小学校偏
⚽サッカー、好きじゃなかった小学校時代
小学校4年生の頃まで、正直サッカーは好きではありませんでした。
「練習に行ってくる」と母に告げて家を出るものの、
よくサボっていたのを覚えています。
できなかったことが多く、試合に出られずに応援ばかり。
それが、楽しめなかった一番の理由だったかもしれません。
🌱転機は突然に
転機が訪れたのは、小学校5年生のとき。
この頃から急激に身長が伸び、
気がつけば学年で一番背が高くなっていました。
運動神経もぐっとよくなり、足も速くなって、
サッカーでもその力が発揮できるようになっていったのです。
上級生の試合にも出られるようになり、
初めて「サッカーって楽しい!」と思えました。
そして、自分がチームの「役に立てる」と
感じたことも、大きな喜びでした。
それからは、練習をサボることは一切なくなり、
毎日まじめに通いました。
練習がない日も近くの公園でボールを蹴り、
母にも手伝ってもらっていたことを今でもよく覚えています。
🤝新しいチームと仲間との絆
そんな中、小学校に新しいサッカーチームが誕生しました。
今までサッカーをしていなかった友達が次々と入団し、
私も誘われました。心がすごく揺れました。
でも、今まで一緒に頑張ってきた今のチームメイトとの絆、
そして私を受け入れてくれた
恩師を裏切ることはできませんでした。
私は、今のチームに残ることを決意しました。
同じ小学校の友達がライバルになったことで、
「負けたくない」という気持ちが強くなりました。
その感情は、私をさらに前へと押し出してくれました。
サッカーが、ただのスポーツではなく、
“自分を試す場”になったのです。
今振り返ると、あの頃の私は、
サッカーを通して「自分との関係」を
築いていたのだと思います。
できない自分を責めるのではなく、
変化する自分を信じてみる。
母の手を借りながら、仲間と競いながら、
私は少しずつ“好き”を育てていきました。
🔥主力選手としての成長
小学校6年生ではチームの主力になりました。
私のポジションはセンターフォワードで、
点を取ることが求められました。
指導者の方からはよく怒られ、厳しい指導を受けました。
負けたときは、チームを勝たせられない悔しさや、
「もっともっと上手くなりたい」
という気持ちがこみ上げてきました。
それが「また頑張ろう」という原動力になりました。
🗣️恩師の言葉がくれた、成長の原動力
地区選抜や大阪府選抜の選考会にも挑戦しました。
チームメイトが選ばれる中、
私はどちらも選ばれませんでした。
悔しさと残念な気持ちが胸に残りました。
でも、恩師はこう言いました。
「お前が選ばれると、これ以上伸びないから外してもらった」
「悔しいと思うなら、もっと頑張れ!」
その言葉が、私の心に火をつけました。
それまでの私は、きちんと向き合えていなかったのかもしれません。
恩師の愛情が、私を育ててくれました。
健常者の中でサッカーをしていると、
自分が障がい者だということはあまり感じなくなっていました。
それほどまでに、サッカーは私にとって自然で、
自由な場所だったのです。
小学校時代…それは、私のサッカーの基盤をつくってくれた、
かけがえのない時間でした。
✨ 読者への問いかけ
あなたにとって、「好き」が芽生えた瞬間はどんな出来事でしたか?
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