今年の三塔巡拝を終えました。



3回目ともなると、歩くことそのものは、ちっとも辛くない


もともと体力には自信があるので、そもそも最初から辛くはないのだが、慣れてしまうと余計に歩くことそのものでは修行ではなくなってしまってきた



じゃあ、何のために行くのか



この修行は、初めて出会った15人くらいのメンバーが団体行動を行う



体力のあるものもあれば、決してそうでない人もいる



この体力の差は、明け方に訪れる最後の「無道寺坂」の登りに現れる

距離にして2km 時間は1時間から1時間半の行程



今回の参加者は女性9人。男性5人。初めての参加は女性4人


初めての参加者にとって、この坂はとてつもなく長いしキツイ

当然、全体のペースに追いつけず、徐々に落ち始める人も出てくる



普段の生活ならば、この遅れたものに手を差し伸べるのはそんなに難しいことではない。


ただし、この修行は自らの意思で参加し、各々が自らと戦う場だ。

だから、うかつに手を差し伸べるのは、エゴでしかない

しかし、見捨てて自分だけ登るのも違う



この葛藤。チームマネージメントにとてもよく似ている


部下ができないこと、自分の思うようにいってないことに、自らの力を投じてことを進めるのは実はとても容易な選択である。しかし、それでは部下は育たない。

チームの力を持続しかつ成長させるには、リーダーもメンバーもそれなりの負荷がかかり続け、その負荷に対して常に戦い続けることが必要である


しかし、負荷が重すぎたり、その負荷に耐えられないメンバーを見守る、成長を求めるという言葉の下に放置することは、メンバーの成長だけでなく、自分自身の成長、チーム全体の成長も得られないのである


私は8年前に遠泳で一人の男性を背負い、水中で押しながら8kmを泳いだことを思い出した。

自分自身は今でもこの経験は「がんばったー」で片付けているが、背負われ、押された男性は、今どう思っているのだろうか。

今のチームメンバーは、プロジェクトの進め方をどう感じているのだろうか


そんなことを、私は1時間の中で何度も何度も考えた


主人も同じことを考え、葛藤を続け、最終的に遅れた女性の背中を押して登ってきた


3回目の修行



いつもの修行よりも、得るものが多かった気がしている


来年は、何を思うのだろうか・・・