【1936年ブラジル合衆国の歴史】

大戦争終結後の1925年、ブラジルは深刻な危機に見舞われた。ブラジルの主要な貿易取引先であるアメリカ合衆国とイギリスが深刻な経済不況に陥り、ブラジルは失業率が急増。生活必需品すら不足する中、国内で社会主義者や統合主義が勢力を伸ばした。

そして1926年大統領選挙ではカフェ・コン・レイテ体制に反してサンパウロ州とミナス・ジェライス州がそれぞれ候補者を擁立し、コーヒーの輸出バランスを維持するという長年の合意が危うくなった。これは両州とも、自らの州を優先して保護し貿易優先するという目論見があったためで、旧共和態勢の崩壊は不可避となる。

 

結果的にミナス・ジェライス州のフェルナンド・デ・メロが大統領に就任したものの国内は極度の緊張状態が続き、やがてブラジル連邦軍がサンパウロ州とミナスジェライス州に侵攻。サンパウロ州の大統領だったワシントン・ルイスは、ブラジルの支配を目論んでいるとされ射殺されるが、混乱は収まるどころか拡大し、内戦となった。ブラジル各州は民兵を集めて反乱を起こし、また一部の州は他の州と戦うために兵を起こした。

 

サンパウロ州は連邦軍と戦う中で幅広い支持を集め、ジョアン・ペソアを中心として北部と東部、そしてリオ・グランデ・ド・スル州が熱心に支援を行い、時を同じくしてブラジル連邦海軍が反乱を起こしたのも相まって、内戦は反政府勢力の勝利に終わる。

 

この出来事以来、ブラジルは深刻な傷を抱えたものの、ブラジル経済はゆっくりとだが回復の兆しを見せている。1936年現在、過去10年と比べ新たな企業がいくつも生まれたが、ブラジルを支えてきたコーヒー農園の規模にはまだ遠く及ばない。そして政党は週ごとにより過激になりつつあり、イデオロギーによって分割されている。

 

1936年選挙を間近に控え、社会主義者に無政府主義者、統合主義者はそろって共和国が失敗国家であると叫んでおり、ブラジルの州を支配しきれず分断している原因だと激しく糾弾していることは、ブラジルの政治的な急進主義の高まりをよく示している。

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カイザーライヒ世界のブラジルでプレイ。当時の首都はリオ・デ・ジャネイロです。ブラジルは行き過ぎた地方分権で半ば分断状態にあり、州政府は中央政府の意向に従わないことが度々あり、政治的に停滞しています。

 

ブラジルは沿岸都市が発展していますが、西部は全く未開発の大密林で、軍隊も通行不可能。天然の要塞となっています。

 

 

ブラジルは1936年10月の選挙まで、できることがあまりに少ないため、国家方針の産業Tree、陸軍Treeを進めて9か月間を消化します。ゲーム開始直後から所持している国民精神【極端な地方分権】【戦争の予感】のデバフ効果で政治力の増加は全く望めず、イベントでどんどんと政治力が減っていくため、政策変更はできません。

 

最悪なことにドイツ発の世界恐慌も直撃し、工業生産は事実上完全にストップします。これで出来ることと言えば国家方針を進めることだけ。生産活動は何もできません。

 

 

ラテンアメリカもう1つの大国、アルゼンチンも南部のパダゴニアが社会主義に占拠され、国内も不安定な状態にありましたがカルレス体制が確立しています。

 

ロシア共和国でヴラーンゲリが権力を掌握。ドゥーマ(議会)が支配され、独裁国家になっています。

 

1936年の大統領選が迫り、各党は候補者を擁立。左派民主党、統合主義党、共和党などが激しく争います。

 

アメリカ合衆国でミネソタ州知事のフロイド・オルソンが大統領に就任。

 

1936年10月、運命の大統領選挙です。ここで統合主義党の勝利を選ぶと、ブラジルのFocusTreeそのものが変化し、ブラジル帝国形成へと進むことができるため、これを選択します。

 

統合主義が国民の支持を集めたことで、国内ではブラガンサ家の戴冠準備が進みます。

 

アメリカ内戦の勃発に対し、南部州のアメリカ連合国を支援します。

 

太平洋側のペルーとポリビアが合邦し、ペル=ボリビア連合が成立しました。

 

探検家であり政治家でもあったロンドンが遠征から帰国。熱心な共和主義者である彼は、君主主義に傾く祖国を声高に批判します。これにどう対応するかですが、下手に逮捕でもすると彼を支持する連邦軍がブラジル共和国として蜂起する恐れがあるため、政界から遠ざかるよう、進言するのみにとどめます。

 

州と軍の支持を固めることで初めて、国家方針【ブラジル帝国】を選べるようになります。約5か月かかるこの国家方針を通して、ブラガンサ家が再び戴冠します。

 

ペドロ3世の戴冠。名実ともに、ブラジルは帝国になりました。