中学生のころ、剣道の稽古のため東区体育館へ行った。中学の頃はほぼ毎日剣道の稽古漬け。毎日母親の運転する車で稽古場まで行っていた。

その日は、母親から買ってもらった新しい革靴を履いて行った。今思えば、ただの稽古なんだからサンダルでもよかった。 新しい革靴がうれしかったのか、友達に見せたかったのか無意識に履いていってしまったのを覚えている。
 
道場につくと、脱いだ靴を下駄箱に入れるわけでもなくそのまま体育館の玄関に放置、、、 

稽古が終っていざ帰る頃、玄関にあるはずの自分の靴がない、、、一瞬頭が真っ白に・・・ 

10分以上探しただろうか、どこにもない・・・ 

そのことを母親に告げると、

「盗まれたんじゃないの?」 と・・・ 

まさか、靴が盗まれるという感覚は中学生の僕には持ち合わせていなかった。。。 その靴は、中学生にはちょっとお高めのそこそこ良質な革靴だった。 うちは決して金持ちじゃない、「奮発したのに! 」といった母親のキレ具合を察したのを覚えてる。
 
そして僕もキレ気味だった、なぜなら、自分は決して悪くない、悪いのは犯人だ!と考えていたから。

帰宅し、父親に被害者面満開でそのことを伝えると、「きちんとロッカーにしまわなかったお前が悪い!」 とグサリ、。

そりゃそうだ、きちんとしまわない自分が悪い。しかし、当時の汚れのない純粋な中学生の僕には到底理解できなかった。
悪いのは犯人じゃないか、僕は一つも悪くない!と言い放った。

最後まで理解できなかった。
純粋な中学生の心中は割合100:0の圧勝だ! 人さまの物を盗むことは悪いことだとインプットしている。 玄関に放置した行為が悪いなんて到底思えない。

もちろん大人となった今なら当時親父の言ったことは理解できるし正解だと思う。

しかしちょっとひねくれたガキならこう返ってくるかもしれない。

「盗まれたやつが悪いと言うなら、僕がその辺にある真新しい靴をかっぱらっても悪いくないの? だって悪いのは盗まれた方なんだよね?」 と。。。 

自分が子をもつようになって、教育のことをよく考えるようになり、ふとこの道場靴事件を思い出した。

人に何か伝えるとき大事なのは、伝えたことと対に、伝わったか!ということがとても大事だということ。
伝えただけで相手が理解して納得していないなら意味がない。相手が何も言えなくなるほど言いくるめて、説得した気分になっている人がいるけどそれももちろんダメ。なぜなら相手は反論のカードが在庫切れを起こしただけで、反論したい気持ちが残っているからだ。
要するに納得していない、表情を見れば明らかだ。

ちなみに、屁理屈並べて相手を言いくるめてドヤ顔しているやつがいるが、これはもっともやっちゃいけない勘違いだと思う。

ちょっと話はそれたが、その時親父として子になんて教育するのがよかったのか。。今の自分のレベルで思いつくのは、、、、

「残念ながら、この社会には人さまの物をかっぱらう悪い人がたくさんいる。もちろんそんなことしない良い人もいれば、自分さえよければ他の人はどうだっていい、と考える人もいる。確かにお前の言うとおり一番悪いのは盗んだ人だ! しかし悪い人がいることを前提に物事を考えたら、きっとお前は靴をロッカーにしまったはずじゃないか? そうすると裸足で帰ってくることにはならなかったんじゃないかと思うぞ」

「靴をしまわなかった行為が、母さんに買ってもらった高い靴を大事にしなかったのかと疑われるかもしれない」

「たとえば、それが靴ではなく財布だったら? おまえは靴と同じようにそこに財布を置きっぱなしにしてたか? 財布は盗まれるかもしれないが、靴は盗まれないだろうという根拠に説得力はないな」

この3つのカードがあれば十分だと考えるが、ここで懸念されるのが、

「この世は悪い人だらけで、正直者がバカを見る」

といった認識を持たれないかといった点だ。 ここをうまく説明して、ひ
納得してねくれず成長してほしい。

私の仕事上、伝えることと伝わったことの確認は必須なんです。どの仕事もそうですが、受け取る側の気持ちや理解度を重要視しなければうなくいかないと思います。コンサルという仕事、、説得力がなければアウトですからね。単なる独り言で終わってしまう・・・

日々考えさせられます、色々刺激を受けながら自己の常識の成長を心がけたいと思います。いい年齢して幼稚な常識を振りかざしたくないといった反面からくる気持ちのほうが強いですけどね