非常に大きな価値があるという理解、そこにあなたがたが立ち戻ること、それがわたしたちの願いだ。あなたがたは真に思考の「最先端」にあって、すべての思考、言葉、行為を「宇宙」に付け加えているのだから、「すべてであるもの」にとってあなたがたは大きな価値がある。あなたがたは遠くから追いつこうとしている劣った「存在」ではなく、「宇宙」のあらゆる資源(リソース)を思うままに使える「最先端」の創造者だ。わたしたちはあなたがたに自分の価値を知ってほしいと思う。それがわからなければ本当はあなたがたのものである宝物を引き寄せることはできない。自己を高く評価できなければ、当然受け継ぐはずのまたとない喜びを自分に否定することになる。「宇宙」は今もあなたがたの経験のすべてから利益を得ているのだから、あなたがたも今ここで自分の働きの果実を収穫してほしい。それがわたしたちの願いだ。
一人でも多くの方が本当の自分を知ることでこれまでの悩み苦しみを払拭し、また本心から望む結果を自身の手で創造できるよう願っています。
<メンター Linp>
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直感でピンときた方は覗いてみてください。
エイブラハムは宇宙には3つの法則があると言っています。
1引き寄せの法則
2 意図的な創造の方法論(創造の法則)
3 許容し可能にする術
この3つすべてを深く理解し実践レベルにまで高められていなければ、あなたの願望が引き寄せられて来ることはないと言っています。
さてここで、エイブラハムの教えとは何かと問われたならば、きっと多くの人が法則1の引き寄せの法則であるということでしょう。
引き寄せの法則、それはつまるところ”それ自身に似たものを引き寄せる”ということとです。
これには法則2の意図的な創造の方法論もある程度含まれています。
なぜなら意図的な創造の方法論とは”あなたが考え、信じ、あるいは期待したことが今の現実として実在している”ということであなたの向けた思考とそれに付随する感情のエネルギーに似たものがあなたの現実に引き寄せられてくるということだからです。
こういった理由で、多くの人はエイブラハムの教えの主たるものであるこの2つの理解と実践にとかく目が行きがちですが、3番目の法則である許容し可能にする術こそが最も大切であると言いたいのです。
この”許容し可能にする術”の真の意味の理解を今回は取り上げたいと思います。
まずエイブラハムが伝えている許容し可能にする術というのは、”あなたがありのままのあなたで、また他者がありのままの他者であることを許容し、可能にしよう”ということです。
例え、他者がありのままのあなたを認めなくても、他者がありのままであることをあなたが認めるなら、あなたは”許容し可能にする者”になることができるとエイブラハムは言っています。
”許容し可能にする者”とはエイブラハムの使う別の言葉で言うならばソースにアラインしている状態のことです。つまり、内なる存在の波動と一致・同調しているということです。
あなたの本当の姿である内なる存在は現実世界に創造されたもの全てを許容しているのです。
この言葉の真意が分かるでしょうか?
これは現実世界に創造されたもの全てはあなたがネガティブに感じるもの、また目を背けたくなる事実も含まれているということです。あなたの本当の姿である内なる存在はそれすらもこの世界にあることを許しているということです。
それらのコントラスト1つ1つが多様性を生み出し、新たな革新的アイデアによって文化の発展と向上を遂げ、そしてさらには宇宙の拡大成長を促進しているのです。
この内なる存在の高い愛の視点とあなたの低くて狭い愛の欠乏の視点が波動のギャップとなってあなたを苦しめる原因になるのです。
言うなれば許容し可能にする者とは究極の許しであり、究極の受容です。
ではここで本当のあなたである内なる存在を広大な空に例えてみましょう。
この広い空間である空はその中に現れる様々な形をした雲をそのまま受け入れています。
時にその雲は雷雲に発達し豪雨とともに地上に住むすべての生命を脅かします。
また時に厚い雲は地上へ注ぐ光を遮り長きにわたって暗闇をもたらすこともあるでしょう。
ここで物質的な肉体に縛られエゴに囚われた人々は、その狭い認識から災害を生み出す雲を恐れ、また太陽光を遮る雲に悩み苦しみます。
その時は生命を育む恵みの雨が雲のおかげであったり、厚い日差しの日に心地よい日陰を作るのが雲であることを忘れているかのように。
