Diary:真夏の光の中へ | From a Back Alley

From a Back Alley

The Buffer in the Synopticon

 

 タイトルの様式を変更。視認性の向上のため今回からタイトルの先頭にテーマを記すことにした。悪しからず。

 

 

 選挙には参加しないことにしている。この態度を公に表明すると、「じゃあ二度と政治に口出ししないでね」などと語気を強めて吐き捨ててくる輩が絶対に現れる。この手の輩は例外なく馬鹿か無知あるいはその両方である。したがって俺は言いたい。そういう輩は投票所に足を踏み入れるべきではないと。

 

 

 ‟政治活動というのは、あらゆる社会的な生の中で最も効果的であり可視的なものではあるが、それは実はもっと内的で把握しにくい他の諸活動の結果だからである” オルテガ・イ・ガセット 「大衆の反逆」 筑摩書房 1995

 

 

 それにしても非常に奇妙で理解に苦しむことなのだが、なぜ彼らはあれほどまで自信に満ち溢れているのだろうか。何がどうなったらあのような態度で生きていけるのか不思議でならない。なぜ彼らはあれほどまで威風堂々と取り返しのつかない過ちを繰り返し続けるのだろうか。自らの招いた破滅を目の当たりにしても尚欣喜雀躍といった態度を崩さないのはなぜなのだろうか。頭では理解できるが、どうしても実感することができないのだ。

 

 

 あと、これは個人的な意見に過ぎないが、国会議員を選挙で選出することをやめるというのはどうだろうか。というのも、国会議員は各地方の県議会議員などから選出するべきではなかろうかと感じるからだ。国という単位は、庶民が取り扱うにはあまりに巨大であるため適切ではないように思う。直接的に取り扱うよりも間接的に関わる方が筋が通っているのではないか。つまり、まずは自らの在住する地域に目を向け、その地域の代表を選出することに専念すべきだ。そして、その地域で経験を積んだ代表が改めて国全体という単位を取り扱うような仕組みにすればよいのではないか、ということだ。

 

 

 オルテガに倣って言えば、あんなごっこにすぎない茶番に興じるよりも、自分の住む地域に目を向けて、もっと言えば身の回りに目を向けて、問題解決のために活動したり議論したり考えを深めたりするほうが余程政治活動として充実しているに違いない。まずはオルテガの大衆の反逆を読んでみてはどうだろうか。

 

 

 今回はこんなことを書くつもりではなかったが、口をついて出てきたのはこんなことしかなかった。しかし、こうしてブログを更新しようとしているということは、まだ俺の中の火種は完全に鎮火されたわけではないということの証左なのだと思いたい。

 いつか出てゆけるだろうか。真夏の光の中へと。