日本人の脳の劣化 | 婚活カウンセラー♂の休息所

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東京のとある結婚相談所で、主にメール相談係をやっています。裏方の仕事ではありますが、実はとても責任のある仕事でもあります。恋愛相談♂♀掲示板も長くやっていますが、ここは私の休息所。日ごろ思っていることをありのままに書いていきます。

日本は本当にデタラメ社会になってしまった。
最近特にエスカレートして、取り返しのつかないとこまで来てしまった気がする。

教育が悪かったとは政府も気がついたみたいで、
思考力を養わせようなんて考えてるようだけど、たぶんダメだろうね。

そもそも勉強は学校だけで十分。家は勉強するところじゃないはず。
人間だれしも、人の言ったことは1回で100%理解することはできないかもしれないけど、
なるべく1回で理解しようとすることが、人の話をよ~く聞くという習慣を付ける上でだいじなんである。
元々、学校での学習と言うのは、よっぽど理解力がないとかじゃない限り、
テストの前に慌ててやり返すなんて性質のものじゃないんだと思う。
それが今の日本人は、テスト前に復習でもしなければならないほど馬鹿になってしまったか、
あるいは、なぜか人よりもちょっとでもいい点を取りたいんだか、親からいい点取りなさいと言われてるんだか、
テスト前に家で勉強するのが当たり前の世の中になっているのである。

「家で勉強するとかおかしなことしないでもテストで100点取れるように、
学校で先生の話をよく聞いて来るんだよ。」
と励ましてあげて、100点取れたらご褒美をあげて、
もしあまりいい点が取れないようなら、おまえは勉強に向いてないと悟って、
他の道に進めさせることを考えればいいんである。
それをなぜさらに塾まで通わせてまで、そんなに勉強させようとするか、
いい大学に入れないといい暮らしができないとでも思ってるんだか、
頭は遺伝するから自分がバカだと悟られないように子供をいい大学に入らせようとするのか、
その考え自体が本当にバカである。
子供時代は、人間として生まれてきて、もっといろいろなやるべきことがたくさんあると思うからである。


ママと一緒に目指そう東大!とか、
うちの娘は旦那さんなんかに頼らず自活できるために医学部に入れようとか、
なんか、根本的なそういう考え自体が、思考力ゼロに近いし、
向いてない道に進む人を増やして、日本を崩壊させる大きな要因になっている気がするんである。

こんな状況では、今の日本に、人の話をその場でよく聞くとか、咀嚼して自分の頭でよく考えるとか、
社会の中で自我が十分に目覚めてから自分で選んだ進路に進んで社会をさらに発展させていくとか、
そんな人間が全くいないのも当然と言えるわけだ。


日本は大学に入るのが難しいと言われているけど、
この場に及んで、ちょっと高等教育と大学受験を検証してみたが、
実はかなり低レベルであることがわかった。
よく何かの技術を習得するときに、ちょっとだけかじってみたよとか、
かなりやったよとか、好きだからけっこう究めてみたよと言ったりする。
じゃあ高校の数学を得意だからけっこう究めたよというのは、どのレベルのことを言うのかと言ったら、
東大理Ⅲ合格ラインなんじゃないかと思う。東大でも他の理系や文系は、それよりかなりできなくても入れる。
従って、受験勉強を究めたよと言えるのは東大理Ⅲクラスの人だけが言える言葉であって、
その他の人は究めるまでは言ってないんだと思う。
ただし究めるといっても、向いている人がたまたま高校の授業が面白くなって、
学校の勉強を深く究めたあげくにたまたま難関大学に入れるのが自然な形であって、
逆に難関校に入りたいなどの下心を抱いた猛勉の末に成績を向上させて、究めたラインまで行った人というのは、
本来、学を究めるような人なのかは疑問なんだけど、
今の日本はそんな、猛勉で成績をアップさせた人たちばかりが難関校に集まってきているんである。


