自分のため、人のため。人のため、自分のため。
衝撃的な一泊セミナーに参加してきました。
自分というものと、こんなにも向き合ったことはかつてない。
自分の弱さも、蓋をしてきたものも、すべてが露呈する2日間。
厳しい。
20時間以上に及ぶ受講時間がキツイとか、
夜中までセミナー受講してたのに、朝までに仕上げる宿題があるとか、
なのに翌朝9時からまたセミナーだとか、そんな甘い厳しさじゃない。
自分で見つめる自分。
今まで直視するのを避けてきた自分と向き合う。
他人の目を通じて見える本当の自分。
それを知ってキツいと思わない人間はきっといない。
でも、自分の価値を上げたいから。
自分のためにも、わたしを応援してくれてるお客さまや仲間のためにも、
どうしてももっと自分を高めたいと思った。
逃げるのをやめ、
自分の足でちゃんと地面踏みしめて立ちたかった。
だから、参加を決意した。
振り返ってみると、セミナー受講時間だけじゃなく、
朝の集合場所にいたときから、
休憩時間、
初対面の人と一緒に過ごした夜の部屋、
帰りの電車に至るすべての場所で、
わたしは自分の弱さを露呈していた。
自分の弱さ。
それは、
「吉川聖弓」を演じること。
わたしはよく、「キレイですね」って、外見を褒めてもらえる。
今回のセミナーもそう。
名刺交換するたびに、言われた。
男性からも、女性からも。
言われるたびに、緊張した。
「キレイな吉川聖弓を演じなきゃ」って無意識に思うから。
そして、他の受講生からひとこと。
「イメージ通りでつまらない」
「普通、初対面ならどんな人なのかな?って思うのに、
吉川さんは外見のインパクトが強すぎて、
会った瞬間にすべてをイメージしてしまう。
そして、その通りだなって思った。」
講師には散々言われた。
「自分を全然出してない。必死に蓋をしてる。せこい。小さい。」
悔しいけど、何も言い返せなかった。
全員が30秒ずつ自己紹介。
誰の印象が残ったか、という投票をした。
参加者は17人。持ち票は2票。
わたしに手を挙げてくれたのは、わずか2人だった。
「今、この場に、吉川さんを応援してくれてるお客さまや仲間がいたら、どう思う?
『吉川、なんやねん』って、私だったら思うよ。
自分が評価してる吉川聖弓が、
自己紹介でわずか2票しか入らなかったら、めっちゃむかつくよ」
そう講師に言われ、わたしは色んな人の思いを背負っていることに初めて気づいた。
たかが自己紹介。
されど自己紹介。
その結果は、
わたしだけじゃなく、わたしを応援してくれている人すべての結果だ。
「吉川さんは、ここにいる全員が手を挙げちゃうような人でしょ?
それを知ってるから、そんなせこい表現しかしない吉川さんがむかつく。悔しい。」
わたしもむかつく。
わたしも悔しい。
どんなに努力しても、「キレイな女性は有利だよね」の一言で片づけられる。
結果を出す度に、「どんな手を使ったの?」って言われる。
一生懸命話しても、
「キレイな人が言えば、それだけで納得しちゃうよ」って笑って言われる。
外見で判断される悔しさを、身にしみて知っていたはずなのに、
誰よりも、「吉川聖弓」を色眼鏡かけて見てたのは、
他でもない、わたし自身だった。
完璧な「吉川聖弓」であろうとしてた。
誰もそんなこと求めてないのに。
なんでこんなにも演じてしまうのか。
答えは簡単だった。
「自分を守るため」
自分の過去を洗いだし、どんな出来事があったか、
その出来事で思ったことや気付いたことは何か、
それが現在にも影響していることは何か、それを書き出す宿題が出た。
現在から、1年ずつ振り返ってみた。
そして、辛い出来事の横にある「思ったこと」には、必ず同じ言葉が並んだ。
『力のない自分のふがいなさ』。
わたしはこれまでずっと力が欲しいって思ってきた。
家族がバラバラになったとき、それを繋ぎ止める力が欲しいって思った。
学校の先輩たちから、理不尽な締め上げをされるたび、全員ぶっ飛ばせる力が欲しいって思った。
暴力を受けていたときは、それから逃げられる力が欲しいって思った。
恋人が重度の腎臓病になったときは、治療費をすべて出せる力が欲しいって思った。
友人が殺されたときは、同じ辛さを犯人に味あわせる力が欲しいって思った。
銀座のクラブで働いたときは、先輩ホステスからの壮絶ないじめに耐えられる力が欲しいって思った。
過呼吸で躁鬱認定が下りたときは、自分を律する力が欲しいって思った。
父がクモ膜下で倒れたときは、家族の精神的、金銭的な大きな傘となれるような力が欲しいって思った。
昔の恋人が死んだときは、過去を変えられる力が欲しいって思った。
いつも、「力」「力」「力」。
自分のための「力」。
自分を守るための「力」。
自分の弱さをかき消すための「力」。
