オーストリア帝国の保護を失ったイタリア共和国。隣国のイタリア社会主義共和国から伝播したナショナリスト教会のテロにより国内は混乱の渦に巻き込まれ、共和国政府は崩壊。ロンバルディア伯を中心とした、イタリア連邦政府が立ち上げられています。
イタリア社会主義共和国において信教の自由は存在せず、北部に残されたカトリック教徒は弾圧をうける。これに対し、両シチリア王国は対社会主義の機運が高まっています。
そして1937年の総選挙では、これまで通りの与党、キリスト教民主党による過半数を得たこととして、自由と民主主義の基盤を揺るがぬものとしています。
選挙後、国内の農地問題に取り掛かります。貴族社会の一員たる地主の反発を生まぬよう、農地改革を進めます。
都市化、ではなく豊富な農地を活用しイタリアの穀物庫として両シチリアの開発を進めます。
1939年を目前として、国家方針【北の連中と戦わん!】を選択。消極策でなく、積極策にてリソルジメントを図ります。
同じころ、アドリア海を隔てた先のアルバニア王国が親善交流を提案してきました。これを歓迎し、同国との連携を強化します。
1939年9月、ドイツとフランスが戦端を開き、第2次世界大戦が勃発。同じくイタリア社会主義共和国はフランス側に与して大戦に参加しますが、オーストリアの庇護なきイタリア連邦に侵攻開始。
これに対してイタリア連邦が救援要請をしてきます。これを見過ごしてイタリア連邦が飲み込まれてしまうと北部イタリアはさらに強大になるため、この救援要請を受諾して北上を開始します。
奇襲的参戦のため、イタリア社会主義共和国の防衛線は構築されておらず、一気に北上。また、フランス・コミューンはドイツ帝国との戦線で手一杯のようであり、イタリア半島には姿を見せませんでした。
イタリア連邦軍の戦線も利用し、イタリア社会主義共和国の軍隊を東西に分断。ミラノに閉じ込めます。この包囲戦を維持し、敵軍の消耗を待って包囲殲滅。ロンバルディア州を完全に占領します。
ちなみにアメリカ内戦は、一時期労働組合連盟が優勢でしたが、マッカーサーが臨時大統領に就任して劣勢を覆し、合衆国が優勢を保っています。
そして、アフリカに亡命していたフランス帝国政府、フランス・コミューンに対して宣戦布告。協商と帝国協定は力を合わせて、社会主義陣営の打倒と国土奪還のため動きだしました。
やがて、ピエモンテ州を攻略した両シチリア軍。これでイタリア社会主義共和国は降伏しています。不利を悟ったフランス・コミューン、両シチリア軍に対して講和を申し出てきたので、これを受諾します。
北部地帯を押さえてしまえば、もはやイタリア連邦は用済みです。同国に宣戦布告し、一気にヴェネトを占領。同政府を併合します。
ついでに、ティチーノ州の回収を口実としてスイスに宣戦布告。ジュネーブを含む主要都市を割譲させます。
北部をすべて占領下に収めたことで、第二次リソルジメントは果たされました。イタリア帝国宣言を発し、イタリア第一帝国を建国します。
そして、最後の復讐としてオーストリア帝国に対して侵攻開始します。20年前にイタリア王国を解体された恨みを果たすため、侵攻しますが、山脈沿いに防衛線が敷かれるため、正面突破だと相当な流血を必要とします。
幸い、同国はハンガリーとも戦争をしており、戦力は分散しています。また、オーストリア帝国はその大部分が首都ウィーンに戦勝点があるため、ここを占領すれば一気に降伏に傾きます。
なんとか宣戦を突破し、ザルツブルク周辺まで到達したら、あとは空挺師団でウィーンに奇襲降下。これでオーストリア帝国はあっさりと降伏しました。
ブダペストにて条約を締結。オーストリア帝国の支配域はウィーン周辺のみとなり、『未回収のイタリア』の回収は当然として、ザルツブルクやグラーツなどの領土も割譲させました。
また、イストリア、アナトリアの領土も獲得し、イタリア帝国は文字通りかつてない大帝国を築いています。同盟国のアルバニア王国とルーマニア共和国を誘い、新たな陣営【ローマ帝国議会】を立ち上げて、戦争を続けるドイツ、フランスを尻目に拡大を果たしました。