1939年、アメリカやイギリス、日本が戦争状態に入り、世界が混沌とした中で、共和イタリアは陣営【ローマ条約機構】を立ち上げ、相互防衛条約を結びます。オーストリア共和国をはじめ、ユーゴスラヴィアから分裂したクロアチア、モンテネグロなどのバルカン諸国も引き込み、地域防衛同盟を強化します。

 

国家方針【アフリカの自決】を選択。植民地主義の放棄を明確にし、イタリア領リビアを独立させます。独立したリビアは社会主義国家となりますが、ローマ条約機構に加盟することを宣言。また、イタリア領エリトリアとソマリアに関しては、エチオピアに譲渡されます。

 

 

次に、国家方針【エチオピアとの提携】を選択。2度の戦争を挟み、緊張が続いていた対エチオピア関係の修復を図ります。これにより、エチオピアは過去を水に流し、イタリアと同盟関係を結ぶことを宣言。ローマ条約機構に加盟しました。世界からすれば衝撃の展開です。

 

ナチスドイツ、ポーランドに対し侵攻開始するも、ポーランド政府はソ連を引き込み反撃に出ます。さらには暴挙ともいうべき、ナチスのベネルクス宣戦布告により自ら二正面を作り出し、自滅していました。

 

これを傍観した場合、ドイツ全土が共産主義に染まることは間違いないため、ローマ条約機構も予防占領のため、ナチスドイツに対し侵攻を開始します。

 

 

ミュンヘンに至るまでの国境沿いはがら明きであり、もはやナチスに余力がないことが明確でしたが、とにかくソ連の進撃を防止するため、自動車師団で一気に北上。メクレンブルク州までをイタリアが占領し、それ以上のソ連の東進を妨害します。

 

ナチスドイツは史実に比べれば呆気なく、60万の損害を被り降伏しました。

 

敗戦したドイツはオランダやソ連、ポーランドに多くの領土割譲を余儀なくされたものの、共産化は阻止されました。共和イタリアの保護の元、民主主義国家となり、新たにドイツ共和国が成立しています。

 

そしてオーストリア共和国は国民投票により、ドイツとの統合を選択。ドイツ共和国に吸収併合され、大ドイツ共和国となっています。

 

ナチスドイツの脅威がなくなったため、ソ連はバルト諸国をはじめ、中東へも侵攻開始。これに対してローマ条約機構は傍観することはせず、1941年4月、ソビエト連邦をはじめコミンテルンに対し宣戦を布告しました。

 

再建されたドイツ共和国の国防軍と共に、進軍します。

 

領土問題で緊張関係にあったドイツ、ギリシャですが、共和イタリアの地中海貿易によりギリシャ側がローマ条約機構に加盟。(というよりも傀儡化)。両国の問題は棚上げされています。

 

アメリカ合衆国、東アジアの共産圏と手を組み、ファシズム陣営との戦いに本腰を上げています。実際ルーズベルトは社会主義に寛容だったため、あまり不自然ではないかもしれません。

 

1942年2月。コミンテルン陣営のポーランドとルーマニアは既に降伏し、かつ300万の損害を被ったソ連は軍備が間に合わず、一時期戦線ががら明きになっています。ソ連の侵攻を受けていたイラン、イラク、アフガニスタンも、ローマ条約機構に合流し、反撃を始めました。

 

 

イタリアも80万近い損害を被りましたが、1942年秋にソ連が降伏。ポーランドは一部領有権を認めますが、シュレジエンなどの領土はドイツ共和国に返還させます。

 

ソ連は解体再編し、ロシア連邦に。その過程でウクライナ共和国とカザフスタンを連邦から離して独立。いずれもローマ条約機構に加盟しました。

 

再編されたロシア連邦は、かつての革命で逃げ延びたアレクサンドル・ケレンスキーを大統領としています。

 

 

共産主義者が支配する日本列島ですが、皇室を保護して樺太島に亡命日本国を成立。ローマ条約機構に引き込み本土奪還を目指しています。

 

イタリア共和国としてやりたいことは大体やって、ドイツもロシアも民主主義国家になったため、MOD、【change ideology】で政体を王制に戻します。この際、公選ありのイタリア王国としました。

 

サヴォイア王家はそのままに、選挙によって首相を選ぶ立憲君主制国家です。

 

 

貿易関係の強化により影響力を深め、トルコを影響下に収めローマ条約機構に引き込む。

 

 

対コミンテルン戦後、ブルガリア王国がトルコに対し戦争事由正当化を進めていたため、これを防止するため侵攻します。首都ソフィアへ空挺降下後、空挺師団が力尽きる前に軍を進めます。

 

ブルガリア王国は解体され、トルコ共和国とマケドニア共和国に分割しました。

 

国家方針を進めて、【航空支配】【未来の空軍】を選択。ジェット機の開発研究を進めます。

 

帝政イギリス軍、スペインの奇襲攻撃によりジブラルタルを喪失。これによりイギリスは、大西洋からの地中海へのアクセスを失っています。

 

一方で、世界大戦のどさくさに紛れて、ローマ条約機構はスイスに侵攻。口実としては相当無理やりですが、ファシストフランスの侵略を受けているため、予防占領のためです。侵攻開始すると、対米戦争で手一杯の帝政イギリスが不可侵条約を申し出てきますが、これは拒否します。

 

スイスと同盟関係にあったオランダ、ベルギーに対しても侵攻。帝政イギリス軍、フランス軍との挟撃であるため、苦も無く講和条約に入りました。

 

ベルギーおよびルクセンブルクはフランスの支配下となりましたが、オランダ王国、ベルギーのアフリカ植民地はローマ条約機構に引き込みます。スイスは全土をイタリア王国の新たな領土とします。