覚えていて欲しいのは、このコントラストが地球をこれまで多様性に富んだ星として支えてきたということです。
広大な空はすべてを包含し、全体性の中でいつでも受容しています。
ですから「危険な雲」や「排除すべき雲」「有害な雲」などありません。
そのように見え、そのようなラベルを付けることで苦しみが生まれることに早く気付くべきです。
それは、すでに起こっている存在の受容、そして許しです。この瞬間の思考や感覚、感情、視覚、音、匂いはすでにここに存在することを許されているのです。
なぜなら、それらはすでに現れているからです。
思考や感情を受容することとは、この瞬間に、そういった思考や感情がすでに受容されている、すでにそこにあることが許されているということに、ただ穏やかに、自然のままに気づくことです。
それはすでにそこにあるのです。受容することとは時間をかけて達成されるものではなく、決して終わることのない今の瞬間の現実なのです。 あなたという存在が受容そのものであるがゆえに、あなたが受容することなど本当のところではできません。
あなたは実際分離した個人ではなく、あるがままのあなたそのものがこの瞬間に存在することを許され、そして絶対的に肯定された全体性の現れです。
これはつまり受容は将来実現する状態ではないということです。
それは探し求めるものではなく、待っているものでもなく、願うものでもなく、請い求めるものでもない。
個人的に成就するものでもなく、長年の努力によって達成されるものでもありません。
またそれは意識の変容や、スピリチュアル的課題でもありません。
それは、今ここに何が起こっていようと、今ある体験の真っ只中であなた自身が再発見するものです。
今あなたの目の前の体験の中に現れていることを完全に認めること、そしてここにすでに湧き上がったあらゆる思考、感覚、感情が今ここにどんな姿であろうと存在していることにただ自然のままに気づくことは、その思考、感覚、感情が本当のあなたという存在によってすでにこの瞬間に招き入れられていると気づくことを意味します。
たとえ、それが不安を煽り自分のイメージを脅かすという理由によってあなたが認めたくないと思ったとしてもです。
ネガティブなコントラストを心から許し受容するというのはとても奇妙なことに感じるかもしれません。
なぜなら一見するとエイブラハムの教えに反すると感じてしまうからです。
ネガティブなコントラストを受容するにはそのものに思考を向け続けなければならないと思うからです。
そしてその向けた思考によって、未来に似たような出来事を招き寄せてしまうと無意識に恐れているからです。
そのためほとんどの場合、人はネガティブなコントラストを無視しようとするか、人生から排除し今後起こってはならないこととしてラベルを貼り付けてしまうかのどちらかになります。
その結果、似たような出来事に今後の人生で何度も繰り返しつきまとわれる羽目になるのです。
ということで、これがあなたの新しいエイブラハムの教えの法則3”許容し可能にする術”の実践になります。
1、あなたを襲う不快感、そしてその不快感から逃れようとする衝動とじっくり向き合うこと。
2、それをどうにかしようとせずに、そのままでいること。
3、自分を変えようとせずに、そのままでいること。
4、特定の結果を何ら望むことなく、そのままでいること。
5、そして、期待や苛立ち、受容の欠如、この瞬間を変えようとする一切の試みも含めて、あらゆる思考、感覚、感情がこの瞬間の中に入ってきていることがすでに許されていることに気づくこと。
これはあなたが大丈夫ではないと思えることの真っ只中に、大丈夫な気持ちを見つけることを意味します。
たとえ今不快に感じても、たとえ大丈夫ではないと思えても、この瞬間が大丈夫だという境地を見つける。
その境地こそが”許容し可能にする者”なのです。
その境地、その領域、その空間すべてが本当のあなたという存在です。
本当のあなたはポジティブやネガティブの全てを含んだ全体性なのです。
そして全体性であるがゆえにこのソースの領域にあなたのすべての望みもあるのです。
その境地が今見つからなくて、失敗したという気持ちが湧き上がったとしても、それすらも深く許し受容してください。
ここにあるどんなことにもただ気づき、ここにあるものは何でもそこに存在することがすでに許されているとどうか気付いていてください。
あなたが真の受容を発見した時、エイブラハムの言う”許容し可能にする者”が真の受容であった、そしてそれが真の私であり、その私が開かれた空間として、そして受け入れがたい雲をも含むあらゆる雲が今ここにすでに無条件に受け入れている空であったとして、あなたが深く認識できることを祈っています。
