6/1に貴子さんのセッションを受けて



インナージャーニーという



手法なんだけど



自分の内側を探求して行くのよ





あさみ、という名前から始まる旅



30代の頃に



カウンセリングの講座を受けていたので



「あ、ジャーニーだな」



ってのは理解しつつ進んだ





でも同時はまだ



そこと向き合えなかったのか



他の傷が多かったのか



母との関係性がメインではあったけど



ここまでは進まなかった






子供の頃は生き辛く



始終我慢をしているような子だった



表面上は



「暗く大人しい」



これは父親に怒られないための仮面





母は、他人と会話が出ない人で



「学校で嫌なことがあって悲しかったんだ」



と私が言えば



「お母さんも、あーでこーで嫌なことがあってね」


と話を被せてくる





そう言う会話の仕方しか



出来ない人だった





母の多くの話は



遅くまで働く祖母の代わりに



家事を祖父から強制されていた話



小学生なのに質屋に行かされた話



等々



子供心に「かわいそう」と思う話ばかりで





母はかわいそうな人なんだ


って思い込んで



家の中の敵は「怖い父」だった



母もなかなかに強敵なのに



30歳過ぎるまで気付かなかった





中学生の頃は



アニメが好きで声優になりたかった



それを伝えると



「何をバカなことを」



って言われて台所の隅で



冷蔵庫にもたれながら泣いたなぁ





***



お金がないが口癖の母は



「我慢」が心情の人だった





お金がない、と我慢のコンボで



高校を出た後の進路なんて



選べなかった







今は独り身の気楽さで



稼ぎを全部使ってるけど



あの頃のやりたかった事



学びたかった事をを



自分にさせてる気がする





親もアダルトチルドレンなのだ



祖父母は第二次世界大戦の広島にいたんだ





大人ぶって理解しないと



納得できなかった






親や、祖父母の環境は理解したけど



子供の時の「心の安心の無さ」は



いまだに尾を引いてる





わたしには行動力があるように



見えるかもしれないけれど



それは親を金銭的にも



精神的も頼れなかったから



弱音を吐いても



受け止めてもらえそうに無かったから



「自分でなんとかしないと」で



やってるだけ





家庭環境が安心出来なかったから



結婚が怖くて



独身を選んでいる




***



今は母との会話は普通



それは母を1人の人間として



設定したから






1人語りで同じ話のループの会話も



そう言った障害かな?と思って



「いわゆるな世間一般の母親像」から



切り離した



幼子のように甘えたかったけど



それはわたしがわたしにしてあげるだけ





でもわたし愛情深いから



覚えていない時期に



愛されていたと思うよ




***



ちなみに久しぶりに



インナーワークをしたので



反動でここ2〜3日



ぐったりしてる笑い泣き





7日は待望の気学を見てもらう



超楽しみ




流れ星