いつも自分を守ろうとしてた。
強くなって、現実的な力をつければ、全部解決すると思ってた。
精神的強さを手に入れるのも、自分のため。
社会的強さを手に入れるのも、自分のため。
金銭的強さを手に入れるのも、自分のため。
肉体的強さを手に入れるのも、自分のため。
結果、
「力を持つ吉川聖弓」を演じる自分が出来上がった。
今、書いたことも、
とてもブログでは書けないことも、
嫌な出来事の原因の多くは、「キレイ」なこと。
だから、「力を持つ吉川聖弓」を演じると同時に、
そつなく「キレイな吉川聖弓」を演じた。
この顔で自分らしく生きようとするたび、
「そんな顔して」って言われてきたから。
そして、誰にも壊されないように、
「完璧な吉川聖弓」でもあろうとしてきた。
でも、違った。
昔よりは力を持ったつもりでいても、何も満たされない。
また他の力が欲しくなるだけ。
「キレイな吉川聖弓」を演じる度に、
自分らしさが消えていく。
「完璧な吉川聖弓」になればなるほど、
本当の吉川聖弓から、また乖離していく。
結局、根源はひとつ。
全部、ベクトルが自分に向かってる。
そのベクトルを、周りに向けたらどうなるんだろう。
誰かのために立ちあげた会社。
誰かのために得てきた知識。
誰かのために稼ぐお金。
誰かのためにつける力。
その「誰か」の役に立つことができるなら、
「自分のための力」なんていらないじゃん。
「キレイな吉川聖弓」なんていらないじゃん。
自己紹介で2票しか獲得できない自分なんていらないじゃん。
誰だって、周りの目を気にして、
周りの目に合わせた自分自身を多かれ少なかれ演じてる。
結局は、程度の問題なのかもしれない。
もし、あなたもわたしと一緒なら、もうやめよう。
そのキツさは、死ぬほど分かるから。
そして同時に、
その仮面を取るキツさも、死ぬほど分かるから。
一緒にがんばろうよ。
心のベクトルを、自分から外に向けよう。
そうしたら、きっと、本当の力が湧いてくる。
ショックな事実が、たくさん分かった2日間だった。
自分の弱さに直面し、
逃げ出したくなる2日間。
でも、行って良かった。
ここから、また一歩踏み出せる。
ショックなことも多かったけど、
すごくうれしいこともあった。
これに気付いたとき、涙が出た。
昔、力に頼ることしかできない恋人と一緒にいたとき、
彼は絶対に顔は殴らなかった。
理由は簡単。
「連れて歩くための女」だから。
本人に言われたから、
否定のしようがない。
結局、彼にとってのわたしの価値は「顔」。
腫れあがった顔のわたしには価値がない。
でも、
人生を振り返ると、わたしの顔を殴った人がただ一人いる。
父だ。
口の周りが思い切り切れて、
3倍くらいに腫れあがって、
畳に大量に落ちた血のことを、今でも覚えてる。
今まで、わたしは父に愛されてないんじゃないかと、
心のどこかで思ってた。
一緒に過ごした時間があまりにも少ないし、
思い出すのは、いつもわたしのことを怒っていた父だった。
でも違った。
変な話かもしれないけど、
「顔」を殴られた記憶が、
わたしにとっては、涙が出るほど幸せな事実だった。
父にとって、
わたしの価値は「顔」じゃなかった。
そんなの当たり前じゃんって言われるかもしれない。
でも、
人生における多くの場面で、
「顔」を基準に計られてきたわたしにとっては大きな発見。
みんな、良いところも、悪いところもある。
「顔」だって、そのひとつでしかない。
わたしの仲間が言ってた。
「他人の良いところを羨ましく思うときもあるけど、
その人が、その『羨ましいこと』によって得てきた幸せだけじゃなく、
不幸も見てあげないといけないよね」
と。
スポーツができる人だって、
勉強ができる人だって、
お金持ちの人だって、
それが理由で得することもあれば、
傷つくこともある。
どんな事実にも、メリットとデメリットの両面があるように、
その人にとってはいいことづくめじゃないんだと思う。
そう考えたら、ひとつのことの表面だけを見て、
羨ましがったり、
妬んだりするなんて愚かなこと。
そう思う。
人に、「キレイ」と言われる顔。
これを、コンプレックスじゃなく、ひとつの強みとしてちゃんと認識できたら、
本当の強さを手に入れられる気がした。
心のベクトルを、外に向けたら、
大きく変われる気がした。
わたしは、わたしとして生きていきたい。
久保ひろしさん 。
あなたとの出逢いは、宝物です。
「吉川さんが笑っているのには理由があるんだよ。
口角を上げている人には、口角を上げなきゃならない理由がある。
その理由に目を向けてみてほしい。
仏頂面で生きるのが、一番楽なんだから。」
その言葉、本当に嬉しかったです。
2日間、ありがとうございました。