高校生偏⑮

 

高校最後の試合は決勝戦で敗北しました。

その瞬間、私の高校サッカーは静かに幕を閉じました。

 

しばらくは、燃え尽き症候群のような状態でした。

「全国大会に出場するためにこの高校に入ったのに」

「もっとこうしていれば…」

「期待に応えられなかった情けなさ」

「親に負担をかけてしまったのに」

そんな思いが、頭の中をぐるぐると巡っていました。

 

でも、振り返れば、

3年間で得たものは想像以上に大きかったです。

 

寮生活では、洗濯も掃除も

すべて自分でやらなければいけませんでした。

当たり前のように感じていた親の存在が、

どれほどありがたいものだったのかと。

離れて初めて、その温かさに気づきました。

 

仲間との寮生活では協調性や

助け合いの気持ち。

仲間が居たからこそ、苦しいことや

つらいことが乗り越えられたと思います。

 

今でも同級生や後輩たちとは

仲良く交流をしています。

 

厳しい練習に耐えた日々は、

私に「忍耐力」と「諦めない心」をくれました。

社会に出てから、しんどいことがあっても、

「高校時代に比べたらマシだ」と思えます。

だから、何でもできる気がしています。

あの3年間が、私の土台になっています。

 

 

目標だった全国高校サッカー選手権大会には

出場できませんでした。

 

でも、創部2年目でインターハイ初出場。

創部3年目でインターハイ2年連続出場。

個人としては和歌山県選抜に選ばれ、国体にも出場。

3度の全国大会に立つことができました。

 

これは私だけの力ではなく、

一緒に戦った仲間がいたからこそ達成できたことです。

 

後輩たちが私たちの想いを受け継いでくれました。

創部4年目で近畿大会優勝。

全国高校サッカー選手権大会に初出場。

創部5年目で全国高校サッカー選手権大会3位。

の成績を作ってくれました。

私たちが頑張ってきたから結果が出せたと

言ってもらったときには嬉しかったです。

 

私は公式戦では食中毒で欠場した

試合以外すべて出場できました。

右手のない少年が、中学2年生のときに大怪我をして、

病院の先生から「もうサッカーはできないかもしれない」

と言われましたが、復活することができました。

 

それは、夢や目標があったり、

やりたいことだったから続けられたのだと思います。

 

誰にも負けたくないという気持ちで、

みんなと同じ練習をすべてやりました。

右手の皮が捲れるまで腕立て伏せをしたり、

トレーニングルームで筋力トレーニングを毎日続けました。

 

諦めずにサッカーを続けてきて、

本当によかったと思っています。

 

障がい者が健常者と同じピッチに立ち、

全国大会に出場できたことは、

あまり例がないと思います。

 

私が今まで経験してきたことは、

誰にも真似ができないことだと思っています。

それは私の誇りであり、宝物です。

 

私だからこそ伝えられることがある。

私しか伝えられないことがある。

それが、今の私のコーチングの基盤になっています。

高校生偏はこれで終了となります。

全15回綴らせていただきましたが、

それだけ濃い年間だったと思います。

これから新たな一歩を踏み出します。

引き続きよろしくお願いします。

 

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最後まで読んでいただいてありがとうございました🌟