<メンター Linp>

あなたにとってのネガティブな出来事やネガティブな心の反応といった様々なコントラストはあなたの望みをさらに明確にしてくれます。
しかし、ここにはエイブラハムの教えを妄信してしまうことで苦しみの負のスパイラルに陥りやすい罠が潜んでいます。実際は罠でもなんでもなく、あなた自身の目覚めのプロセスにおいて取り組むべき事柄が違うことを理解していないことがその苦しみを生む原因なのです。
例えばあなたがコントラストを経験した場合、あなたの感情は一時的に下降し、感情のスケールの下側を経験していることにあなたは気づくでしょう。
そこで、エイブラハムの教えを忠実に守ろうとするなら、感情のスケールの現在地点から1段ずつ感情を上げていくのが基本のステップになります。
しかし、今回の記事で伝えたいこと、そしてそのターゲットとなる対象は、このステップをしっかりと長い期間こなしてきたにもかかわらず、本当の望みがまだ叶わなずコントラストに未だ苦しんでいる人です。
そんなあなたは、次のステップに取り組むステージにきています。
それは苦しみの本当の意味を知り、それらを1つずつ自身へと統合していくということです。
これはポジティブ思考による意図的な感情のコントロールを手放し、苦しみと真っ向から対峙することを意味します。
ここではっきりと言っておかなければならないことがあります。
それは、「苦しみの感情との対峙はあなたが思い描く悲惨な未来の結果を決して生み出さない。」ということです。
低いエネルギーに思われるそのネガティブな感情は、また同じような低いエネルギーの現実を引き寄せてしまうと思いがちですが実際は違います。
なぜならこの意図しない引き寄せは、あなたがコントラストだと思う出来事にネガティブな意味付けのラベルを貼り付け、それを今後自分の人生には起こってはいけないもののフォルダに仕分けしているために起こるものです。
ネガティブな感情は悪ではありません。
それは一刻も早くあなたから排除すべき感情ではありません。
ポジティブな感情で覆い隠さなければならないものでもありません。
ネガティブな感情はあなたが過去にあなた自身から分離させどこかに押しやったあなた自身を完成させる失われたピースです。
苦しみというのはいつでも、どんなときもでも、本当のあなたである内なる存在、つまり全体性というソースへ戻るように指し示している道しるべです。
人は多くの場合、痛みを感じ始めてようやく人生に耳を傾けます。そして、どういうわけか、本当の自分というものを再認識する必要がある分だけの苦しみをそれぞれが与えられるのです。
ですからあなたに起こる苦しみは、あなたの全てを含んだ全体性というソースへと戻るようにとあなたに向けられた独特の誘いだったのです。
コントラストによる苦しみは人生の脅威ではないのです。
それは消滅させるべき悪でもなく、回避すべき敵でもなく、修復させるべき壊れたものでもないのです。
もう一度言いますが、それらは本来の自分自身の忘れ去られてしまった、愛おしい自身の一部に過ぎません。
抑圧され、欠如しているという幻想からくるあなた自身の内なる叫びです。
コントラストの真の意味とは自身の完全性である、内なる存在、真実の自己、そしてソースを再発見するチャンスであり、あなたに与えられた特別なプレゼントです。
それは恩恵であり、あなたに送られた本当のあなたからの招待状です。
もしあなたが自分の苦しみの原因は自分の外側にあるものとは無関係だったとはっきり理解することができたとき、それは驚くべき自由への鍵となります。
コントラストの状況は決して苦しみの原因にはなりえません。
苦しみは必ずコントラストの状況に対する自分の心の反応の中にのみあるのです。
あなたが苦しむのは今目の前で起こっている体験のある特定の側面から逃れようとして、その間自分自身を人生から引き離し、様々な手段を用いて、自分自身や他の人と闘おうとしているときだけです。
あなたが抱くその苦しみは、自分が感じていることを感じたくない、自分がたった今体験していることを体験したくないと思うところに根差しています。
苦しむのは、ありのままの完璧な人生と闘うからです。
あなたのものの見方が苦しみを生み出すのです。
そして、それに気づかせてくれるのもまたその苦しみなのです。
この目覚めのステージへと至った一人でも多くの方が勇気を持って、苦しみと再度友好関係を気付き、その結果自身を統合し本当のあなたで生きられるよう願っています。
<メンター Linp>