社会人偏④
手術は無事に終わりました。
骨の成型に時間がかかったそうで、
2本の骨はステンレスの棒とボルトで固定されました。
麻酔が切れたあとは、当然ながら激痛との闘いでした。
でも、あの滑車で吊られていた日々を思えば、
耐えることができました。
痛みが落ち着いてくると、色々なことを考えました。
「またサッカーができないな」
「治ってサッカーができるのだろうか」
「あのまま父の病院に残っていたら怪我をしてなかったのに」
「母に迷惑をかけてしまったな」
過去と未来を行き来する意識の中、
眠れない夜が続いきました。
次の日にはベッドから動くことができました。
2週間寝たきりの状態だったので
解放感で満ち溢れていました。
しかし、ここで中学2年生のときと同じ問題が発生します。
私は右手がないので、松葉杖をつけないことです。
移動は車いすしかできません。
リハビリも他の人とは遅れてしまいます。
中学2年生のときは「仕方がないな」
復帰できようにまた頑張ろうと思えましたが、
今回は後悔や罰の意識が強かったので、
「何が何でも早く治したい」という気持ちは、
あまり湧きませんでした。
ただただ、退屈な毎日を過ごしていました。
3週間後にギプスを外すことになり、
久しぶりに自分の足を見ました。
3週間後、ギプスが外れた。
高校時代に鍛えた右足は、
見る影もなくやせ細っていました。
左足との差は歴然でショックでした。
「元に戻すのは至難の業だな」
そう思った瞬間、モチベーションはさらに落ちました。
気が緩んでしまった私は、
差し入れを大量に食べていました。
体重はどんどん増えていき、
「これはもうサッカーできないな」
そんな諦めが、心にじわじわと広がっていきました。
気が付けば1カ月が過ぎ、
2カ月が過ぎていました。
病室の人と仲良くなっても、
次々に退院をしていき、取り残された気持ちになり、
孤独感がありました。
ようやく足に体重をかけられるようになり、
片松葉で歩けるようになっていました。
しかし、先生から退院の許可がなかなか出ませんでした。
きちんと歩けるようになってからだということになり、
3カ月半入院することになりました。
その間、仕事も休んでいたので、
復帰ができるのかも心配でした。
電車通勤だと1時間半かかってしまい、
歩く距離もあるので、不安でした。
退院をして久しぶりに会社に行くことになりました。
電車通勤が難しいので、車での通勤を認めてくれました。
サッカーができないという喪失感で、
仕事への意欲も奪っていました。
ここからが「社会人として使えない人間」になっていきました。
社会人偏⑤につづく
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