内戦後の復興を終わらせたアメリカ自由帝国。ペリー大統領のもとで、連合国として対外戦争へ乗り出します。南部のメキシコ・ソビエトを降伏させたのち、本格的に欧州に乗り込む前に中立を決め込む北部のカナダに対して進行準備を行いました。

 

また、連合国相手に宣戦布告してきた大日本帝国に対しては、本土に対して乗り込むような積極攻勢は行いませんが、空母エンタープライズ、ヨークタウン、ワスプ、ホーネットの4隻を主力とした艦隊を差し向け、太平洋の制海権掌握を図ります。

 

 

ドイツ帝国も対コミンテルン戦争へ乗り出しており、フランス侵攻を開始。またたくまにパリを占領し、西欧の支配権を拡大しています。

 

オランダとベルギーはもはや当てとなる国がないため、それぞれ同盟を組んで防衛していましたが、あえなく中央同盟国と連合国に降伏。ベルギーはドイツ帝国に取られるものの、オランダは傀儡とし、将来のドイツ侵攻への布石とします。ゆえに、きたる攻勢までオランダの対ドイツ参戦要請は却下し続けます。

 

 

 

大日本帝国海軍は相当に手強く、直衛艦のみならず主力艦も相当な損害を被りましたが、そこはアメリカの並外れた生産力で補う。やがて地力の差が表れ始め、日本の駆逐艦隊や、空母翔鶴、戦艦扶桑や榛名の撃沈に成功します。

 

 

 

 

カナダ侵攻は苦も無く完了し、北米大陸はほぼすべて、自由帝国の支配下になりました。残存カナダ政府はノバスコシアにて存続を認め、傀儡として支配します。

 

コミンテルンではなく、ドイツ帝国が主導する中央同盟国との戦いで、イギリスとイタリアは大苦戦しており、既に400万近い死傷者を出していました。イギリスの弱体により、連合国の主導権を貰い受け、1942年の初頭時点で連合国はアメリカ自由帝国が盟主となりました。

 

それとほぼ同時に、君主主義者を退けたブラジル政府が連合国への加盟と対中央同盟戦争の参戦を申し出てきたので、これを受諾。

 

コミンテルンは連合国と講和を結び、全力をドイツ帝国率いる中央同盟にむける模様。この時点でフランスとソ連を連合国陣営で併合してしまっても味気ないので、現実的な視点でみて、領土割譲の講和で終わらせました。

 

アフリカには、傀儡の再生マリ帝国を建国。西アフリカ一帯の支配を任せます。その他の旧フランス植民地は、イギリスとイタリアが分割します。中央アジアにはアラシュ・オルダ政府を擁立。オホーツク海沿岸部は自由帝国の領土とします。

 


 

 

ファシスト政権でありながら、自由帝国議会は存続していますが、現時点では完全な支持を集めているようです。

 

コミンテルン、ドイツ帝国相手に敗北し、ソ連とフランスのすべてが中央同盟の支配権となりました。これより欧州は連合国と中央同盟国に二分した戦いとなります。

 

1942年6月、イギリスがノルマンディー上陸作戦を単独で開始。英仏海峡沿いはさすがイギリス海軍が完全に押さえており、安全な輸送ができると判断。このイギリスの作戦に呼応し、傀儡にしていたオランダ帝国方面から進撃を開始しました。オランダの参戦要請をここで承諾し侵攻します。

 

沿岸部の防備は薄く、先に上陸していたイギリスとの合流は成らなかったものの、北フランス一帯は連合国が占領。その後、1個軍を包囲し兵的優位を確保。ドイツが防衛線を築く前に一気に進撃します。

 

また、スペイン帝国とポルトガル王国が中央同盟に加盟し、対連合国に宣戦布告。これによりジブラルタルが落ちたため、地中海へのアクセスを失っています。

 

スペイン方面までたどり着くまでに防衛線が築かれなかったため一挙に進撃し、難所のピレネー山脈を一気に超えてしまいます。ここを超えればイベリア半島は攻略が相当に容易になりました。

 

南北フランスを繋ぎ占領した時点でやや攻勢限界が見えたため、、いったん進撃を停止。この時点で1944年3月近くまで戦線が動きませんでした。

 

1944年を回り大西洋艦隊も形になったため、イベリア方面へ差し向けます。空母エセックスやフランクリンといった最新鋭空母を軸に、制海権を掌握します。

 

 

イギリスがイベリア半島のガリシア方面に上陸し進撃。これを契機として、スペイン方面に一斉に攻勢を開始しました。ポルトガルはリスボンに至るまで全くの無防備であり、無血占領。これによりポルトガルが降伏し、崩れ落ちるようにスペイン帝国も降伏しました。

 

イベリア半島一体の戦力を全て対ドイツ、対オーストリアに回します。

 

 

 

地中海のアクセスを取り戻したため、ティレニア海、アドリア海を哨戒。イタリア半島を占領していた中央同盟軍の逃げ場をなくし、一気に殲滅します。最後まで抵抗が固かったものの、イタリア半島の支配権を取り戻しました。

 

1945年1月。既に500万を超える損害を出しているドイツ帝国相手に、進撃を開始。フランスが使っていたマジノ線に1個軍が立てこもりましたが、補給を断ちこれを殲滅。

 

 

ファシスト政権となったスイス帝国連邦を連合国に迎え入れ、ドイツにとどめを刺します。

 

ドイツ帝国さえ降伏してしまえば、残るオーストリアは問題にならず、1945年3月に中央同盟国は降伏しました。この戦争により、連合国と中東同盟国は2500万を超える死者を出しています。

 

この欧州での戦争終結に危機感を抱いた日本と中国、講和を結び対連合国に全力を向ける模様。

 

東欧はリスト・リュティ大統領の大フィンランド政府を筆頭に、国王ミハイによるルーマニア、そして雷十字帝国にその支配権を委ねます。ムルマンスク方面を含めた沿岸部はイギリスに割譲され、ソ連政権は存続。

 

 

オーストリア=ハンガリー帝国はハプスブルク家の存続を許し、旧ポーランドやドイツ、ボヘミアの支配権を委ねることとします。

 

 

フランスはドイツ支配から解放されるも、その国土は大幅に縮小。植民地はすべて失われ、本土もその他の国に割譲することになっています。

 

イベリア半島はガリシア、バスク、カタルーニャの3つの国に分割して支配。ポルトガルとスペインの2国には消滅してもらいました。