本来は詰込み式の猛勉をしないで、年齢とともに学問を自然な形で習熟してきた人たちに難関大学に入ってもらって、
社会の第一線で働いてもらいたい。
それが、今の日本では割合が減ったどころか、ほぼゼロになってしまったような気がする。
少しでもそういう人たちが残っていれば、社会が少しは正しい方向へ修正されるはずだからである。
全ての分野とは言わないが、政治だけでなく、医師や弁護士の業界もかなり壊滅的になってきているような気がする。
いくら知識があっても思考しないとか、思考が飛んでるとかだとまともな社会が成り立つのかである。
日本は発達障害が多いらしい。これも遺伝だと言われたり脳の障害だと言われたりしているが、
なんか曖昧なまま深く追求していないのも日本らしいところである。
ぶっちゃけ、日本のように本来は向いていない人たちが無理に頭を酷使するがために出てきた日本型の障害って感じがするのだが。
例えばADHDの人は、脳のROM部分をフル活用したいがためにRAM部分が犠牲になっているように思う。
東大生の4人に一人はアスペルガーというのは、もはや都市伝説ではないかもしれない。

要は、向いている人が自然に難関校に入れるような仕組みを作って、社会のブレインとして活躍してもらって、
猛勉して学力を上げた人は本来そういう頭があるわけじゃないから、向いている人よりも劣るという自覚をもって、
さらに二代目、三代目と猛勉無思考型人間を増やさないようにしてもらえばいいだけなんだが、
やっぱり革命が必要だろうね。


最近、少し奇抜なこと、しかし的を得ていることをアメーバなうに書くと消されてしまっていた。
そしてついに、アメーバなう自体がなくなってしまった。
俺が書いたことが的を得すぎていたからかなとも思うんだけど、考えすぎかな。
ここで、はっきり書いておこう。

日本人はピアノが下手すぎだとは常々思っていたことであるが、
向いてない人がこぞってやり始めるというのが大きいんだと思う。
そして、本当は向いている人が先生のいじめにあってやめてるなんて事情もありそう。

ピアノをある程度究めたって言えるまで何年かかるだろうか?
今までネットで調べた限りでは、教育者はだいたい10年とか言う人が多いみたいだけど、
俺が思うには、大人の場合は、向いてる人は自分でコツをつかみながら習熟していき、
2~3年でだいたいの曲は技術的には弾けるという、技術的な閾値まで来るような気がする。
だけど先生に習うとそんな上達曲線の人の存在自体を認めたがらない。
youtubeで見る限りは、日本人の大部分の人が、上記の閾値まで達しない段階で、
悪戦苦闘しているような気がするが、2~3年でだいたいの曲が弾ける人、
そしていきなり転職してピアノを職業にしてしまっている人もいるわけなんである。

初心者がやり始めるソナタとして、モーツァルトのK330とか、K545がある。
youtubeで見ると、相変わらず聴くに堪えない日本人弾きが多いなとなうに書いて消された。
なぜかテンポはプロより早めなんである。モーツァルトだからか、なんか気持ちだけ楽しんでる風に見えて、
コロンコロンどんどん音が進んでいくんだけど、一音一音をどうやって弾くか、伸ばすか留めるか払うか、
お習字みたいに丁寧に一音一音を弾いていないし、曲をどういった構成ととらえてどういう流れで弾いていこうか、
自分なりにテーマを考えたりなど全くしていないのである。
K545の最初のトリルは、なぜか日本人はみな簡単に済ませてしまう。
ここをわざとらしくなく、トレモロのように綺麗に弾いている外国のピアニストは多いし、
外国の子供たちも、曲自体はゆっくりで丁寧に弾くけど、トリルも長めに綺麗に入れるという子が多い。
昔は日本人がトリルが苦手なのはアップライトピアノで練習することが多いせいかなと思ってた。
しかし、そうじゃないね。そこまで深く考えないっていうか、探求する心が欠けてるってのが本当のところのようだ。


また時間があれば、日本のガッカリなところを書いていこうと思う。

 

ほなパー