中学校偏②

 

🌿中学2年の夏。

私は右足首の複雑脱臼骨折という大怪我を負いました。

くるぶしは半分に割れ、腓骨はボルトとプレートで固定。

脱臼も治さないといけませんでした。

 

針金が通された足首は、

5時間の手術を経てギプスに覆われました。

 

「終わった…」と思ったのも束の間。

麻酔が切れた瞬間、激痛が襲います。

 

何度座薬を入れても眠れない夜が続きました。

「本当に手術したの?」と疑うほどの痛みでした。

 

そして、医師の言葉。

「かなりの大怪我なので、

サッカーに復帰できるかわからない」

その一言は、夢の終わりを告げるようでした。

不安と戦いながらも、痛みは治まらず再手術が決定。

 

さらに右手も使えず、松葉杖が使えない。

車椅子での生活を余儀なくされ、退院も延び、

学校にも行けない状況で、

リハビリとテレビだけの、

退屈で孤独な時間が続きました。

 

 

気づけば10月。

ようやく歩けるようになり、

退院も近いと思っていた頃。

 

微熱が続き、「風邪かな」と思っていたら高熱に変わり、

食事も摂れず、鼻から管、点滴の生活へ。

検査を重ねても原因不明でした。

 

先生も看護師も困惑する中、

ある朝の腹部エコーで異変が。

「これはだめだ!」という先生の声。

 

病室に戻ると、「今から緊急手術をする」

と告げられました。

母が仕事先から駆けつけてくれ、手術は無事終了。

 

後に母から聞かされたのは、盲腸の破裂と拳大の腫瘍。

腫瘍は良性でしたが、あと少し遅れていたら命が危なかったと。

 

「どうしてここまで我慢していたの?」

と看護師に聞かれましたが、

不思議なことに、お腹の痛みはまったくなかったのです。

その後、3週間の絶食生活を送りました。

 

水も食事も摂れず、寝たきりの日々で苦しい時間でした。

ようやく白湯、おも湯、お粥と、少しずつ食事が戻ってきました。

 

入院から3カ月。

骨もくっつき、ボルトとプレートを外す4度目の手術へ。

8月1日に入院し、退院したのは12月25日。

クリスマスの日でした。

結局、中学2年の2学期は一度も登校できずに終わりました。

 

退院の喜びと、日常生活への不安。

3学期から学校に行けるのか、心は揺れていました。

 

けれど、入院生活では多くの方と出会い、貴重な経験を得ました。

年上の方との会話は、私にたくさんのことを教えてくれました。

 

私より重傷を負っている方もいて、学びの連続でした。

中学2年生ではなかなか体験できないこと。

それは、痛みの中にある「人としての成長」でした。

 

この長い入院生活は、家族や仲間の支えがなかったら、

乗り越えられなかったと思います。

人に感謝すること——それもまた、

この経験が教えてくれた大切なことでした。

 

中学偏③に続く…

 

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