1939年、アメリカ内戦を乗り切ったアメリカ合衆国。指揮を執ったマッカーサーは権力の座を退き、クェンティン・ルーズベルトを臨時大統領に、復興の舵をにぎります。
反体制派の取り締まりを強化し、合衆国の治安を脅かすロング支持者、社会主義者の摘発を進めます。
他方、南アフリカで、アフリカーナーと協商派の衝突による、第三次ボーア戦争が勃発しています。
1939年10月、半年以上かけて復興の兆しが見え始める。とはいえ、まだまだ対外へ向けて動く余力はありません。
ベネズエラで社会主義政党が勝利。合衆国の裏庭たる南米で社会主義が広がっていきます。
1939年12月、フーバーダムが完成。
第3次ボーア戦争は親協商のナタールが勝利。あらたに南アフリカ連邦が成立しました。
1939年大統領選挙。
復興が順調に進む中、共和党のクエンティン・ルーズベルトを再選させ、続投させます。
第2次世界大戦はドイツ帝国率いる帝国協定が有利に進んでおり、既にパリが陥落したようです。
1940年1月、反体制派のテロリストが衰退し治安が回復しつつあります。一方でアイルランドがアメリカ企業誘致を提案。これを許可します。
ミネソタ州上院議員で、大統領選挙を戦ったフロイド・オルソンが死去。
国内の復興を進め、一時はマイナス60%にまで落ち込んだ国家安定度は、今や90%超まで回復しました。
対コミューン戦争で優位にあるドイツは協商と手を組む必要がないと判断したのか、ハリファックス会議が決裂しました。これにより協商と帝国協定は、占領競争のような形になります。
1940年9月、労働組合の処遇を決めるべく委員会が開かれますが、体制派の処分は行わないこととします。
極東アジアでは奉天政府が日本の影響力を廃し、一気に大陸で第一勢力にのし上がる。自らを中華民国として政党政府を名乗っています。
1941年8月、復興がほぼ完了。アメリカ合衆国はその力を取り戻し、外に目を向けます。
内戦時、共和党で合衆国側のクエンティン・ルーズベルトと、民主党で連合国についたアーチボールド・ルーズベルト。一時は引き裂かれた兄弟は和解、会合が開かれました。