1938年、ロシア帝国が復古する中、欧州ではオーストリア帝国内で反乱がおきました。ハンガリーが帝国から離反し、連邦諸国に対し戦端を開いています。

 

 

 

フランス・コミューンで原子力研究が進んでいます。放置した場合、かなりの確立でフランス・コミューンが最初に核兵器を実用化させることになります。対するドイツ帝国は勢力圏を拡大し、スウェーデンとフィンランドを帝国協定に招き入れました。

 

一時期はマイナス30%にまで落ち込んだ安定度は、帝政復古から立憲君主制へ移行して80%まで回復。そろそろ、ロシアも対外へ動き出し始めます。国家方針【拡大主義】から【中央アジアの確保】へ。

 

まずはドイツ帝国の干渉が及ばない中央アジアへ進出します。

 

 

まずはカザフ平原、アラシュ・オルダに侵攻します。兵力差から考えて1個軍で十分すぎると思いましたが、おおむね苦戦することなく順調に進軍。

 

平原であるため侵攻が容易で、ロシア側の損害は600人程度でした。

 

 

拡張とはいえ、ロシア帝国の旧領を全て直轄支配するつもりはなく、従順な政府を打ち立てる程度にとどめます。

 

 

復活したロシア帝国を見て、ウクライナが歩み寄る。帝国協定と縁を切りロシア側に就くという約束のもと、モスクワ連合への加盟を申請してきました。

 

(緩衝国としての)ウクライナを占領するつもりはないため、これを受諾。連合に迎え入れます。

 

 

アラシュ・オルダ降伏後、そのままトルキスタン・イスラム連邦へ侵攻。カザフ平原に展開していた1個軍をそのまま進軍させます。

 

 

トルキスタンの降伏後、中央アジアの統治をカザフ政府に一任します。

 

中央アジアへの影響力を取り戻したものの、間もなくキリル1世が崩御。変わってウラジミール3世が新たに戴冠します。白軍の英雄でもあるラーヴル・コルニーロフも死去してしまいました。

 

 

オセアニアのオーストララシア連邦、協商との距離を置き独自の道を模索し始めます。

 

エドワード8世が婚姻をめぐり、イングランド教会と対立した末に王位を放棄。弟のアルバートが代わって、大英帝国の国王にして皇帝のアルバート1世として戴冠しました。

 

中央アジアの支配権を取り戻したら、次はザカフカースへ。こちらはバクー油田をはじめ、ドイツ帝国の利権が絡むため、慎重に事を進めます。

 

ロシアが安定を取り戻し、対外へ行動を起こし始めたことに対し、ドイツ帝国が脅迫ともとれる警告を発する。しかし、共和政府の時のような従属的態度をとるつもりはないため、突っぱねます。ドイツ帝国はフランスとの緊張が高まっているため、宣戦布告こそしてこないものの、帝国協定を中心とした欧州貿易からロシアを締め出すこと宣言しました。

 

 

コサックに圧力をかけ、ロシアと再統合するか否かの国民投票を実施するよう迫る。これに屈したドン・クバンは投票の末、ロシアへの合流を決定。同国を併合します。

 

次にグルジアに対して政治工作を実施。それによりグルジアはモスクワ連合への加盟をしました。

 

 

 

内乱続く中国大陸では重慶を中心とした連合政府が成立。北京を占領し拡大する奉天政府に対抗しています。

 

 

1939年9月、第2次大戦が勃発。これによってドイツの即応性が著しく低下しているはずなので、一気にバクー油田を抑えます。

 

アルメニアは要求を拒否してきたため、宣戦布告。ロシア軍は空軍を出動させるにとどめ、主な進行は近隣のグルジア軍とアラシュ軍に一任します。


 

 

アゼルバイジャンに関しては、油田の関係上ドイツ帝国が独立保証をしており、侵攻した場合ドイツとの開戦は避けられません。しかしフランスと戦端を開いているドイツが東に割ける戦力は限られるはずなので、構わず侵攻します。