社会人偏⑦につづく

 

🔥仕事に燃える日々

 

仕事にようやく責任感とやりがいを見出せるようになりました。

以前はできる仕事が限られていて物足りなさを感じていましたが、

部署が変わり、

「障害のある自分でも、こんなに色々なことができるんだ」

「もっと、もっとできることを増やそう」と、

前向きなエネルギーが湧いてきました。

 

仕事はとても忙しく、夜遅くまで働いていました。

毎日終電を逃してしまうことは多々あり、

会社近くの24時間営業の銭湯に通ったり、

会社のソファーで寝たりする日々をすごしていました。

 

それでも全然全く苦になりませんでした。

それは充実感で満たされていたからです。

 

人間、ここまで変わるというくらい変わっていました。

 

そんな中でも、時間の合間を縫ってサッカーの練習に行っていました。

今思うと、あの頃の自分のエネルギーは凄まじかったですね。

高校時代のしんどい練習が、きっと役立っていたのだと思います。

 

充実の生活を送っていた私に、新たな試練が訪れました。

 

28歳のときです。

 

ある日曜日、サッカーの試合をしたのですが、

その時は何の問題もありませんでした。

 

しかし、次の日の朝、

仕事に行こうと起き上がった瞬間

右足に激痛が走りました。

 

歩くことはもちろん、

起き上がることさえ困難な状況でした。

何とか体勢を変えても、膝が全く曲がらない。

「昨日は何もなかったのに、おかしい。仕事に行かないと!」

気持ちは焦るのに、足が言うことを聞いてくれません。

 

どうしても歩けないため、会社を休んで

以前骨折した際にお世話になった

先生の病院へ向かいました。

 

歩けない状態だったので、

ケンケンで移動するのは本当に大変でした。

 

レントゲンでは原因がわからず、後日MRI検査に。

検査結果が出るまでの2週間ほどかかりました。

 

その間は足の痛みを抱えながら仕事に行っていました。

膝も曲がらないので歩くことも厳しかったです。

 

検査結果が出たので、病院に行ってみると…

先生から「半月板を損傷している」

と告げられました。

 

半月板に傷がついて、その影響で膝にロックがかかっているので

膝が曲がらない。

この状態になると保存治療は不可能で

手術をするしかないと言われました。

 

人生で7回目の手術が決まりました。

 

 

 

「またサッカーができないのか」

「せっかくここまで復活できたのに」

「何で私だけ怪我ばかりするのか」

「神様は試練を与え過ぎだ」

深い落ち込み絶望感に襲われました。

 

また、仕事を休むことで会社に迷惑をかけてしまうことにも、

前回とは違う心苦しさを感じました。

 

手術の方法はまず内視鏡で膝の中を見て、

縫合するか切除するかどちらかになる。

 

それによっては術後のプログラムが変わると言われ、

手術を受けることにしました。

 

もう手術は慣れているので、怖さはありません。

下半身麻酔での手術では、

手術の様子をカメラで見ながら、

ずっと看護師さんと話をする余裕さえありました。

 

手術は無事終了しましたが、

残念ながら半月板の傷が予想以上に酷く、

縫合での治療は不可能でした。

結果、半月板を全摘出することになりました。

「サッカーはできるけれど、今後は痛みとの闘いになる」

という現実を突きつけられました。

 

松葉杖が使えない私は、術後の経過観察のため2週間の入院に。

退院後も、やはり痛みとの闘いでした。

 

仕事には復帰しましたが、日常生活を送るのがやっとでした

サッカー復帰は到底考えられませんでした。

 

「今はサッカーどころではない。まずはこの生活を送ることに必死だ」

全てを仕事とサッカーに捧げた日々から一転、

私は自分の体と向き合うことになりました。

 

この後、私はある大きな選択をすることになります。

 

社会人偏⑧につづく

 

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